1章 その五 脱走

 目が覚めた。

 確実に目が覚めた。

 スマートフォンから電子音が鳴っている。

 ゆっくり起きる。

 祖父の書斎だ。

 どうやら、ソファーで寝てしまったらしい。

 ポケットに入れてあるスマートフォンを取り出す。

「はい、平野平」

『ああ、正行さんですか……』

 本城からであった。

「どうしたんですか?」

 普段はのんびりしている本城の声が心なしか気忙しい。

『師匠……お父さん、帰ってきていませんか?』

 正行は居間へ続く襖を開けた。

 そこから居間、土間へと続くから父がいれば多少の痕跡があるはずだが、居間の卓には昨日の一人酒をした跡があるだけだ。

「いえ、いませんが……」

『まずいなぁ……』

「もしかして……」

 嫌な予感がした。

『師匠が脱走しました‼ とにかく、一回ホテルまで来てください‼』

 電話が切れた。

 正行は素早く立ち上がり、あわただしく身支度と家に鍵をかけると、納屋のバイクを出して一路、父・秋水の宿泊しているホテルへ向かった。


 意外なことにホテルは平常通りに営業していて、前回と同じように受け付けで名前を名乗る。

 今度は受付嬢が部屋に電話して確認を取る。

 許可が出て部屋へ向かう。

 奥のベットに甲田が氷嚢を首筋にあてて胡坐をかいていた。

 傍では、本城が甲斐甲斐しく看病をしている。

「どうしたんですか⁉」

 正行が駆け寄る。

「師匠にしてやられましたよ」

 甲田は苦々しく言う。

「『おーい、甲田君。シャワーの調子が悪い』って言うのでシャワールームに入ったら急に意識が落ちて本城が来るまで不覚にも気絶していました……」

「しかも、始末の悪いことにどうも、師匠は非常口から逃げたらしく……一応、こっそり小型の発信器を付けたのですが……」

 本城は甲田から離れるとスタンドテーブルに置いたパソコンを見せた。

 そこには、星ノ宮市中心部の地図と嫌に曲がっている線が重なっている。

「師匠が好き勝手に動くことはよく存じております。しかし、こんなにランダムではないし、壁の上を歩いたり速度が妙に早かったり遅かったり一定じゃないんですよね」

 と、正行が異変に気が付いた。

 急に、それまでランダムに動いていた点が早くなり道を進んでいる。

「あれ? これ、このホテルに向かっていませんか?」

 正行の言葉に本城は驚いた。

「まさか、急に心変わりしたとか?」

「いや、ないない」

 未だ、氷嚢で首筋を冷やしている甲田が否定した。

 十分もしないうちに、発信器はホテルの中を入ったらしい。

 ドアが鳴る。

 三人の視線がドアに注がれる。

 ドアノブが回る。

 無言の気合を三人は入れた。

――ここで逃してはいけない!

「よう」

 入ってきたのは、少しほっそりとして髪を一つ縛りしてオールバックにしスリーピースを着た端正な男。

「石動さん‼?」

 驚いた三人は異口同音に叫んだ。

「何で、ここにいるんです!!? 台湾にいたんじゃ……」

 兄貴分の登場に正行は思わず問うた。

「言っただろ? 予定を繰り上げた。後のことは昔からの友人に任せて一足早く帰ってきたんだ」

 そういって小さな円形のボタンを出した。

「あー、それ師匠に縫い付けた追跡装置‼ ……師匠に会ったんですか⁉」

「いいや、野良猫についていた」

「猫?」

 正行たちが首をかしげる。

「駅前の駐車場に俺の車を停めたんだが、フロントで寝ている猫がいて妙なものがぶら下がっていると思ったら裏に超小型追跡装置が付いていた……まあ、多少猫と追いかけっこをしたが何とか取ると逆探をしてみたのさ」

