Ⅴ.対峙

「……はい?」

 男と対面する位置の芹沢が警戒心ありありの態度で返事をした。

「失礼ですが、大阪府警の芹沢さんですね」

 男は言った。

「…………」

 芹沢はそれには答えず、目を細めて男をじっと見据えた。見覚えのない顔だった。

 そして男から視線を外すと、黙って焼酎のグラスを口許に運んだ。

「あの──」

「あんた、誰」

 ラーメンを啜りながら鍋島が言った。芹沢とは逆に、まるで無警戒な口調だった。

「あ、失礼しました」

 男は頭を下げると、すぐに上着の内ポケットから名刺入れを取り出し、そこから二人に一枚ずつ差し出した。ラーメンを食べていた鍋島は箸を持った手で受け取り、テーブルに置いた。

 芹沢は名刺を見て目を見開いた。その様子に気づいた鍋島もまた名刺を覗き込んだ。

「神奈川県警……山下署?」

 男の名刺には、神奈川県警山下署刑事課巡査の肩書きが書かれていた。

「俺ら別に、何にも悪いことしてへんで」鍋島は言った。

「え、そこからですか」と男は顔をしかめた。「そこはもういいでしょう。鍋島巡査部長」

 鍋島は男を凝視すると、やがて口を歪めて呟いた。「……面白くないね」

 芹沢がゆっくりと顔を上げて男を見た。

「そこの刑事が、何の用」

 落ち着き払った彼の口調に些か怯んだ男は、しかしそれを悟られまいと、自分も声の調子を抑えて言った。

「中大路寛隆氏の失踪に関連して、お二人にいくつかの情報を提供しに来ました。その上で、何らかの協力が出来ればと」

「は? どういう意味?」鍋島が言った。

「一条警部の代理として来たんです」男は芹沢に振り返った。「ボクは彼女の部下です」

 鍋島が視線だけを動かして芹沢を見た。こんなこと言ってるけどどうする、という目だった。芹沢は一瞬だけ目を閉じ、すぐに男を見上げた。

「だったら帰んな」芹沢は言った。「ここには神奈川県警の仕事なんかねえから」

「ええ。分かってます。だけどそれはお互い様でしょう」

 男は笑顔を見せた。「ボクが協力を申し出てるのは、本来なら京都に預けるべき案件ですよね」

 鍋島と芹沢は再度視線を交わし、そして黙り込んだ。

「……相方よ」やがて鍋島が芹沢に言った。「どんどんややこしいことになってる」

「てめえがなかなか本腰入れねえからだ」芹沢は迷惑そうな顔をした。「……ったく、何人巻き込みゃ気が済むんだ」

「あの──」男は言った。

「ああ、分かったよ」芹沢が諦めたように頷き、男を見上げた。「座ったら。えっと──」

「二宮です」

「……そうだ」

 芹沢は名刺を確認しながら小声で呟いた。確かに聞き覚えのある名前だった。

「失礼します」

 二宮は場所を空けてくれた鍋島の隣に腰を下ろした。

「メシは済んでんの。二宮さん」鍋島が訊いた。

「ええ。新幹線の中で弁当を食べました」

「じゃあ何か飲めば」と芹沢が言ってドリンクメニューを差し出した。

「あ、ボクはウーロン茶で」

「遠慮しなくていいぜ。自腹で飲んでもらうから」

「いえ、遠慮じゃなくて、もともとアルコールがダメなんです」

 芹沢はため息をついた。「……あっそ」

 そして店員が呼ばれて、二宮はウーロン茶を注文した。

 店員が去ったあと、芹沢が言った。

「まずは確認な。あんたここへは、その一条警部って人に教えられて来たんだろ。ほんのついさっき」

「ええ。横浜にいる警部から連絡を受けて、チェックインしたばかりの梅田のホテルからタクシーで来ました」

「なんとも用意がええな」

「そりゃ打ち合わせはしてますよ」

「そうやってこの店に来たのは分かったけど、何で俺たちを見つけられた? 今こうして他をざっと見渡しても、野郎の二人連れは多いぜ」

 芹沢が後ろを振り返りながら言った。

「簡単でしたよ」二宮はにこっと笑った。「お客の中で一番いい男を見つければいいって」

「警部がそう言うたんか?」鍋島が面白がって訊いた。

「一応ボクなりの情報網があって、リサーチ済みなんです」

 二宮は得意げに答えた。「さすがは大阪府警屈指のイケメン。すぐに分かりました」

「……くだらね」と芹沢はため息をついた。


 ウーロン茶が運ばれてきた。二宮はひと口だけ口に含み、妙に落ち着いた、育ちの良さそうな笑顔で二人を交互に見て、言った。

「いろいろお訊きになりたいんでしょうね」

「もう謎だらけ」と鍋島が頷いた。「とりあえずはまずそっちが説明して」

「分かりました」

 二宮は、自分がどういう経緯で中大路失踪の一件に関わることになったのか、まずそこから説明した。自分は世間で言ういわゆる「ITオタク」で、趣味のアニメやゲーム、フィギュア収集を通してネット上に多数のバラエティに富だ“友人”がおり、そのことを知っている一条警部は、中大路の行方について限られた時間と人員で少しでも早く結果を出すために、自分のネットワークを頼ったのだと語った。

