第17話 ポロミエ族の包囲戦

 1920年代頃、極北のセッテヤルビ地方でトナカイを狩るポロミエ一族の族長は、2人の息子たちに狩の技術を仕込んだ。子供の頃から森に入って、トナカイ狩り達に混じって獣を追い続けた2人の技量は長足に進歩した。兄の技量が弟をはるかに凌いだが、兄は森の暮らしに飽き飽きしていた。弟は、華やかな兄に及ばぬ自分にいじけて、黙々とトナカイ狩りに打ち込んだ。

 族長が死ぬと、一族の掟により兄が次の族長となった。しかし兄はこれを機会とばかり、トナカイを売り払って村に下り、牛飼いを始めた。牧牛は盛業となり、兄は嫁を娶って多くの子を成し、大酒を飲むようになって、でっぷり太った。おまけにポロミエの族長として大統領の正餐に呼ばれる名誉も保ち続けていた。兄にとって人生は益々豊かで、実りあるものだった。

 セッテヤルビの4郷を統べる4人の郷長達は、年に3度のトナカイ狩りの度に集まっては、もう何年も見たこともない男が自分たちの族長として君臨していることに不平を託っていた。

 一方、弟はそんな兄の噂は聞いても聞かぬふりで、黙々とトナカイの狩集の技を磨いた。すでに4人の郷長の技量ははるかに超えていた。いつも弟は、父から唯一受け継いだドイル国はツァイス社の精巧な双眼鏡を首に下げて、ポロミエ独特のオレンジのコートを羽織って森を走り、誰よりも早く「揺れる樺の木の枝」を見つけた。それは蒲の林をゆくトナカイの群れの角だった。


 アレハンゲル候夫人マダム・ド・ロウヒはスノーデン王国統治時代からの貴族の一族で、本来なら社交に関わる細々を趣味とすべき夫人だったが、トナカイ狩りやヘラジカ撃ちを何より好んだ。極北の狩猟民達は、南部の都市住民たちには獣も同然と見られていたので、ロウヒ夫人の行状は周囲から相当奇異に思われていた。銀行家で戦時にいたって大統領にもなったド・ロウヒ氏もこの奇行には苦り切っていたが、止められるものでもなかった。

 ポロミエのトナカイ狩りたちは、この南部の貴族夫人の酔狂を最初は迷惑に思ったが、もっとも難しいヘラジカの頭部を狙う猟撃ちをなんどもやってのけるロウヒの腕前に驚倒した。ヘラジカ撃ちは足や尻を撃てば暴れて血が肉に周り、仕留めても食えなくなる。そのため心臓を撃つのが習いであった。しかしもっとも良いのは即死する頭を狙うことだった。ヘラジカの頭部を百メートル以上先から射抜くのは難しく、ポロミエにも滅多にできるものはいなかった。マダム・ド・ロウヒはヨシュアの軍用ライフルを伝手を頼って手に入れ、重くて長い銃の特性を活かして照準がブレない伏せ撃ちで狙い撃った。またトナカイの狩集めともなれば、冬のもっとも盛大な狩に半月近くも同行した。この夫人の熱心さに根負けして、ポロミエ達はついにはマダム・ド・ロウヒを仲間として受け入れた。冬が来るたびに極北を訪れるロウヒはいつしか、ポロミエ族の仮の族長のような不思議な崇敬を受けるようになった。

 1930年代の後半に西欧諸国できな臭い覇権主義が跋扈するようになるころ、マダム・ド・ロウヒはポロミエの族長と4人の郷長をセッテヤルビの山荘に呼びつけた。

 村の暮らしが長い族長は森への帰還を迷惑に思ったが、反面では貴族夫人から名誉に箔を上塗りしてくれるような頼まれごとがあるかもしれないとホクホクしてもいた。

 族長と4人の郷長は豪壮な山荘で夫人に対面した。

 「皆も知っての通り、私の夫ド・ロウヒはスノーデン王国時代にポロミエを含むアレハンゲルまで領有した一族であった。ヨシュアの占領下で領地は失ない、僭称した時期もあったが、独立後に称号のみ回復した。」夫人の突然の長口上に5人は戸惑っていた。

 「そのド・ロウヒの名において、現在の族長を解任し、弟を新しい族長とする。」

 兄は驚倒し、身分を忘れて夫人に詰め寄ろうとし、側近達に腹を殴られて絶息したところを両腕を取られ、そのまま部屋を引きずり出された。

 残された郷長達は、事の次第が呑み込めると、顔を見合わせて歓喜の表情を交わした。郷長のうち代表格のものが威儀を正して低頭し、礼を述べた。

「アレハンゲル候夫人の御叡慮に、ポロミエ一同感謝いたします。」

 郷長達は山荘をまろび出て、森へと急ぎ取って返した。


 弟はあいも変わらず、暗い森をトナカイを追って走っていた。トナカイ狩りは半月からひと月もかけて獣を一つの森に追い込む壮大なもので、初春と夏の狩りでは追い込むのは2、3000頭だが、冬のもっとも大きな狩りでは5000から10000頭ものトナカイを狩り催す壮大なものだった。

 狩りの長い歴史が一族の遺伝に影響を及ぼし、弟の体は矮小でなで肩、暗い森を見透かす目は光を拾う薄い青色だった。その体で下枝の張り出した蒲の森を敏捷に走ってトナカイを追い詰めた。

 弟は狩人の集合地の小屋に差し掛かった時、郷長たちに邂逅した。

 郷長達は喜色満面で、弟が族長になったことを伝えた。また、郷長達は夫人からの伝言も預かっていた。

 「近く一国の壮丁を狩り催した大軍事演習が行われ、程もなく戦争に突入するだろう。その時、ポロミエの一族は我が娘、マダム・ド・ロウヒを助けて戦うべし。」

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