 そういう石動のもう片方の手にはノートパソコンが入りそうなハミルトンのブリーフケースがあった。

「おやっさんの性格からして、最初から自分に追跡装置がつけられていたのはわかっていたはずだ」

 そう言いつつ石動は本城に向かいボタンを投げて返した。

 慌てて取る本城。

「でも、最初から知っていたのなら、何故俺たちの言うとおりにあっさり逮捕してくれたんですか?」

 本城の問いに石動は肩をすくめた。

「俺が知るわけないじゃないか?」

「えー、でも、一番弟子なんでしょ?」

 不満そうな本城の言葉。

 無視する石動。

「親父と琥武陵の接点は?」

 正行が甲田に聞いた。

「ううん、直接会ったとか戦ったということは師匠から聞いてないがお互いがその道では名を馳せていますからね、容姿ぐらいは分かるでしょうけど……」

「じゃあ、何でわざわざ、今頃自分から逃げ出したんだろう?」

 しばし、沈黙が流れた。

「……もしかしたら、役に立つかも知れない」

 石動はそうつぶやいた。

 それから、持っていたケースから一冊のバインダーを出した。

【琥武陵に関しての資料】

 日本語でそう書かれている。

「台湾警察が琥武陵に対して捜査した経歴や殺しの手順を資料として編集されたものだ。本来は部外者に見せてはいけないのだが場合が場合だからな、台湾警察には悪いが読んでくれ」

 バインダーに挟まれた紙は項目事にホチキスで止められた。

 それを各々が読み込んでいく。

 時々おかしな日本語や未翻訳な部分があったがインターネットなどを使い約三十分で皆、読み終えた。

「琥武陵は、元々台湾ではなく香港系マフィアの一員だった。武器は『ひょう』と呼ばれる特殊な苦無くない……」

「苦無って武器としてはどうなんでしょうかね?」

 本城の言葉に正行が質問する。

 言葉に詰まる本城。

 助け舟を出したのは石動であった。

「以前、おやっさんから忍者道具のレクチャー……というか、無理やり教え込まれたのだが、苦無もなかなかどうして使い勝手が思いのほかいい。近接攻撃ではナイフとして使えるし、ちゃんと扱えば飛び道具で肉に刺さる。しかも複数持てるのも利点だ」

