赤黒色の砂漠

ミスターN

第1話 赤黒色の砂漠

 辺り一面に広がる、まるで酸素を失った血の様な赤黒色。

 

  ――それは我々を構成していたはずの血の色だった。

 

 小高い丘の下で朝日を浴び、まるで川面の様に光を揺らがせながら暗い輝きを放っている。

 

  ――体の内を流れる赤黒は、いつしか外へと流れだし我々を覆い尽くすことになった。

 

 それはこの丘の周辺だけではない。雲一つない青い空を除いて、見渡す限りの地面は丘を除いて赤黒の砂に支配されている。

 

  ――我々の多くは赤黒によって支配されていた。故に多くが赤黒によって呑まれた。

 

 そしてそこには奇妙な柱がぽつぽつと、まるで忘れ去られたかの様に生えていた。

 

  ――忘れてはならない。

 

 所々に生えた地面と同色の柱は、その地面に影を落として自身の存在を無言のうちに叫んでいる。

 

  ――赤黒は我々自身であったことを。

 

 

[ねぇねぇ。起きてよアサカ。もう朝だよー]

 柔らかい声音が鼓膜をくすぐる感触に身じろぎをする。

「……ぅうーっ?」

 重たい瞼の緞帳がじれったいくらいにゆっくりと開くと、顔を覗き込む少女と灰色の天井が上下逆さまに映った。少女の瞳は多種多様な色が交じり合った奇妙な光を讃えていて、長く覗くと吸い込まれる様な感覚に陥る。

[やーーっと起きた。もーっ。何回も呼んだのに全然起きないもん]

「あー……。ごめんね……。まともなベッドって久々だったから」

 どうやら私を懸命に起こそうとしたらしい。ここ数日は野宿続きであまり寝れない日が続いて、疲労がピークに達していた。熟睡していたのだろう。

 昨晩この施設の中でベッドを見つけたときは思わず歓声を上げた。赤黒の砂に飲み込まれずに済んでいる建物は、この旅を始めてから2回しか見ていない。

 体を起こすと、周囲の風景から浮きたつ現実感の無い少女の姿が見える。深黒の髪に鉛白の肌。エキゾチックと言うには不思議すぎる服装は、無理に表現すると白のワンピースに黒の格子状のポンチョコートを羽織っているといったところか。

[早くゴハン食べよっ]

「分かったよカルマ……。それじゃあ用意しなきゃだね」

 ブランケットを退けてベッドから降り、軽く背を伸ばすとドッグタグと一緒にぶら下がった球体の中の針が揺れる。針は乱雑に動き続けているが、壊れているわけではない。

 粗末なベッドしかないシンプルな部屋の中には小窓から朝日が差し込み、埃が漂っているのがよく見える。この施設は一様に灰色の壁面で覆われていて、どこか冷たい印象を受ける。この灰色の見慣れない素材はコンクリートと言うらしく、昨日カルマが自慢げに説明していた。

[はやくはやくっ]

 カルマは私を急かすようにこの部屋の出口を指差す。もともとついていた金属製の扉は見るも無残に壊れ、この空間をより廃墟然とさせている。

 まあ、扉は私が昨日壊したものだが……。

「ちょっと待ってて」

 そうカルマに言うと、ベッドの傍に置いてあった人の腰丈程の白亜の人工物に近づく。騒動に紛れて箱舟から”拝借”してきたエクゾスケルトンだ。

 誤解が無いように宣言しておくが、盗んだわけではない。借りるときに『貴様! そこで何をしている!』と咎められたが、誤解されただけだ。

 滑らかな流線形と堅牢な直線の組み合わせで構成されたそれに足を収めると、一部は左右から浮き上がり腕に追従して動くアームとなる。『手となり足となる』というコンセプト通りだ。この試作エクゾスケルトンの開発コードは『象の足』だったか。

 前史では動物の象の足を指す以外に意味のある言葉だったらしいが、私は歴史に興味があまりないので詳しくは知らない。知らなくても使えるし、道具はそれで充分だ。

 ともかく準備は出来た。朝食を取りに行こう。


 エクゾスケルトンで少し高くなった視点から、ピョコピョコと跳ねるカルマの背中が見える。視点が高くなったにも関わらず彼女が見えるのは、カルマが地面から浮いているからだ。カルマはふわふわと上下に揺れ動きながら前に進む。

 施設から出てまず目に入ったのは眩しい朝日に照らされた二つの柱だった。入り口の前に並んで立っている柱はこの施設を守っているかのようだ。

[ふんふんふ~ん]

