1章 その一 父、逮捕される……?

 その日は、大学の授業もなく、正行は思う存分父親を相手に武術の修行に励んでいた。

 昼時になり先に道場を出た秋水は台所で料理を作っていた。

「親父、今日の飯は何?」

 最後の素振りを終え、汗を流して着替えた正行が土間で手際よく料理を作っている父親に聞いた。

「うーん、色々考えたんだけど、もうすぐ爺様の四十九日じゃん? だから、おはぎと豚汁にした」

 なるほど、秋水の前にはおいしそうな餡子、きな粉、すりごまのおはぎが出来ていた。

 横のガスコンロには大鍋から豚汁のいい匂いがしている。


 数分後。

 土間の隣の居間で二人は昼食を済ませて横になっていた。

 秋水は横になったままテレビをつけて昼間のニュースを見ていた。

 正行はぼんやりと天井を見て様々な空想をしていた。

 庭先で鳥の鳴く声がする。

 実に平凡な日常であった。

 その平凡を破る音がした。

 庭先にホンダのアコードが停まった。

 覆面パトカーの代名詞である。

 中から顔見知り、というより、祖父の代から通っている弟子の本城新之助ほんじょうしんのすけ甲田勇こうだ いさむ両刑事が出てきた。

 普段なら明るく挨拶をするが、今の二人にその雰囲気はない。

 玉砂利の庭を横切り、縁側の前で止まった。

「平野平秋水さん、いらっしゃいますか?」

「どうしたんですか?」

 突然の訪問に正行は戸惑った。

「どうした?」

 のろのろと起き上がる秋水。

 甲田が本城に目で合図をする。

「平野平秋水さん、本日現時刻を持って違法占拠などにより逮捕します」

 その言葉に正行は体から文字通り血の気がサーッと引くような思いがした。

 確かに秋水は不動産業で占有屋をやっている。

 しかし、それはいわく付きの物件に限ってのことであるし、なぜ今なのか?

 もっと早く知っていたのではないか?

 正行が反論しようとする。

「甲田さん‼」

「……このような形になり、残念です」

 甲田は静かに有無言わさず、正行の言葉を止めた。

「ほいほい、じゃあ、後片付けよろしく」

 まるで近くのコンビニにでも行くように秋水は立ち上がり刑事たちの前に立った。

 そして、両手首を差し出した。

「重ね重ね申し上げますが……このような形になり残念です」

 そういうと本城は静かに手錠を出し、秋水の手首にはめた。

 冷たい音がした。

 正行は我知らずに泣いていた。

「大丈夫だって……今生の別れでもあるまい」

 逆に秋水が正行を慰める。

「それでは、行きましょうか?」

 秋水は甲田たちに促されるように車に乗り込み走り去っていく。

 その姿を見ながら正行は畳に手を置き泣くに泣いた。

 胃の中の者が全部凍り付いたようだった。

――こんなことがあっていいのか!?

 正行は法律に関してはほぼ無知である。

 しかし、今回の逮捕はあまり唐突であった。

 裏社会のことでなら正行もまた逮捕されるべきであるはずなのに、なぜ、父だけが逮捕され連行されたのか?

 自分の無力さが堪らなく辛かった。

 やがて、悲しみの中にもいくらか落ち着いた心が出てくる。

 正行は、台所の水道で顔を洗い、言われたとおりに後片付けをして家の戸を全部閉めると納屋に収納していた正行の愛車、ハーレーダビットソンを出してフルフェイスのヘルメットを被りアクセルを踏んだ。

