第4話 セイゴへ
セイゴへ。こんなところから手紙を送るこ 自分の動機は誰にも理解されないし、され
とを許してほしい。何度も相談にのってもら る必要もない。ただ、誰からもうらやまれた
った。本当に「ナシ」をつけてくれた時、年 この肉体と、それに振り回されながらも魅力
下に君付けなんてなめられるだけだろうが、 に逆らえず従ってきた精神が、ついに喧嘩別
堂々とセイゴって呼べって言ってくれた。僕 れして、離婚と相成った、というだけの話な
の言動は人をイライラさせて、ましな人はそ のだが、それは理解されないどころの話では
のまま去っていくし、去っていくことができ なく、非難され、石を投げられ、日本中の夢
ない人(無理やり学校という檻の中に一緒に 見る少年少女とかいうものへの暴力だとして
放り込まれた可哀想な教師や、哀れなクラス 決して実行を許されなかっただろう。この施
メイトや、ご愁傷さまの両親や、お互い様の 設ができて本当によかった、と太郎は思って
同僚や、ついてないとしか言いようのない上 いた。スタンバイは何も動機を聞かないし、
司)や、彼ら以外の、そもそも人として「ま 誰にも知られずに、一人で静かに死ぬことが
し」じゃない部類の奴らは、僕を黙らせるた できる。死んだ後のことはどうでもいい。み
めに色々な手段に出た。話を聞いてやるなん んなで動機でも責任でも謎でも、どうとでも
ていってくれた人達は、君たちが初めてで、 ニュースの材料にして、自分の死をもてあそ
そして最後だった。セイゴのように大きくな べばいい。
れたらと思っていたら、背だけが伸びて、攻 彼がこの施設で気に入っている点がもう一
撃の当たり判定がデカくなっただけだった。 点あった。健康で死んでいく人間は、臓器提
三つの願い事を叶えてもらえると聞いて、ろ 供ができるというところだった。もちろん、
くでもない願い事しかできなかったバカな童 本人の同意が必要だが、公的な援助を受けて
話の主人公みたいだ。 自分の希望を叶えてもらう人々は、多くがそ
実は、今度の対象者は、セイゴをもっとマ のことに感謝をし、何かしらの還元をという
ッチョにしたような、でも挙動はいつも静か 思いで、臓器提供に同意する者が多かった。
で、しなやかな動きはまるで肉食動物のよう 太郎はスポーツ選手として、日本代表の座に
な、そんな空気の人なんだ。全く自分のこと 長くいた人間だった。チームのエースとして
を話そうとしないタイプで、マニュアルによ 貢献し数々のメダルをもたらしてきたこの体
れば、そういう対象者に対しては、面談室以 を譲り受ける人は、さぞ健康になるだろう。
外でのアプローチが推奨されてた。彼はいつ それを想像するだけで、気分は高揚し、誰か
も森に整備された散歩コースを、杖を突いた のものになるであろうこの内臓を最後まで健
老人達に注意しながら走ってるのだけど、相 康に保つために、日々走っているのだった。
当話しかけづらい。何故かというと、趣味、 ひとつ心配していることは、臓器が、元の
とか、ジョギングとかいう言葉はまったく似 持ち主の記憶を有しているという都市伝説だ
つかわしくなくて、訓練というか、自分の体 った。もしそれが本当だったら、自分の臓器
を極限まで痛めつける習慣というか、目を見 を受け取った人間が男性だった場合、困らせ
開いてものすごいバネで弾丸のように走り去 ることになりはしないか、というのが彼の懸
る様子は、鬼気迫る雰囲気があるんだ。だけ 念だった。彼はどこへ行っても女性ファンに
れど、そんな彼のウィークポイントを、つい 囲まれ、黄色い声援を一身に受けてきたが、
に見つけたよ。彼は多分、女性に弱いんじゃ 女性は恋愛対象ではなく、男性愛の持ち主だ
ないかと思うんだ。 った。スキャンダルを恐れ、絶対の秘密とし
持ち場が終わったハルさんを誘って、見晴 てその事実を胸の内に押し込めていたからこ
らしの良い屋外のベンチで昼食をとっていた そ、意志を失った臓器たちが、一斉に生前の
とき、彼はまた走っていて、周回コースの一 不満を満たさんと、新しい持ち主の意識に働