 重い沈黙が流れる。

 正行の目に一枚の紙、写真が目に入った。

『死龍』での殺人現場写真らしい。

 他の三人も見るが、百戦錬磨の刑事である本城と甲田も眉をひそめた。

 そこに赤々とした血文字で壁に書かれていた文字。

【我吞沒黑暗成為世界第一的刺客】

「自分は闇を飲み世界一の殺し屋になる?」

 多少中国語のできる本城が読む。

 なお、本城の曾祖父はイギリス人で祖母が中国人と様々な民族の血が混じっている。

 しかし、本城自身は日本生まれの日本育ちである。

「………闇絡みのことかな?」

 正行の言葉に石動は肩がぴくっと動いた。

「何なんですか? それ」

 甲田が聞く。

「いや、俺も知らないんですけどね、じいちゃんの日記を漁っていたら出てきたんですよ。その後のこと何も書いてないんですけど……」

 正行が頭をかく。

 石動は背筋がぞくっと冷たくなる。

 生前、春平から受けた闇絡みを思い出した。

 その時の恐怖や痛さがぶり返した。

「石動さん?」

 現実に戻したのは本城だった。

「大丈夫ですか? 無理な強行スケジュールで……」

「いや、大丈夫だ」

 頭を振り恐怖を取り指す石動。

 それから、パソコンを出した。

「おやっさんが、いつから、猫に発信器を付けたか調べてみよう」

 そういって石動はパソコンのキーを叩いた。

「色々なところに行っていますね」

「速度から見ると……ローソン星ノ宮華穏町(かおんちょう)《かおんちょう》店で猫に発信器を付けたな」

「ここから歩いて十分ぐらいですね」

 正行が言う。

「時間がほしいですね……時間が経てばたつほど見失いますから……俺が車を出してコンビニに行くので石動さんたちは先に行っていてください」

 甲田の提案で正行たちは部屋を出た。

「いらっしゃいませ」

 目的のコンビニに入ると幸い混雑時後なのか、客は数人しかおらず、レジには誰も並んでいない。

 レジは一人で、他に二人の店員が商品を並べている。

「すいません」

 本城は率先してレジに行った。

「はい、いらっしゃいませ」

「こういうものですが、店長さん……お願いします」

 水色と白の縦縞の制服を着た店員にだけに見えるよう懐から警察手帳を出す。

 驚く店員。

「は……はい‼ 少々、お待ちください」

 店員は、同じ店の制服を着て商品を並べていた初老の男性のところに駆け寄り耳打ちをした。

 今度は男性も驚いて駆け寄ってきた。

「何か、事件か何かですか?」

 本城は答えに窮した。

「いえ、指名手配犯の目撃情報があったので、その確認です」

「どんな事件でしょうか?」

 不安そうな店長に対して石動は笑顔で応えた。

「申し訳ありません。まだ、マスコミにも流していない案件なので出来れば、私たちがここに来たことも公言しないでください。後は我々にお任せください」

「は、はい!」

 それから、正行たちはバックヤードに通された。

 モニターの前には石動が座り正行たちは周囲で見守る。

 この手の機器にも慣れているのかダイヤルなどを器用に操作していく。

 倍速なので人の流れが速い。

「あ、いた」

 正行の言葉に石動が停止ボタンを押す。

 そこには確かに秋水の姿があった。

「時間は⁉」

「今から一時間前だな」

 興奮気味の本城に石動が確認する。

「あれ? なんか、こっち見ていません?」

 正行の言葉に他の二人がモニターを凝視する。

 灰色のモニターで分かりづらいが確かに再生すると、何度か秋水は監視カメラを見ている。

 商品をかごに入れレジへ行く。

「結構大量に買ったなぁ……」

 本城が誰にあてるでもなく言う。

 かごの商品は全てビニール袋に入れられ商品を受け取る秋水。

 レシートの受け取りを拒否し店を出た。

 最後に店を出るとき小さくレジを指した。

 正行はバックヤードを出て秋水が清算したレジから受け取りを拒否されたレシートを持ってきた。

「この中に親父のレシートがあるはずです!」

 三人は手分けをした。

 最悪、捨てられている場合もある。

 時間などを照合していく。

「……あった‼」

 正行の言葉にすぐに他の二人の視線が注ぐ。

「『南国果実100%リキュール』『海苔の天ぷら』『干しホタル烏賊』『野イチゴのグミ』『ミカンジュース』『野菜ジュース』『港から直送 秋刀魚フライ』『カキフライ』『雨具』『桜餅』『笹かまぼこ』『ラーメンの元』『わかめおにぎり』『レモン味の飴』『たたみいわし』?」

 商品を読み上げる正行。

 その言葉に石動の血の気が引いた。

 バックヤードに甲田が来た。

「すいません……車出すのに手間取って……」

「甲田、お前の車は⁉」

「店前のアコードです!」

 椅子から立ち上がりながら足早にバックヤードを出る石動。

 正行たちは付随するように驚く店員や客たちに愛想笑いをしつつ追いかける。


 運転席に甲田、助手席に石動、後部座席に本城と正行が座りシートベルトを確認してコンビニを出た。

「星ノ宮第二ふ頭に最短で行ってくれ!」

「はい……って、師匠の居場所が分かったんですか?」

 甲田の言葉に若干いら立つ石動。

「正行! お前、あのレシート持っているか?」

「は……はい」

「レシートの商品名を縦読みしてみろ」

「縦読み? ……『南』『の』『干』『野』『ミ』『野』『港』……南の星ノ宮港……星ノ宮第二ふ頭‼ 石動さん、頭いい!」

「馬鹿‼ 問題はそこじゃない。続きを読んでみろ!」

「続き? ……『カ』『ア』『さ』『さ』『ラ』『わ』『レ』『た』? ……『母さん、さらわれた』⁉」

「え? 師匠の元奥さんですよね?」

 本城が聞き返す。

「たぶん、琥武陵は正行の母親を誘拐し、何らかの形でおやっさんに接触してきた」

「そんな‼ 俺たちがいたんですよ‼?」

 本城が反論する。

「何も直接じゃなくていい。そこはおやっさんからきっちり聞けばいい話だ。しかし、下手に動けば、向こうも百戦錬磨の兵だ。わずかな変化でも見逃すこともないだろうし、仮に見つかっても人質を殺すだろう……」

 赤信号で車が停まる。

 重い沈黙が流れる。

「許せない」

 その言葉は正行の口から出た。

「親父も琥武陵も俺や本城さんたちにどれだけ心配かけているんだ!?」

 心底、正行は怒っていた。

「まあ、おやっさんも強いさ。簡単にはやられまい」

 落ち着かせるように石動が制する。

 車が再び動き出す。

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