 ハーレーは爆音を轟かせながら一路、街のほうへ向かった。


「あら、残念ね。肇さんは一昨日から台湾に行っているの」

 石動の妻であるナターシャは少し困ったような顔で正行に告げた。

 石動邸の鉄製の門の前でヘルメットを取った正行は「え?」としか言えなかった。

 普段ならば石動肇の妻の美しい顔立ち、特に青い目と黄金色の髪に心がどきどきするが、今はそんな余裕はない。

「なんでも、台湾で行われるコンペに行くとかでお友達と台湾へ一昨日行ったのよ」

 流暢な日本語によって正行の目の前が真っ暗になった。


 気が付いたら、ラーメン屋でラーメンをすすっていた。

 昼食を食べた後だが、普通に食べることができた。

「正行さん、これで替え玉五玉目ですよ」

 顔なじみの店員が心配そうに麺を目の前のどんぶりに張ったスープに入れる。

 それを勢いよくすする。

「こういうのも変ですけど、食べすぎると大変ですよ」

「分かっています」

 そうは言うが、石動がいないとなると、どうやって父親を救っていいかわからない。

 目が痛いのは来る前に泣いたせいだろう。

 と、暗く沈む正行の胸ポケットからけたたましい電子音が流れた。

 取り出すとスマートフォンからだ。

 発信者は、正行が通っている大学で同じ学部の学んでいる女性からだ。

 確か、大学の図書館で司書のアルバイトしていたはずだ。

「はい、平野平……」

 出た瞬間、女の金切り声がする。

『正行君‼ 一体いつになったら英語の辞書返してくれるの‼?』

「まだ、一週間もあるでしょう?」

『あと一週間よ‼ あなた、延滞ばかりしているんだから‼』

 いくら裏社会で生きていても、世の中では自分は大学生なのだと自覚する。

 それが妙に嬉しく口元が緩んでしまう。

「分かりました。今週に返します」

『約束よ!』

 電話が切れた。

「大変ですね」

 苦笑いをしながら店員がお冷を注いでくれた。

――あれ、今、自分は何で連絡を取った?

「ああああああああああ‼」

 突然、正行は叫んだ。

 周囲の客や店員が驚いて正行を見る。

 その様子に正行は顔を赤くして身を小さくした。

「すいません、お会計お願いします」


 ラーメンを食べ終えて、正行は真っ先に自宅に戻りスマートフォンを出した。

 電話帳機能から『石動肇』を探し出した。

 数回のコールの後、『はい、石動です』と知らない声が返ってきた。

 思わず、正行は自分からかけたのに、こう言った。

「どちら様でしょうか?」

『え? ……ああ、君はもしかして、平野平正行君?』

「は……はい」

『なるほど、確かにまっすぐ通る声をしているね……俺は大野(おおの)太(ふとし)。肇の友人で共同経営者だ……と、噂をすれば……おーい、肇。平野平正行君から電話』

 しばらくガサゴソと音がして今度こそ石動肇の声になった。

『おう、すまんな。今、ホテルのシャワーを浴びていたところだ。これから夕飯に行くから』

 内容はともかく、正行は石動の声に涙が溢れた。

「石動さん……俺、どうすればいいですか?」

『話が見えないが、どうかしたのか?』

 正行は秋水が警察に連行されたことを話した。

 冷静に話そうと努めたが、最後は涙声になってしまう。

 数分、石動は泣くに任せた。

 というより、その間に着替えているようだ。

 そして、泣き止むのを待って静かに深く落ち着ける声で正行に語りだした。

『正行、よく聞け。これは、おやっさんからお前へのテストだ』

「テスト?」

『お前がこれから裏社会の中でも生きていけるかどうかのテストだ。そうでもなきゃ、おやっさんがむざむざ逮捕されるはずはない』

「でも、俺、そう言われても……」

 正行は戸惑った。

 それまで正行はあくまで、『アシスタント』程度の役割を与えられなかった。

『正行、お前はお前が思っている以上に力があるはずだ……大丈夫、お前ならやれる』

「……わかりました」

『俺もおやっさんもいつかは離れていくかもしれない。でも、それを恐れるな』

「はい」

 正行は電話を切った。

 スマフォをポケットに入れて涙をぬぐう。

 でも、どうすればいいのだろう?

 しばし、正行は座って天井を仰ぎ見た。

 父がパソコンを数台保有していたことを思い出した。

 それから、再び立ち上がると二階へ上がった。

 自分の部屋ではなく、隣の秋水の部屋へ入る。

 相変わらず、物が散乱している。

 幸い、腐敗臭のする生ものはないが乱雑に読み捨てられた雑誌やらCDに歴代のゲーム機、ガンプラ、よくわからない電子部品などなど。

 正行は、獣道のような足場から一台のノートパソコンを探し出した。

 すぐに自室に向かい、自分の机において画面を開き立ち上げた。

 機種が古いのか、ガガガ……と音がして真っ暗い画面に白い文字が目にもとまらぬ速さで映し出されてようやっと起動音がした。

 すると、スタート画面に【パス―ワード入力】の文字が出た。

「ぱ……パスワード?」

 正行は思いつくままにキーボードをたたいた。

 自分の生年月日、母親の名前、秋水が乗っている車の自動車番号等など。

 しかし、どれも弾かれてしまう。

 そのうち【自爆○○分前】に変わり画面が赤く点滅する。

 追い詰められる正行。

 やがて、分数が秒数になりゼロになった。

 瞬間、思わず机の下に身を隠す正行。

 だが、約一分経っても何の変化もない。

 実は単なるジョークプログラムだったのだ。

 この様子を父が見たらニヤニヤ笑うのだろう。

 そんなことを考えながら机からあきれた表情で立ち上がり画面を見ると、パスワード入力画面もなくなり、大量のファイルが出てきた。

 本業の不動産関係に関する会計などの実務からゲームや自作の小説まで様々だ。

 それらを精査していく。

 気が付けば、空が真っ暗になっていた。

 脳が痛い。

「今日は、休もう。うん、休もう」

 誰にも宛てるわけでもないのに正行はつぶやき、戸締りをするために下に降りた。

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