1章 その四 台湾から殺意を込めて

 正行は家に帰り台湾に行っている石動肇に電話をかけた。

 台湾は時差マイナス一時間なので夜八時ぐらいである。

 今度は直に石動が出た。

「いやぁ、ご心配おかけしました」

 明るく正行が報告するが、石動は沈黙を貫いていた。

「石動さん?」

 仕事で精神を使ったせいで疲れているのだろうか?

 だが、出てきた言葉が違っていた。

『おやっさんは、琥武陵と言ったんだな?』

「はい、そうですが……」

 台湾名物の屋台街にいるせいか、雑音がひどい。

――肇、正行君からか?

 隣に大野太がいるらしい。

『……おかしいぞ』

 物を探す音がして再び石動の声がした。

『琥武陵は台湾警察が追っている鏢士ひょうしだ』

「ひょうし?」

『中国語で【殺し屋】という意味だ。元々は【死龍スーロン】という台湾マフィア、というよりほぼ中国系のマフィアの一員だったが、内部抗争かなにかあったんだろうな。ある日、構成員を全員ぶち殺して高飛びをして日雇いの殺し屋をしていたらしい……』

「やけに詳しいですね」

 石動は少し黙っていたが言った。

『実はな、今回のコンペは顔認証システムのものだったんだ』

「顔認証システム?」

『今、世界の警察機構などが琥武陵という暗殺者を追っている。奴とテロリストが手を組んだとなれば非常に面倒なことになるからな。だから、顔認証システムを空港などはもとより街中にも置いて必死で探そうというわけさ……しかし、星ノ宮にいる?』

「親父たちの話では……そもそも、何で琥武陵は素うどんを壊滅させた理由は何でしょうかね?」

『素うどん?』

「ほら、琥武陵が壊滅させた組織の……」

『ああ、【死龍】のことか……正行、素うどんじゃないぞ、スーロン。死の龍と書くんだ……壊滅させた理由か……そこまでは知らんが、ある日突然だったらしいぞ』

「……」

『とりあえず、用心のために俺も予定を少し繰り上げて帰ろうと思う……電話切るぞ』

「はい」

 電話を終え、正行は考えた。

――なぜ、父は琥武陵のことを隠した、というより嘘をついたのか?

 思い立ったのはこの言葉だった。

――正行。お前、琥武陵って名前知っているか?

 その時はあまり気が付かなかったが、父親の口調は明らかに記憶にあるかどうかを問うていた。

 言い換えれば、正行は琥武陵を知っている可能性がある。

 しかし、いつ聞いたのか?

 または、会ったのか?

