2
「──琉斗の具合、どうなの」
婦警の市原香代に付き添われて部屋に入って来た茜は、目の前のパイプ椅子に腰を下ろすなり言った。
「大丈夫。普通に喋れるよ」
芹沢が答えた。
「……バカなんだから」
言葉とは裏腹に、茜はほっとしたような溜め息をついた。
鍋島が笑みを浮かべた。「心配なんやな。自分のことより」
「あたしが巻き込んだんだし」
鍋島は軽く首を捻り、それから小さく頷いた。
「すぐに退院できるの?」
「はっきりとは分からねえけど、そう遠くはないと思うぜ」芹沢が答えた。
「ならいいけど」
茜はひょいと可愛らしい仕草で肩をすくめた。
その後、一瞬だが沈黙が流れた。
「……パパも、完全に意識が戻ったのね」
「ああ」
「それで本当のことを言ったんだ。刺したのはあたしだって」
「うん」
「やっとまともに親をやる気になったんだね」
茜の言葉に、芹沢は思わず彼女を凝視した。この期に及んで、まだこんなに大人びていられるとは。この
今度は少し長めの静寂があり、そして鍋島が言った。
「……それで深見さん、キミは逮捕されたわけやけど──」
「送致ってやつでしょ。検察庁か家庭裁判所に」
茜は前髪を触りながら言った。「四十八時間以内、だっけ」
「……分かってるんやな」
「ネットでいろいろ調べたから。逃げ切れないのは分かってたし」
そうか、と鍋島は頷いた。
「あたし、少年刑務所に行くのかな」
「そんなことまだ分からん」
「ただの非行じゃない、殺人未遂でしょ。大人だって──」
「だからそれも全部、簡単には決められへんのや」
鍋島は吐き捨てるように言った。
茜は肩をすくめて頷いた。「先は長いってわけね」
「……そうやな」
「大丈夫。あたし、自分のやったこと、親や学校のせいにするつもりはないから」
茜は明るい表情で言った。「犯した罪から目を背けないわ」
「無理することないよ。この先、誰に何を訊かれたかて、ほんまのことと、正直な気持ちだけを話したらええんや」
「刑事さんたちは、これで任務終了?」
「一応はな。今後は隣の少年課が引き継ぐことになったんや」
「少年課……」茜は呟いた。「あたし、子供だもんね」
「そうさ。まだまだガキだ」芹沢が言った。
「せやけどもし俺らに用があるってときは、遠慮なく言うたらええ。手を離れたからと言って、あとは知らん顔ってわけやないから」
「……分かった」
茜は俯いてぼそりと言った。それからゆっくりと顔を上げて二人を見た。
「ねえ。だったら聞いてくれる?」
「うん?」芹沢は口許に笑みを浮かべた。
「あたしにも、一応夢とかあったのよ」
「うん」
「小さい子供が好きなんだ。笑うかも知れないけど」
「保育士?」
「それもいいけど……それとは別に、困ってる子供、助けを求めてる子供たちの役に立ちたいなって。親に棄てられたり、ひどい虐待を受けて傷ついた子供っていっぱいいるじゃない。あたしはそんな、本当に──何て言うかな。ヤバいことになっちゃってる子供を助けてあげたいなって」
そう伏し目がちに語った茜は、十四歳の少女とは思えないほど慈悲深く、穏やかな表情をしていた。
「それで、将来は海外へ行って、そういう子供たちにちゃんとした家庭とか、出来れば家族とか──当たり前の幸せって言うの? それを持てるよう、手助けする仕事がしたかったんだ」
「意外だな。言っちゃ悪いけど」
「でしょ。そんな風に見えないよね。自分勝手に生きてる感じ?」茜は笑った。
「そうは言ってねえよ」
「でも、そういう見方されてるのは分かってたし、自分の責任でもあるからね。だから誰にも言わなかった」
「琉斗にも?」
「うん」茜は頷くと微かに眉をひそめた。「琉斗に言うとね。また落ち込んじゃうんだ」
「何で?」
「茜はスゲーなぁ、偉いなぁって。で、そのあと絶対、オレはアタマ悪いから、いつまで経ってもダメだって」
「なるほど」と芹沢は苦笑した。
「そこがちょっとね。ウザいでしょ」茜も困ったように笑った。
「そう言うなよ」
「……でもね、ホントは琉斗にだって夢はあるのよ。まだ自分で気づいてないだけ」
「キミには分かるんか」と鍋島。
