Ⅰ
#4
『ぐぅぅうう』
盛大にお腹が鳴った音で目が醒める。
目が覚めたときに毒虫になってしまったことに気づくカフカの有名な小説があるが、僕は目が覚めたとき自分の腹の上を枕のようにしてうつ伏せにベッドサイドの椅子に腰掛けながら眠る女性に気がついた。いや、誰だこの人は。結構遠慮なく枕にされていて重いのだが起きる気配が無い。
「重いとか軽いとか気にする前に、ここはどこかとか、いまはいつなのかとか気にならないのか?坊や。」
忌々しい自称魔法使いの声が降ってきた。一気に記憶が蘇る。僕はこいつに気を失わされたんだ。
そんな彼女は僕の枕元に立って腰を軽く曲げ身を乗り出すようにして見下ろしてきていた。
「いや、それは確定していないだろう?坊やが聞いたのは鈴の音で奏がやったという可能性は切れていない。勝手に思い込みで考えを進める癖は直した方がいい。」
「そうですね。で、佐藤さんがやったのですか。あと一々俺の考えていること、その魔法とやら?を使って当ててくるのやめてください。」
「いや、坊やを眠らせたのは私だ。後、坊やの考えていることを当てることなんて魔法や魔術を使うまでもない。坊や、すぐに顔に考えていることが出るからとても扱いやすいぞ。」
結局お前なのかよ。相変わらずの掌で転がされる感覚に腹がたつ。
「腹が立つ前に腹が空いていたんだろう?待っていろ、食事を用意する。多分しばらく起き上がれないだろうから、そのまま寝ていろ。」
そう言い残すと自称魔法使いは部屋から出て行った。腹の女性は相変わらず眠っている。自称魔法使いも腹の上の女性も夏祭り帰りのような格好ではなく、デザインの違いはあれど黒いワンピースにマントといういかにも魔女というような格好をしている。既に魔法とやらの被害は受けているので魔法とやらが実在するのは信じられるのだが、こうもイメージ通りの格好をされると何となく胡散臭い。いや、自称魔法使いに会ってから胡散臭くないことなんてなかったから、更に胡散臭いと言うのが適切か。
改めて部屋を横になったまま見渡すと、天井も壁も床も一面……六面?栗色の木で出来ていた。ここはログハウスなのか?
天井はかなり高く、僕の部屋の1.5倍はありそうだ。部屋自体もかなり広い。見える範囲から推測するに学校の教室くらいもしかしたらあるかもしれない。流石にそれよりは小さいか。
部屋の中央だと思われる場所にベッドが置かれているらしく、真上の天井には変わった形のシャンデリアがある。栗とかウニのような形だが棘1つ1つは太くて数もずっと少ない、そんな形をしたトゲトゲした球体だ。あれ、でも照明があるべき位置にあるのでシャンデリアだと思ったが電球が付いていない。単なる飾りなのか。天井から床までありそうな大きな窓から光が射し込んでいるので今は少なくとも出番は無いか。
「シャンデリアで合っていますよ、点けましょう。」
『パチン』
指を鳴らす音と共に部屋にオレンジ色の光が広がる。自然光ですでに明るかった部屋にオレンジ色の優しい光が足された感じだ。シャンデリアの方を見ると棘の先端は豆電球のように光っている。
と、そんなことはどうでも良いんだ。いつのまにか起きていた腹の上の女性……今はベッドの隣に置かれた木製の椅子に座っている……この人は何なんだ。しれっとこちらを向いてニコニコしているし、何処と無くお上品な雰囲気が漂っているが、僕は先程まで腹を枕にされていたのは忘れていないし、この女性の口の周りが湿っぽくてイマイチサマになってないのも見逃していない。何より自称魔法使いの知り合いだ。
「そこは見逃してください。自己紹介が遅れました。桜花灯です。蒼さん、はじめまして。早くご挨拶をしたかったのですが、蒼さんここにやって来てから2日弱眠っていらしたものですから。いつ起きてくれるかしらと待ち構えていたら眠ってしまいましたわ。」