 過去はさかのぼるほどあやふやになっていく。

 そこで思い出したのは、祖父の日記である。

 生前、祖父である春平は日記をしたためていた。

 正行は急いで祖父の書斎へと向かった。

 祖父・春平の書斎であり私室だった居間の奥の部屋に入る。

 今は秋水が自分の仕事部屋兼応接間として活用している。

 本棚には目をくれず、さらに奥の押し入れを開ける。

 すると、本来ならば布団や衣装ケースがあり、少なくとも敷居があるはずなのに中には縄梯子がぶら下がっていた。

 平野平家の家は武家屋敷に見せかけた忍者屋敷なのだ。

 一見、ただの壁や押し入れなどに様々に隠し通路や隠し部屋がある。

 正行は両手に唾を付け、こすり合わすと縄梯子を登っていく。

 縄梯子はちょうど、一階と二階の間で終わった。

 そこは蜘蛛の巣も鼠などもなく、両壁に本棚があり本が敷き詰められていた。

 正行には天井が低いので身をかがめながら目的の日記を探す。

 彼の祖先は物を書くことが好きらしく、ここに彼らが書いた様々な本が保管されている。

 料理本に旅行記、物語、児童書等々種類も様々だ。

 最奥近くになって春平の書いた日記が見つかった。

 それを持って、今度はバックをしてきた道を戻る。

 再び、春平の部屋に戻ると持ってきた日記を読む。

 だが、祖父は大変筆まめだったようで日常のことを事細かに書いていた。

 期待していた記述はなく、再び隠し中二階に入る。

 その冊数を見て眩暈を覚えた。

 優に五十冊はある。

 しかも、背表紙の番号も順番がまちまちだ。

 秋水に聞いても、仮に知っていたとしても、そ知らぬふりをするだろう。

 それどころか、秋水にとっては不都合なことならば嘘をつかれるかもしれない。

 その時、『謎の映画館』の支配人の小門だ。

 正行は寝そべったままスマートフォンともらった名刺を出す。

『はい、もしもし……』

「こんばんは……」

『ああ、平野平正行様。お父様にはお会いにできましたか?』

「はい、何とか……ところで、俺の祖父が書いた日記を整理しているのですが、どう整理していいか分からないんですけど……」

『整理の仕方ですか……知っていますよ』

 その言葉に正行は驚いた。

『以前、春平様からの謎々がたぶん、その整理に役に立つと思いますよ』

「また、謎々ですか?」

『どうしますか?』

「どんな問題なんですか?」

『まず、指で一を作ってください』

 正行は人差し指を立てる。

『それが零です……次に五を作ってください』

 手を広げる。

『それが一です』

 正行には訳が分からない。

「質問をしていいですか?」

『どうぞ』

「適当に言っていません?」

『いいえ。私はある法則に則って言っていますよ』

「法則? 本当に?」

『ええ』

 正行はそれから手を開いたり閉じたり人差し指を指したりして考えた。

 数分後。

「あ、分かった‼」

 思わず立ち上がろうとして天井に頭をぶつけた。

「数字は前の指の数だったんだ‼」

『正解です』

 笑みをたたえた声に正行はある疑問を呈した。

「小門さん、何であなたは報酬も取らずに謎々を出すんです?」

 十数秒、間が空いた。

 小門は考えているようだ。

『金銭面でいえば、多少他の仕事もしておりますし、遠方からいらっしゃるオールドシネマファンの方々やボランティアの方々のおかげで生活面は維持できています……それに裏の情報をお教えするには、その人がどのような人物なのか見極めなくてはなりません。その時に、謎々は実に役に立つのです』