「分かる。だってその話してるときの琉斗、全然違うもん」
「へえ、そうなんや」
「バイクだろ」芹沢が言った。
「そう。よく分かったね」
茜は驚いた表情で芹沢を見た。「琉斗に聞いたの?」
芹沢は首を振って笑みを浮かべた。「この前俺のバイクに乗せたとき、嬉しそうだったから。ガキん時のポケバイの話も聞いたし。レーサーにでもなりたいって?」
「ううん。作りたいんじゃないかな」
「設計とか?」
「たぶん。でもどうすればそれが出来るのか、分からないみたいだった」
「調べたりしてなかった? ネットとかで」
茜は首を振った。「……そんな気力すらなかったんじゃない。毎日に絶望してたから」
「…………」
刑事たちは黙り込んだ。
「琉斗も──そういう子供の一人でしょ」
「そういう子供……」鍋島が呟いた。
「さっきあたしが言ったみたいな。小さい時からいじめられて、親には暴力受けて……鼻が曲がっちゃっても、逃げ出したくても──行くとこないし、力もないし。黙って我慢してたんだと思う」
茜は俯いた。「……誰も助けてくれなかったから」
「キミは助けてあげたいんやな。琉斗がそうして欲しかったように」
「うん」
「それから、キミ自身もそうやった」
「えっ──」茜は顔を上げた。
「助けたいのは、虐待を受けた子供だけじゃないんだろ?」芹沢が言った。「親に棄てられた子供も」
そう、と茜は頷いたあと、すぐに首を振った。
「でも、あたしはそうじゃない」
「……弧独だとは思わなかった?」
「あたしは甘えてただけ」
そうきっぱりと言って、茜は刑事たちを見た。「もちろん、身勝手な親だと思ってたし、毎日が楽しくなかった。だけど琉斗ほど悲惨じゃないし、一緒に援交をやった真優ほど自分の可能性を諦めてるわけでもなかった。いい加減な毎日を送ってたけど、ずっと続けようとは思ってなかった」
刑事たちは黙って聞いていた。
「ただ……それでもなかなか抜け出そうとはしなかった。ちょっと可哀想な境遇に、自分を甘やかしてたの。抵抗せず、絶望もせず、ただ流されて、切り開こうとしなかった」
「そこまでに考えられたのに──」
「ふてくされてたのよ」茜はまた大人っぽく笑った。「それだけ」
「……全部分かってるんやな」
鍋島はちょっと呆れたように溜め息をついた。
「……分かりたくはないよ。でも、分かっちゃうんだ」
「頭がええから」
違うよ、と茜は首を振った。「このままじゃダメだって分かってても、あの家の居心地さえ良ければって──両親に期待してたわけじゃないけど、何かが勝手に変わってくれるんじゃないかって、思おうとしてた。本当の居場所があそこには無いと分かってたはずなのに」
「だったら、さっき言ったその夢を叶えるように努力すればいい」
「ムリだよもう」と茜は笑った。
「なんで」
「こんなことになっちゃったんだから」
「それが?」
芹沢の問い掛けに、茜はムッとした。「気安め言わないでよ」
「誰が言うかよ」と芹沢は一蹴した。「自分のやったこと、周りのせいにはしないんだろ? 夢だって同じじゃねえか」
茜は不機嫌な眼差しでじっと芹沢を見据えていたが、やがて呆れたようにふっと笑って言った。
「相変わらず、ムカつく刑事ね」
「何度だってやり直しは効くんだよ。おまえら若いから」
芹沢がそう言うと茜はすっと真顔に戻った。
「……ホントにそう思う?」
「ああ」
茜は今度は鍋島に振り返り、無言で同じ質問をした。
「努力が要るけどな」鍋島は答えた。
「大学とか行かなきゃだめかな?」
「人を助けるのに、学歴なんて関係ないやろ。途中で知識欲が出てきたら、そんときに行けばいい」
「……そうなのかな」
茜は呟くと、満足そうに口を結んだ。そして初めて刑事たちが彼女と会ったときと変わることのない、強い意志に満ちた眼差しを彼らに向け、微かな笑みを浮かべて言った。
「……いい加減なこと言ったら、承知しないから」
やっと素顔が見られたかな、と芹沢は思った。
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