口元をカバンから取り出したハンカチで拭いながら、腹の上の昼寝女性、じゃなかった桜花灯が挨拶する。
「はぁ、そうですか。俺の名前ご存知なんですね。如月蒼です。これって、あれですよね。誘拐ですよね。」
「もちろん知っていますよ。そうですね、誘拐と言えば誘拐ですね。もう少し複雑な事情が絡んでいるのですが、それよりお食事にしましょう?」
そう言って桜花灯がドアの方を見ると音も無くドアが開く。ドアの先には自称魔法使いが食事らしきものを載せた大きな木のお盆を持って立っていた。
「お気遣い感謝致します。陛下。簡単なもので申し訳ないですが、よろしければお召し上がりください。」
灯が指を再び鳴らすと、ベッドのすぐそば、僕の枕側に木製のテーブルが現れる。
「簡単なものと言いながら随分いい匂いだわ。それと今更な敬語と陛下呼びはやめてちょうだい、舞。舞に敬語を使われるとゾッとするわ。」
「坊やに灯が舐められたら困ると思った気遣いだ。坊やは空腹に急に掻き込まないように。」
「相変わらず舞は物騒ね。さ、冷めないうちに蒼さん、いただきましょう。」
自称魔法使いは舞という名前らしい。覚えた。今、後でボコボコにするリストに名前を追加した。舞はテーブルに食事を置くと再び出て行った。
そして僕は勧められるがままに枕元に置かれた食事に手を伸ばす。食事は白木の器に盛られた黄色いお粥のようなものだ。魔女が粥を出してきた。しかも黄色い。キュケオーンじゃないかと嫌な予感がする。
「ただの卵粥だと思うわよ。米粒くっきり見えているし。安心しなさいな。毒も入っていないわ。キュケオーンだなんて良く知っていたわね。古代ギリシャ料理でしょう?あれは。」
「最近読んだ本に出てきたんです。……本当に卵粥ですね。出汁が効いてて美味しい。」
「随分マニアックな本を読むのね。私のポンデケージョとオニオンスープも丁寧に作ってあって美味しいわよ。舞は相変わらずお料理上手ね。」
「仲良いんですね。」
「プライベートではママ友みたいなものよ。私、奏の母なのよ。舞にもかつては息子がいて、今は娘がいるわ。奏には会ったでしょう?あの子ちゃんと笑えていた?」
急に現実に引き戻されたような気分になる。そうだ僕は誘拐されて、どう考えても佐藤さんは事件の関係者だ。慎重に話をしなければならない。ここはどこなのか、長時間眠っていたのは本当なのか、だとしたら警察の捜索は来ないのか、少しずつ探ろう。
「佐藤さんのお母さんなんですか。」
「佐藤さん?あの子は桜木さんだったわよ。多分日本人に1番多い苗字名乗った、って感じだと思うわ。」
偽名を使うという時点で十分不自然なのだが、桜花家の子供なのに奏は桜木奏、なのか。疑問ばかりが湧いてくる。
「だったってことは、今は佐藤さんなんですか?」
「いいえ、今は如月奏よ。」
如月という苗字はとても珍しい。僕自身自分の親戚以外で如月さんに会ったことがないし、存在を聞いたことがない。その如月に桜木奏がなる、というのはどういうことなのか。勝手に結婚でもさせられたのか、いやでも僕はまだ結婚出来る年齢ではないし。
「混乱しているわね。あのね、蒼さん。落ち着いて聞いてね。あなたには魔力が宿っていて、近い将来魔力が暴走する危険があったの。魔力が暴走したら、そのつもりが無くても周りに危害を及ぼしていたわ。」
「だから、隔離する必要があった。魔力を持った人々のコミュニティ、通称『萬屋』では魔力を持った人々を保護し、魔道士、魔術士として育てあげています。ようこそ、萬屋本拠地『隠れ里』へ。」
しっとりとした声でそう言いながら、真っ黒いコートを着て、大きなフードで顔を隠した人物が部屋に入ってきた。
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