「……」

『まあ、映画を見ているお客様の顔もお客様の謎が解けたとき顔も私は好きなのですよ』

 その言葉に皮肉やあざけりはなかった。

 本当に好きなのが言葉からにじみ出ていた。

「……また、親父ともどもお世話になるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

『お待ちしております』

 正行は電話を切り、さっそく『法則』に則って本棚の本を入れ替えていく。

 そうして、自分が生まれたころのノートを見つけ出した。

 再び書斎に降り立つと、もう、外は夜になっていた。

 ノートを縦に使い、孫が生まれたときの喜びと息子との確執の間で悩んでいたことなどが事細かく書かれていた。

 その中で、気になる記述を見つけた。


 正行が両親から離れて祖父の家に預けられ、まだ日も浅いころ。

 祖父はその日、地元の勉強会で発表する資料作りを書斎でこなしていると、庭で遊んでいた孫が大声で泣く声がする。

 春平は『大方、蜂やムカデに刺された』程度にしか思っていなかった。

 だが、表に出て目を見張った。

 幼い孫が青白い柳のような男の脇に抱えられていた。

 ぐったりとした正行は寝ているようだ。

「私ノ名前ハ琥武陵。アル人物ノ依頼デ貴方タチヲ殺シニ来マシタ」

 明らかに中華圏の訛りのある言葉だった。

 春平は、庭先の下駄に足をつっかけた。

「お前さん、俺がどんな人間か知っているんだろう?」

「ハイ、貴方、人殺シノ世界一。デモ、モウ、私ガ世界一ニナル」


 現在の正行は生唾を飲むが、次のページに書かれていたのは単に一言だけ。

『その時、私は闇絡みを使った』

 その後の会話やどんな戦闘を行ったでは書かれておらず、目が覚めて状況の呑み込めない幼い孫にカレーライスを作ってあげたことだけが書かれていた。

『正行は「美味い」と何度も言った』

 これで、その日の日記は終わった。

「闇絡み?」

 続きを求めてその前後の日記も読むが、前の日記には『闇絡み』の文字こそあれ詳しくは書かれず、以降の日記には『闇絡み』も、琥武陵のことも書かれていなかった。

 ただ、印象的に後のほうが雑になったような気がした。

 まるで何かを隠すように……

「爺ちゃんも、黙っているんだ……」

 正行はだんだんイラついてきた。

 何かが思い出せそうで思い出せない歯がゆさ。

 日記を中二階に仕舞うと正行は居間を通り過ぎ、台所から日本酒を出し耐熱用の徳利に入れて電子レンジで温めた。

 酒好きの祖父が生存していたら「酒が死ぬ‼」などと怒っていただろう。

 その間に冷蔵庫からキャベツ半玉とウィンナーを出し、キャベツは千切り、ウィンナーは軽く炒め皿に持った。

 日本酒にキャベツ、ウィンナー。

 それらで遅い晩酌をした。

『親父たち、俺を子ども扱いしているけど俺だって料理もできるし、酒だって飲めんだぜ』

 が、立て続けに飲みはしたが一時間もしないうちに頭が痛くなってきた。

 そして、徐々に記憶や現実感が薄らいでいった。


 夢を見た。

 本人、平野平正行にその自覚はない。

 周囲がほぼ暗く、誰も存在せず、一人で歩いている。

 気温などはちょうどよい。

『歩いている』と自覚できるのは数メートル上に細長い照明が真っすぐな点線のように連なっているためである。

 どうやら、ここはトンネルで蛍光灯が光っているようだ。

 だが、誰にも会わない。

 そのうち方向感覚が狂ってくるような気がする。

――実は照明が下で自分が天井を歩いているのではないか?

 そんな気分にさえなる。

 ふと、視界に丸い光が見えた。

 光は大きくなり、天地を分けた。

 トンネルの壁に寄り添うように立つ小さな小屋だ。

 そこには店先に店主が椅子を出して音楽を聴いていた。

 思わず、正行は腰から地面に座り込んだ。

「あー、疲れたぁ」

 店主は正行が珍しいのか、舐めるように数回見て、これまた数回頷いた。

「おー、お疲れぇ」

 正行を労う店主。

「まー、ここまでくれば、あと半分だ……休憩がてら何か飲んでいくかい?」

「じゃー、び……じゃなくてお茶と何かお菓子を……」

 ビールを注文しようとしたが、お茶のほうがいいように思えた。

「あいよ」

 立ち上がった正行は店主とは別の椅子に座り、店主は店の中へ消えた。

「ほいよ、熱いほうじ茶と花豆の甘煮」

 そういって店主はマグカップに入ったほうじ茶と缶に入った花豆の甘煮を出した。

 正行は熱さに気を付けながらほうじ茶を飲み、テーブルにある爪楊枝で花豆の甘煮を食べた。

「旨いですね」

「花豆を煮るって結構手間だから買ってきたほうがいいんだ」

 それから数回、たわいもない会話したが、マグからお茶が無くなり花豆を食べ終えるころになると、二人は黙って闇を見ていた。

 光の届かない場所をぼんやりと眺める。

『心地いい』

 正行はそんなことを思った。

 なぜか心から安心する。

 どれぐらい時間が過ぎたのだろう?

「あ」

 正行は立ち上がった。

「俺、向こう側に行かないといけないんだ」

 そういって来た道とは反対方向を見た。

「わりぃね。こっちのペースにつき合わせちゃって」

 店主は謝った。

「いや、別に俺も急いでいるわけではないですから……」

 正行は伸びをした。

「お代は?」

「いいよ。別のところから沢山もらっているから……しっかし、まぁ、よくここまでたどり着いたものだ。大抵の人間は目ぇ回して反対方向に行ったりチンプンカンプンな方向に行ったり……あと半分だ。気を付けて」

「はい」

 そういうと正行は、一礼して再び闇の中に入っていった。

 ほのかに明るく魚の背骨の様に真っ直ぐな照明を頼りに歩く。

 しばらくして振り向くと、もう、店の明かりは消えていた。


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