部分になっていた目の前の道を通り過ぎるた きかけ、同性愛へと引きずり込もうとするか
びに、ほんの少し分かるか分からないくらい もしれない。瞳が、心臓が、自分が密かに好
の所作で僕に目礼をしてくれてた。ハルさん みだったタイプの男性を見るたびに跳ね上が
は彼のことを驚きの目でじっと見つめてた。 り、散々繰り返してきたそういう男性との妄
それはそうだろう。あれほど鍛え上げられた 想が脳裏に繰り広げられる、そんなことにな
肉体は、女性からしたらとても魅力的だろう ったら、それは本人の大変な負荷になる。持
から。背筋が一直線で、目線は斜め上、物凄 ち主の心身の健康をひたすら願い、最後の支
い運動能力、彼の職業をいつも考えるんだけ えとしようと考えている太郎にとっては、深
ど、最初は自衛隊か警察か、そういう人種か 刻な問題だった。
なと思ってたんだ。でも、目つきが、そうい スタンバイの青年は、長くテレビやネット
う怖い目ではない気がして、道がつくものの などの情報をとらずに過ごしてきたせいで、
先生かなとも、思ってる。武道とか茶道とか 自分のことを全く知らず、これまで常に注目
……もしかして伝統芸能とか? されてきた太郎にはそんな彼とのやりとりが
そんな事を彼女と話していると、なんと、 新鮮だった。不健康なほどに痩せていて、短
もう一周して来た彼が足を止めこちらにやっ い靴下からのぞいているアキレス腱がくっき
てきたんだ。ハルさんのことをちらっと見て りとコの字を描いていた。自分にとっては、
気にしていた。ハルさんは、外来受付の持ち 最後にやり取りをする男性になるかもしれな
場を担当することになって、とても清楚でき い。決して非道徳的なことではないと理解し
ちんとしていながら華やかな雰囲気になった ながらも、偏見を恐れ、マスコミを恐れ、相
と思う。元々綺麗な顔立ちで、それが憂いを 手を傷つけることを恐れ、何より大切な競技
湛えて、多分だけど、普通の男の人なら、か の場を乱されることを恐れ、結局一度も恋愛
なり惹かれるんじゃないかな。彼の顎からは 感情を実現できたことはなかった。スタンバ
汗がしたたり落ちてて、それをシャツの首の イは、対象者のすべてを受け止め、肯定して
あたりをくっとひっぱって拭く仕草やなんか 送り出してくれる存在だという。であれば、
が、正直とてもカッコよかった。(同時に僕 彼に自分の性的傾向を告白したら、どんな顔
はものすごく惨めな気持ちになった)でも、 をし、どんな態度をとるだろうか。もし、君
そうやってハルさんの目を気にしながらカッ のことが好きだと言ったら、どういうかたち
コつけて近寄ってきた割には、僕とほんの一 で「受け止めて」くれるだろうか。一緒に死
言二言、当たり障りのない社交辞令を交わし んでくれるだろうか――。妄想は止まらなか
て、結局彼女には一言も声をかけずに、また った。そして、考えるだけなら許されるだろ
走っていってしまった。僕とハルさんの関係 うと、そんな不誠実なことを繰り返していた
を知りたがっていたようにも、紹介してほし 罰ということなのだろうか、ある日、その青
そうにも思えた。つまり、とても恥ずかしが 年は、女性の隣でうれしそうに目を輝かせて
っているような様子だったんだ。これを突破 いるのだった。歳の差はあるようだったが、
口に、彼ともう少し親密になれたらと思って 彼にはあのような包容力のある存在がぴった
る。彼をもっとよく理解し、彼にとってよい りだろう。うまくいけば、彼は生涯のパート
スタンバイとなって、気持ちよく彼を送り出 ナーを得て、生への意欲を取り戻してくれる
すんだ。死ぬ人間が、死ぬ人間と死ぬ人間と かもしれない。自分の愚かな妄想と比べて、
の間で、やる気を出している。どうか、この なんというハッピーエンドだろう。太郎は自
僕のナンセンスを笑い飛ばしてくれ! 分の境遇を心から笑った。
ケンイチの手紙2 芳野 京 @shiraki_k
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