「面倒だと思ったんじゃないの」

 芹沢は言った。「あんたにはまるで関係のない話だ」

「ええ、もちろん思いましたよ」と二宮は即答した。「だけど断れるはずもないし」

「なんで?」鍋島が訊いた。

「ですから、ボクは彼女の部下なんで」

「この案件は業務じゃないぜ」

「そういう線引きが出来ないのが、上下関係というものでしょ」

「意外と古風やな」

「そうじゃありません。無駄な抵抗はしない主義なんです」

「……なるほど。おかげでいろいろ助かった」

 芹沢はもっともらしく頷くと、ちょっと不満そうに口許を歪めた。

「それで、わざわざ今夜来てくれたのは?」

 鍋島が残りのラーメンを自分の小鉢に入れながら訊いた。

「はい。本題はそっちです」

 二宮は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

 そして彼は、今日の日中、横浜で一条警部とともに林淑恵の経営する雑貨輸入会社に探りを入れて得た情報を二人に話した。林淑恵が昨日から来阪しているらしいのにはただの里帰りなどではなく、訳があって、それは中大路の一件に絡んでのことに違いないとの確信を自分と一条は持った。だからそれを二人に伝えて、林淑恵の動向を探り、中大路の救出へと繋げること、それらの役割を、もう仕事を休めない一条の代わりに自分が休暇を取り、ここへやって来たのだと言った。

「……そりゃあすこぶるありがてえけど」

 芹沢は短くため息をつきながら言った。「ただ、申し訳ねえことに、俺たちあんたを無条件に信用するわけには行かねんだよな」

「そう言われても……名刺は本物ですよ」

「いや、そこを疑ってるわけじゃなくてさ」

「じゃあ、何を?」

 二宮はまるで屈託のない真顔で芹沢を見つめた。

「失礼ながら、あんたの能力。スキルとかレベルとか」

「なるほど。でも……自己査定なんて出来ませんし……」

 二宮は困ったように眉根を寄せて俯いたが、すぐに何かを思いついたようにパッと顔を上げ、言った。

「目を見て信じてもらうしか」

「目?」

「ええ。ボクのこの目です」

 二宮は大真面目のようだった。逆に芹沢は諦め顔で力なく訊き返した。

「……その目がどうだって?」

「最善を尽くす覚悟の眼です」

「……もういいわ」

「いいんですか?」

「ああ。むしろそこで留まってもいらんねえ」

「調査能力には信頼がおけるみたいやしな」鍋島が言った。

「受け入れてもらったみたいで安心しました」

 二宮は満足げに頷いてウーロン茶を口許に運んだ。

 芹沢はふん、と鼻を鳴らしてグラスをあおった。

 そのとき、テーブルに置かれた芹沢の携帯電話がまた着信音を鳴らした。手に取った芹沢は開いた画面を見て相手を確認すると二宮に言った。

「あんたの上司からだ」

「えっ──」二宮は慌ててグラスから口を離した。

 鍋島は愉快そうににやりと表情を崩した。芹沢はその様子を見て逆に面白くなさそうに眉根を寄せ、軽く咳払いをしてから静かに電話の相手に言った。

「はい」

《落ち着き払ってるところをみると、まだ──》

「なかなか爽やかな部下がいるんだな。毎日楽しいだろ」

《……合流できたんだ》

 一条がため息混じりに呟いた。

「ずいぶん荒っぽいことやってくれるじゃねえか」

《迷ってる時間がなかったの》

「さっきの電話が意味深だったの、こういうことか」

《さすがにちょっと言いにくかったから……》一条は口ごもった。《……いろいろとルール違反だし》

「分かってるんなら、最初の時点で思い留まって欲しかったけど」

《……そうね》

「……言っても仕方ねえか」

 芹沢は短くため息をつくと、鍋島の隣で神妙な顔つきのまま手元の一点を見つめている二宮を眺めながら言った。

「で。この兄ちゃん信用できるんだろうな。お行儀はいいが、ずいぶん頼りなさそうな草食系だけど」

《……おそらく本人目の前にして、はっきり言うわね》

「ちょっと睨まれてる」

 芹沢は二宮の不服そうな顔を見て片目を閉じた。

《大丈夫よ。信頼できるし、頼りにもなるわ。ただし──》

「何だ?」

《……ううん、いい。今さら言っても遅いもの》

「そういうのが一番引っかかるんだ」

《ごめん、忘れて》

「そうかい。だったらこの人に帰ってもらうぜ」

《……分かったわよ》と一条はため息をついた。《彼は……あなたたちとは違うから》

「どこが?」

《きっとそんなにタフじゃないってこと》

「だから?」芹沢の口調が厳しくなった。

《……怒ったのね。いいわ、だったらあなたたちで鍛えてあげて》

「何だそれ。協力したことへの恩着せか」

《そんなわけないでしょ》一条もちょっとムッとしたようだ。《今さらつまらない言い合いしてる時間はないと思うけど?》

「……了解」

《じゃあ、何かあったら連絡して》

「部下の方からしてもらうよ」

《どちらでも》

 一条はつっけんどんに言って、電話を切った。

 電話を閉じた芹沢は心配そうに自分を見つめる二宮に皮肉たっぷりの笑顔を向けると言った。

「わがままな上司を持つと大変だな」

「いえ、ボクはあの──」

「いい加減、甘やかすのもどうかと思うよな」

 芹沢は今度は鍋島に言った。鍋島はにやりと笑うと、彼もまた皮肉のこもった口調で言った。

「それはおまえ自身の反省の弁か」

「……違えよ」


 ──信じられねえ。どうやら俺はこの男に妬いてるらしい。

 

 芹沢は二宮に視線を留めながら、ぼんやりと答えた。

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