 カルマは鼻歌交じりに柱の周囲を泳ぐ。柱の周囲だけ雑草が綺麗に抜かれたように生えていない。

 視線を右に向けると少し離れた位置に別の建物が立っている。私が寝ていた施設よりも堅牢な見た目で、入り口の柱は4本と多い。それとは別に柱が十数本、並ぶように生えている。

「今日はこれかな?」

 人の背丈ほどの柱は樹木の様に1本の太い枝が生えていて、黒い塊が5本の細い枝に包まれている。一際大きい塊がついているものに狙いを定め、アームで脛にに固定された剣を抜き、枝先を一息に切る。

 この剣はこのエクゾスケルトンと一対になったもので、『電磁濃縮ブレードECB』と呼ばれるものだ。

 切られた柱の一部は落ちた途端、蒸発するように崩れて消えた。それと同時に包まれていた黒い塊がシャボン玉みたいに弾けると、金属色の四角い物体が姿を見せる。MREと銘打たれたアルミ製の真空パックだ。

「……」

 手に取った途端に嫌な予感がしながらも真空パックを破り開けると、中から茶色いパッケージが出てきた。やけに美味しそうにチョコレートバーを食べる子供の顔、見慣れたフォントの《This is nice!!》という白抜きの表示。

 ハズレだ……。

「またこれ……。はぁ……」

 親の顔よりも見たチョコレートバーである。この真空パックは汎用で別の中身が入っている可能性もあるのだが、毎度顔を出すのはこいつだ。

[文句言わないのっ。食べられるだけありがたいと思わないといけないんだよ]

 カルマから叱られた……。でも、その通りなのでぐうの音も出ない。この赤黒の砂漠で食料は貴重だ。

 そもそも私がこれを食べる要因を作ったのは他でもない、自分のせいなのだ。この旅を始める時、慌てて飛び出たので食料の計算を間違ったのがそもそもなわけで――。

「そうだね……。ごめん」

[分かればよろしいっ!]

 素直に謝るとカルマはニコニコと頷いた。

 ベッドのある部屋に戻り、お茶を淹れてから食事を始める。パッケージから中身をだしてモソモソと食べる最中視線を感じると、案の定カルマはこちらをじっと凝視していた。彼女は食べる必要性が無いので良いのだが、なんだか悪い気がする。

「見られながらだと、なんだか食べづらいんだけど……」

[えーっ。見てもいいでしょー。減るもんじゃないしっ]

 何度言っても見るのをやめないのだ。なんでも人が食べているところを見るのが好きらしい。

[食べるってどんな感じ? アサカはいつもムスッとしてるから嫌なの?]

 失礼な。誰が仏頂面だ。

「別に嫌ってわけじゃないよ。考え事をしてるだけ」

[へーっ。どんな事?]

「……あんまり楽しい事じゃないよ」

 この作戦が上手くいったとして、その先はあるのだろうか。私はきっと箱舟に帰れない。もう、私達にはあそこくらいしか家と呼べる場所は無いのにだ。これから向かう仮初めの都市も求める場所ではないのだろう。

[えーっ。つまんないよ……。もっと楽しい事考えなくちゃダメッ!]

 カルマは私に人差し指を突き付けてお説教をする。

「あははっ……。カルマは優しいんだね」

[えへへっ]

 この旅が一人旅だったら気が滅入っていた事だろう。私にとって、カルマの明るさは心の支えとなっていた。

 しかし、楽しい事か。

「ねえ、カルマ」

[なぁに?]

「この作戦が終わったら――」

 私はほんの少し笑いながら夢を語った。本当に夢のような話だ。カルマは楽しそうに返事をした。

 

 ――たわいもない話を取り留めもなく続けると、まもなく時間がやってきた。出発する時間だ。

「よし。出発するよ、カルマ」

 外に出ると日中の強い日差しが差しているにも関わらず、曇天の様に薄暗い。砂の性質によるものだ。日差しが一定以上強くなると吸収を始める。その時間帯は比較的涼しくてASFを発生させるエネルギーを節約できる。

HiDETハイデット起動」

 声に反応してエクゾスケルトンが青い燐光を放ち始め、地面から少し浮く。体重を前に傾けると滑るように前に進み、徐々にスピードを上げた。

 丘から砂に差し掛かると赤黒の波紋がどこまでも広がる。波紋はつながって航走波となり、やがて消えていく。ドッグタグの隣の針は振動を止めた。

 丘に残されたいくつもの柱は、その姿が見えなくなるまで見ていた。

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