カイ

1.田舎町の風景

 別に、ここを出たいと思ったことはなかった。

 父さんは首都アシュウォルドに出ていったきり帰ってこないし、母さんもアシュウォルドに連れていかれたっきりで、半年したら死亡通知だけが帰ってきた。

 どうしてかはよく分からないけれど、どうしてかを知ったところで、帰ってこない人は帰ってこない。そんなことよりも食べることの方が何倍も大切だ。

 ここ、エドレイ村にいれば少なくとも食べることには困らない。ここは猟師村だ。狩りができれば肉には困らないし、小さな畑を耕せば、自分が食べる分はどうにかなる。作物や肉は売ればいいお金になったし、近所の人に渡せば、卵を貰うことだってできた。エドレイで手に入らないようなものも、行商でたまに来てくれるディオさんに頼めば、硬貨と引き換えに持ってきてくれていた。

 エドレイの外にはいろんな世界が広がっているなんて聞いたことはあったけれど、別にこの村が不便だと思ったことはなかった。

 なかったのだが。

「これはどうにもならんな。すまない、ニコ」

 目の前にいる村長にそう言われてしまった。

 村長と言っても初老のおじさんだ。とりあえずやさしいのでいつも困った時は村長に頼ることにしている。

「そう、ですよね」

 一月前。月光花を見つけた後から、右手の指が紫色の宝石みたいになって動かなくなってしまった。手の異変に気がついてから毎日手を見せに来ているのだが、なにも分からないまま日が過ぎていっている。

「さすがに、こんな腕は見たこともないし、文献もなくてなあ。こういう時にシオがいてくれれば違ったんだがなあ……」

 シオとは、ぼくの母さんだ。幼い頃は村のお医者さんだった。時にはとなり町から母さんを頼ってきた人がいるぐらいだったらしい。らしい、というのもぼくが五歳ぐらいの時に死んでしまったからよく分からないのだが。

「しょうがないですよ。母さん、アシュウォルドに連れていかれてしまったんだから」

「どこがしょうがないんだ」

「だって母さんは魔法が」

「使えたってなんだってしょうがないなんてないだろう」

「どうして?」

「どうしてもなにも、魔法使いだって理由で殺されるなど、ありえてはいけないだろう?」

 どう返していいかわからなくなってしまう。だって。死人のことを考えることは、本当に難しくて。どうしたらいいのか分からなくて。

「まあ、いい。それで、どうしたものかなあ」

「あ、あの。その。そのことで相談したいことがあって」

 村長さんの目線が痛い。

 ずっと思っていたことがあるのだ。

 この手の状況はきっとこのままだ。少しずつ広がるこの手の異常はきっと前身に回って放っておけば死んでしまう。そんな気がするのだ。それならば、ここにいてのんびり死を待つぐらいであるのならば。ぼくは。

「父に頼ってアシュウォルドに行きたいと思っています」

 こんな子どもが一人で行くには、おおよそ遠い場所だ。ここは、王国北部の山林の中。首都であるアシュウォルドは、南部の平原の中にある。歩いたら二十日はかかる、らしい。馬車を借りるにも、少ない手持ちではどうしようもできない。剣は使うことができるけれど、きっと村長さんがいいと言うとは思えない。

「おう。そうか。いってらっしゃい」

「そう、ですよね」

「おいおい。何を落ち込んでいるんだ。行きたいと言ったのはニコじゃないか」

「え?」

 頭の中を整理しよう。確かにアシュウォルドに行きたいとぼくは言った。そして、村長はいいよ、と言った。え。それは。

「いいってことですか?」

「何を言っているんだ。俺の子も十三の時には出ていったぞ」

「いや、だって。フィオ兄は、軍学校に行ったんであって」

「あいつだってアシュウォルドだぞ。そんなに心配だったら、ディオに頼って外に出ればいい。明日来るだろう?」

 これは、不思議だ。本当にいいのか考えてしまう。

「ありがとうございます」

「おう。準備しとけよ。困ったことがあったら、俺が手伝ってやるから」



 心臓がまだばくばく鳴っている。

 明日。ここを出て行っていいのだ。まず父さんを探そう。音信不通だが、アシュウォルドに栄転したのだ。その前は北部地域の統括をしていた人だ。きっと忙しいだけだろう。手紙のやりとりが無くなってしまったので心配はしているがきっと待っていてくれるだろう。

 どうせ荷物も少ない。干しかけの肉は村長さんの家に置いていこう。

「ニコ?」

 心配なのか、同い年のララがいる。俺の家の中のはずなのだが。まあ、村長の娘だからというのもあるのか、ぼくの手のことは知っているし、アシュウォルドに行くことを勧めてくれたのもララだ。

「なんだよ、ララ」

「何を持っていくの?」

「いいよ。一人でできるから」

「そう、よね」

 そう言ったら帰ってくれるかと思ったら、ララは本を開いてぼくのベッドの上に座った。ちらちらぼくを見ている気もする。

「なあ。何かあるの?」

「今日はいるの?」

「まあ」

 ぼくがそう答えると、ララが立ち上がった。

「うちでご飯食べない?」

「どうしたんだよ、急に」

「なんだっていいでしょ。じゃあ、日が沈む頃。待ってるから」




 ララに言われたので、日の沈む頃に村長の家に行ったら、ごちそうが並んでいた。パンと猪の肉を蒸し焼きにしたもの。具だくさんな野菜のスープ。そうそう見ないごちそうにおどろいていたら、村長さんから全部ララが作ってくれたものだと言われて驚いた。

 三人で食卓を囲む。

 村長さんには奥さんがいない。ララが生まれたころに死んでしまったらしいのだ。ララがそう言っていたから、そうなのだろう。

「ありがとう、ララ」

「ねえ。一人で行っちゃうの?」

「まあね。アシュウォルドまでだったらきっとたどり着けるだろうし、それなりに剣も使えるからさ」

「気をつけて」

「どうしたんだ、ララ」

 村長さんがそう言ってニコニコしている。楽しんでいるのだろうか、村長さんは。

「だって。ニコが心配だから」

「かわいいこと言うなあ」

「お父さん!」

「ああ、すまない」

 なんだか笑いがこみあげてくる。

「ははは」

 声に出てしまう。

「ちょっとニコ!」

 気がついたら、村長さんも笑っていた。ララも顔を赤くしていたが、気がついたら笑っていた。小さなランタンの明かりがゆらめく。

「ありがとう、二人とも。右手、治したらまた戻ってくるね」

「いってらっしゃい、ニコ」

 村長さんがにっこりと笑いかけてくれた。

 ララがなんだかブスっとした顔をしていたような気もするが、気がするだけだろう。明日。最後に声をかけてから出ていこう。


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