第6話 ペサパッロ場で欠陥発覚

 R兵器工廠で働く技師、工兵らのレクリエーションのために、1921年にペサパッロ場が作られた。1922年の装甲兵器基本第一試験はこのペサパッロ場で行われた。

 ペサパッロは1920年にレンミンカイネン少佐が工廠長に就任して間も無く、早速兵器調達のためにアメリア合衆国に派遣したラウリー・ピカラネン少尉が現地で見た球技が原型だ。ピカラネンはアメリア国民が熱狂している球技を祖国でもできないかと懸命にルールや道具をメモして帰ってきたが、曖昧なところが多かった。そのため国に帰って再現するにしても、「確かこんな感じ・・・」と半分くらいは想像でルールを作り直すしかなかった。

 最初は原型に忠実に、投手が投げた球を打者が打つという形式で始めた。しかし、なかなか上達しないので皆が飽きてしまうため、投手は打者が打ちやすいところまで近寄って、球をトスする形にした。さらに、森林間に偽装して作られた兵器工廠脇に球技場を作ったため、打った打球がすぐ木にぶつかってあらぬ方に飛んで行ってしまい公平でないという意見が多く、塁間の距離もピカラネンが記録してきた距離よりだいぶ長く取ることになった。更に樹間を縫って塁を置いたため、距離もまちまちになり、結果として一二塁間が30m、二三塁間が40m、三塁から本塁までは45mといういびつな形になってしまった。しかし、樹木にぶつかってあらぬ方向に飛ぶ打球を追いかけて打者が塁にたどり着くまで競争のように追いかける競技が思いの外兵士達の感興を誘い、皆がこの球技に熱中するようになった。

 その競技場で、レンミンカイネン少将が発案した装甲兵器の試走試験が行われた。

 試験場に立った兵士が装着した兵器は、兵器といっても走行補助装置で、腰から下までしか完成していなかった。厚さ10ミリの鋼板に覆われた下腿と腿、腰の間に関節となるベアリングが複数入り、その間に動力補助を行う細いパイプ状の油圧装置が張り巡らされていた。油圧装置はイタルカから輸入したIkf2油圧式山岳歩兵砲の駐退復座機から流用していた。

 さらに動力源として背中にオートバイのエンジンを背負っている。これは当時世界最速を謳われた共和制フランクの軍用自動二輪車マンディアルグⅡの小型軽量エンジンを使用していた。エンジンを始動すると、膝、甲の2箇所に設置されたペダルで歩行の動きに合わせて動力が調節され、兵士の体重と合わせて自重150キロを超える兵器が軽快に走行できるようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る