第18話 海防艦クレルボの出現

 1920年代、第一次大戦争の終結後から日本はアメリア合衆国を仮想敵国とした軍備計画を開始した。日本のアジア戦略に干渉を強めるアメリアとの戦争は、石油などの資源確保をアジアに求める日本にとって必要かつ避けられない様相となっていた。

 日本海軍は建艦計画の作成に当たって、アメリア海軍の地勢的な制限状況に着目した。北アメリア大陸と南アメリカ大陸の間を走る狭い海峡、パンナム海峡である。この狭い海峡を通す艦幅の戦艦には16インチ(40センチ)以上の砲は搭載できなかった。そのため、アメリア海軍の戦艦搭載砲は一様に16インチ以下であった。

 一方で、四方を大洋に囲まれた日本は制限なく巨砲を搭載した戦艦を建造可能だった。そこで、アメリア海軍の火力を砲戦において圧倒的に凌駕するために、19インチ(48センチ)の巨砲を搭載した戦艦の建造計画が始まった。

 ここで問題になったのが発砲時の艦の傾きを修正する復元力だった。19インチ砲を二門搭載した砲塔を4機備えた艦船の場合、片舷一斉発砲した時に転覆しないため、どれほどの艦体が必要なのかがわからなかった。

そこで、実験のために二艘の砲艦が建造された。19インチ砲を搭載して異様に広い艦幅を持ったこの艦は、就役の予定がないため艦名は単に甲艦、乙艦とされた。

 発砲試験の結果、19インチ砲一門を搭載した甲艦は砲塔旋回角度20度以上で発射衝撃によって転覆の危険が発生し、2門を搭載した乙艦に至っては7度以上の旋回は危険であることが判明した。この実験結果から、建艦予定の戦艦は途方もない巨艦となることがわかった。

 それでも日本海軍部はこの事実を受け入れ建造に着手し、1939年、1944年に計二艦の巨大戦艦を就航させた。   

 巨大戦艦の就役に当たっては、神のご加護を受けるため、艦内に神殿を設けることになった。そのため、日本の神社の格式で最高位にある伊勢の「神社」の次の格式に当たる大国魂神社二社から神官6人が各戦艦に派遣され分社建立の儀式を行った。

 分社の建立に当たっては、大きな問題が発生した。日本海軍部では慣例によって神話時代の地名を艦名にするのが習わしだった。しかし、神社側は艦内に設ける分社の建立に当たって、艦名から採った神社名の命名を拒絶した。大國玉神社二社の社名をそのまま使わなければ、建立を認めないとしたのだ。

 この艦名問題は結果的に神社がわの言い分を軍部が呑む形で決着した。当時の日本は国家神道という宗教を基盤とした神受権に基づく神性政体国家であった。そのため神社の権力は絶大だった。この経緯によって就航した二艦こそ、第一次、第二次大戦争間を通じて最大の艦体と砲力、防御装甲を持つ姉妹戦艦「府中」と「氷川」であった。

 一方、実験後に偽装を外して輸送艦となる予定だった甲、乙艦は、実戦に即配備できる軍艦を探していたファンランド軍部により買受られ、巨砲を積んだままで1930年にファンランドの兵器調達将校ラウリー・ピカラネン少佐によって曳航され海防艦「クレルボ」「ヒーシ」として就役した。クレルボは首都ヘーシングの防衛のためヘーシング港に配備され、ヒーシはファンランド湾内のハメンリンナ島要塞港に配備された。

 この最大射程距離50000メートルの海防艦ヒーシの要塞島配備は、ヨシュアが対ファンランド戦略において軍事占領を視野に入れ始める契機となった。ファンランド湾を隔てて東に位置するヨシュア連邦の重工業都市エルミタグラードの海軍本部にとって、それは喉元に突きつけられた刃に等しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛する者の為に闘え T.mattise @matisu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