【エピローグ】Phase3

 断微凛の隠れ家は昼食時を迎えていた。

 今日の献立は、ほどよい固さのご飯、きれいに焼かれた干物、あっさりとした漬け物、薄味の味噌汁だった。

「うん、美味い。ようやくまともな飯になってきたね」

 満足いく味にしみじみと凛がつぶやく。

「いえ、まだまだですよ。今後も練習を重ねませんと」

 そう謙遜しつつも、貞華の口調には嬉しさがにじんでいた。

 あれから一週間が経っていた。

 棚の上のラジオから流れるニュースは、連日のようにサウザンウン共和国について報道している。

「今日、国外に亡命していた前将軍の実弟が帰国し、新たに将軍の座に就任しました。前将軍の指示で誘拐された方々の解放を進めると、発表しています。なお、話題となった陽炎崎博士に関しては行方が分からず、目下捜索中とのことです。では引き続き、午後の音楽をお楽しみください」

 番組が切り替わり、落ち着いたクラシック音楽が流れてくる。

 貞華がぼんやりとラジオの方を見やった。

「結局、幽姫さんは姿を消してしまいましたね……」

「アタシが貞華のところへ戻ったときにはもういなかった。ま、フられたわけだし、合わせる顔もなかったんだろうよ。貞華の傷をいくらか塞いでくれたのは助けてもらった礼ってとこか」

 凛が食べる手を止めずに話す。ブラウスの下からは巻かれた包帯が垣間見えていた。

「お礼を言いたいのはこちらの方です。過程はどうあれ、わたくしが前に進むきっかけを作ってくれたのは、幽姫さんですから」

「そうだね、元はと言えばあの小娘がぬらりひょんの奴に誑かされたから……」

 言いかけて凛が箸を持つ手を止める。表情が若干険しくなっている。

 その反応を見た貞華が不思議そうに訊く。

「何か料理に入っていましたか?」

「まさか、いや……なんでもない」

 そう言ってまた食べ進める凛。しかし頭の中にはある疑念が生じていた。

(妖遣い・陽炎崎幽姫は天才科学者でもある。そんな頭脳を持った奴がぬらりひょんの計略に気づかないなんてあるか? そりゃ、色に狂ってたといえばそれまでだが……。だいたい気づいてたとして、何でわざわざ取り込まれるなんて危険な真似をするんだい。ったく、年頃の娘の考えることは分からん)

 と、玄関の扉がノックされる。凛は反射的に「開いてるよ」と言ってから、慌てて扉の方を振り向く。

「おい……この家は結界で隠してるんだよ。誰が来るって言うんだい」

「ほかの退魔師の方でしょうか」

 食器を片づけていた貞華が緊張した顔で刀の柄に手をかける。

 ドアが勢いよく開く。

「貞華ああああああああああああああ会いたかったわーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 満面の笑みで飛び込んできたのは、赤い着物の小柄な少女だった。

「ゆ、幽姫さん、あの、ちょっ……!?」「あぎゃっ!」

 面食らって貞華が思わず飛び退く。幽姫が、貞華の居た場所の床にビターンと落ちて、悲鳴を上げた。

「出やがったね小娘! 一体どうやってここを突き止めた?!」

「貞華が教えてくれたのよ」

 幽姫が顔をさすりながら平然と言う。凛に険しい顔でにらまれて、慌てて首を振る貞華。

「正確にはそこの御札ね。ほら、刀の柄に貼ってあげたやつよ。それをたどってきたの」

 小さな手が、貞華が佩いた刀を指さす。

「なんだ、また剥がしてなかったのかい」

「ここ一週間、けがの治療などで忙しかったもので……」

 貞華が腰の刀を見てため息をつく。

「それにしても、ずいぶん辺鄙なところにあるのね。私と貞華の愛の巣は。歩いてくるの大変だったんだから」

 勝手なことを言いながら、幽姫が室内をぐるりと見回す。

「ヒトの家を勝手に愛の巣にするんじゃないよ!」

「それ以前に、妖遣いとは一緒にいることができない、と言ったはずですが……」

 貞華の言葉に、幽姫がきょとんとした顔になって、

「あら、あなたの師匠の許しはもらってるけど?」

 ゆっくりと首を凛の方へ向けた貞華。その目は裏切り者を見るような目をしていた。

「オイコラ小娘。デタラメ言うんじゃないよ! 一体アタシがいつ許可したって言うんだい!」

「ミサイル施設の部屋であなた言ったわよね? 『木っ端妖遣いならともかく』って。あれはつまり、私が雑魚レベルの妖遣いなら、貞華の側にいても問題ないってことよね」

 幽姫の確認に、凛が嫌そうな表情を作る。

「そりゃ言ったけどさ……だが、あんだけの実力がある奴を雑魚とは」

「雑魚よ」

 凛の言葉を遮って、堂々と言い切る幽姫。

「ぬらりひょんに取り込まれたとき、妖遣いの力をほとんど持ってかれてしまったのよ。今の私は、下級妖怪を一匹――それも短時間呼ぶだけで限界。だから歩いてきたんじゃないの」

 幽姫の足下をよく見ると、草履ではなく丈夫そうな地下足袋を履いていた。

「確かに、そこまで弱体化しているなら危険はありませんが……」

「ぐっ、この口達者が……あっ、くそ、そういうことか!」

 悔しそうにしていた凛が、急に得心いったような声を上げる。

「お前、それが狙いだったんだろ!」

「何のことかしら?」幽姫が表情を消す。

「とぼけんな! わざと力を失うために、ぬらりひょんのヤツを利用したね! 相手の計略に乗っかったフリして、いやそもそも計略も誘導して――」

 凛の追求から逃げるように、幽姫が貞華のコートの下へ潜る。

「貞華ぁ。どうしよう、あなたの師匠、ちょっとボケがきてるわー」

「なんだとー!?」

「ちょっ、幽姫さ……やめっ」

 貞華があたふたしながら顔を赤くしている。隠れた幽姫が、なにやら中でゴソゴソとやっているらしい。

 コートの中で顔の見えない幽姫がくぐもった声を出す。

「……仮にそうだとして、何か問題があるの? どっちにしろ私が、木っ端妖遣い、になったのは事実よ。居たっていいじゃない、ねぇ貞華?」

「さっきからアタシの言葉を繰り返しやがって……! 貞華が恩に思ってなきゃぶっ飛ばしてるところだよ!」

「わかっ、分かりました! 居てていいですから、とりあえずコートから早く出てください!」

 根負けしたような叫び声とともに、貞華が強引に幽姫を引き剥がす。

 目をギラギラさせた凄絶な笑顔で、幽姫が再度抱きつく。

「ありがとう貞華大好きよ! 今日からここでいっぱい二人だけの愛を育みましょうね!」

「さりげにアタシを追い出してんじゃねぇぞ小娘えええええええぇーーーーっ!」

 凛が弟子にひっついた小娘の両脚をつかんで引っ張る。喚きながらも貞華のコートから手を離さない幽姫。貞華がコートを脱ぎ捨てて遁走する。

 狭い部屋の中で3人がどたばたと追いかけっこを始めた。


 振動で棚の上のラジオが落っこちて、クラシック音楽の落ち着いた調べがブツッと途切れた。

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奇機械怪~退魔少女の斬撃乱舞~ @sauto

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