#5

「はじめまして、蒼くん。奏の父親の桜花瑞稀です。」


 部屋に入ってくるとフードを取り、長身の男が挨拶する。俳優かと思うほど美形で、今度の少女漫画の実写化映画で主人公の彼氏役をしますと言われても違和感がない。中学生の娘を持つ父親にはとても見えない。


「はじめまして。結局ここは分かりやすくいうと何処なのですか?」

「日本のとある地点からテレポート出来る空間で、その空間自体が萬屋本拠地『隠れ里』と呼ばれている。ここは隠れ里にある始まりの島のログハウス、この説明でひとまず飲み込んでくれるかい?」

「異世界とか、仮想世界とかとは違うのですか?」

「違うね。物理的に存在しているし、時間軸的には君が今まで暮らしていた空間と同一だ。自由にと言ったら少し語弊があるけれど、理論上自由に萬屋の人間は行き来出来たり、そもそも地理的に全く違うがイレギュラーなパラレルワールドのような認識でどうかな。」


 一瞬の静寂が場を包んだタイミングで桜花灯は

「食べたらまた眠くなったわ。瑞稀と2人でごゆっくり。ゲストルームで寝てるから用事があったら呼んで。」と言って部屋を出て行った。空いた椅子に桜花瑞稀が腰掛ける。

 桜花瑞稀に説明された内容は思いの外難しい……状況を整理すると、僕は突然謎の組織に拉致され1人では脱出不可能に思われる場所でこうして目覚めたらしい、ということは理解出来た。だが、何か突破口を見つけなくてはならない。


「ふむ……」

「そんなに難しく考えなくても良いよ。これから嫌というほど長い時間隠れ里で暮らすことになるのだからね。結局のところ、ここは現実。君はこれから魔力の制御を学んで立派に社会貢献する運命にあるってことだけ理解してくれれば今日のところはノルマクリアさ。」

「元の生活には戻れないのですか。」

「うん、無理だね。これは君に限ったことでは無くて、萬屋の人間は皆そうなんだ。ある日突然萬屋に加入させられ、魔力の制御を学びここで生きていくんだ。」

「何故?魔力というものが存在するとして、それの制御の仕方を学んだら普通に人間として暮らせるのですよね?」

「理論上はそう。だけど、そうもいかないから萬屋の本拠地の名前は『隠れ里』なんだ。自分には出来ない手段で目的を達成する人々のことを向こうの人々は恐れるからね。向こうの人々の方が数は圧倒的に多い。そこから先は今の所は想像に任せるよ。どうせ学院で習うし。」


 学院という言葉に反射的にげんなりする。学校まであるのか、ここは。話を聞く限り、新興宗教の出家の勧誘を受けているような話しか無いのだが、ただ魔法として見せられたものは本当に人間技には思えなかった。視覚は完全にこの人達を信用してしまっている。でもこの人達の話を信じてしまったら元の生活に戻れないことが確定してしまうようで、それは絶対に認めたく無い。自分は客観的に考えても今までそれなりに充実していて幸せだったと思う。それを失うのは許せない。


「でも、人を攫ったら警察が動くのではないのですか。」

「結論から言うと動かない。絶対ね。そこは萬屋のプライドにかけてそう断言させてもらう。最初に灯が誘拐といえば誘拐と言葉を濁した訳はね……現在萬屋がやっているのは『人と人とのすり替え』だからだ。」

「人と人とのすり替え?」

「そう。昔は魔力持ちの人々を保護する時にそのまま攫ってきて痕跡を消去していたのだけどね、諸々の都合からこちら側で生まれた子供と魔力持ちの人々をすり替えているんだ。勿論最適化して大規模に色々と変更はしているけどね。」

「じゃあ、さと…奏さんが如月奏になったというのは……。」

「お察しの通り。君は桜月舞を中心とする今回の実行チームの手によって桜木奏とすり替えられ、めでたく萬屋本拠地にやってきたってところさ。」

「つまり……俺の帰る場所は……。」

「もう無いよ、向こう側には。残念ながら。でもね、桜木奏にも帰る場所はこちら側にはもう無い。今でも僕はあの子の父親のつもりでいるけれど、多分もうあの子にとっては自分を捨てた親だ。」

「僕が帰りたいと言ったら?」

「元の生活に戻りたいという意味なら答えは一つ。全力で妨害する。ただ自分の置かれた状況を理解するために一度君の向こう側で住んでいた家をこっそり覗きたいと君が望むなら、1度だけ許可が出る。その時は僕が同行する。大事な1人娘なんだよ、僕にとって奏は。」

「少し考えさせてください。」

「いいよ。まだ時間があるからね。聞きたいことがあれば聞いてくれ。」


 話した感じ、桜花瑞稀は桜木奏の父親かどうかは置いておいて思い入れがある人物であり、今回俺と入れ替えるのに桜木奏が使われたことを本当に惜しく思っている気がする。

 桜花瑞稀は桜花灯と夫婦関係があるかは奏の苗字が桜木であるため安易に断定は出来ないが、陛下と桜月舞に言われた桜花灯との間を子供がいる時点でそれなりに力をこの萬屋と呼ばれる組織の中では持っていると考えるのが妥当。

 その力を乱用しないと自分を律している、または出来ない立場にあり自らの娘を組織の活動に差し出した。だが、やはり娘の現在の姿が気になり僕の状況の受容のためと口実をつけて、一目見に行きたい。

 桜花瑞稀の話が全て真実だとすればこんなところか。

 僕は僕で自分の今までの人生を無意味なものにはしたくはない。

 だとしたら僕の出すべき返答は一つだ。


「元いた場所を見に行きたいです。」

「蒼くんにとっては辛い光景が広がっていると思うけど。」

「自分の目で確かめたいです。正直奏さんのお父さんの話は都合が良すぎる。でも元いた場所に行かせてくれるというのなら、それに乗らない手は無いじゃないですか。もし奏さんのお父さんの話が嘘ならばそこには警察がいるだろうし、俺が元の生活に戻る助けになると思う。勿論、連れて行ってくれるというのもそもそも嘘の可能性もあるわけですが。」

「ありがとう、蒼くん。今日はもう夕方だし向こうに行くのにも色々準備がある。行くのは明後日。後僕のことは瑞稀で良いよ。」

「はい、分かりました。瑞稀。」

「じゃ、そろそろ体も起きただろうし食器を片付けに行くついでにリビングに行こうか。今ここのログハウスにいる人に挨拶しに行こう。あ、そうそう着物似合ってるよ。」


 眠っている間に着替えさせられたのだろうか。俺は白い着物を着せられていた。帯は薄紫だからまだ良いのだが、これって……。


「なんか死装束のようで不吉なんですが。このシチュエーションで白い着物って。」

「あはは。萬屋の新人の正装なんだ、それ。近々蒼くんが参加しなくてはいけないイベントがあるのだけど、今日脱いだらその時まで着なくていいから。君、ここに着た時パンツ一丁で酷い格好だったからって灯が着付けたんだよ。着物って昏睡状態の人にも比較的着せやすいからね。」


 言われて気づいた。そうだ、僕はあの日家に帰ってからずっとパンツとTシャツの上からワイシャツという格好だった。もしかして奏と桜月舞が僕のこと指差して笑っていたのって……。


「ほら、行くよ?」

「あ、行きます。行きます。」


 モタモタしている僕を部屋のドアに手をかけながら瑞稀が急かす。慌ててお盆を持って僕は瑞稀に続いて部屋を出た。

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外道の魔術 柚野 詩子 @drop_yuno

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