それはひどく鮮やかに
目を閉じれば、それはひどく鮮やかに。
眩しすぎて、もう見えない。
カラン……と、渇いた微かな音が空気を揺らし、レーヴはそっと瞼を持ち上げた。
ひゅっ、と自分が息を吸い込む音がやけに大きく聴こえて、二・三度そのままぱちぱちと瞬きをした後でようやく状況に思い至る。
ああ、寝てたのか……とぼんやりとした頭で考えて、反射的に身を起こした。―― 否、起こそうとしたところで、ずきりと鈍い痛みが走り、すぐにそれを断念する。
寝ていた、というよりは気絶していた、と言った方がより正確だろう。そんなことを思って小さくため息を吐く。そんな些細な仕草でも、頬の辺りがぴりりと痛んだ。
周囲は随分と暗い。
普通ならば夜なのかと考えるところだが、この部屋には窓というものが一切なく、人工的な灯りも一切備えられていないとなれば、例え今が昼であっても室内の状況に何ら変わりはない。つまるところ、昼なんだか夜なんだかまったく判らない。
レーヴはそろりと壁伝いに身を起こし、そのまま背を壁へと預けた。
のろのろとした緩慢すぎるほどの動作だったので、そう大した行動ではなかったにもかかわらず呆れるほどに時間が掛かった。幾度か覚えた鈍い痛みに、レーヴは他人事のように自分の身体の状態を認識する。左腕は折れている。多分、肋骨も何本か。
幸い、と言っていいのかどうなのか、痛覚がある程度死んでいるようで、怪我の度合に反して痛みは少ない。というより、どこがどんな風に痛いのだかがもはや判らない。
「荒れていた、な……」
ポツリ、と呟いて、レーヴはくすりと笑みを零した。
随分と、子供らしくない笑みだった。
渇いてひどく無機質な ―― それでいてどこか満たされたような、不思議な印象を与える笑み。
追い詰められた者の焦燥と苛立ちの発露としてどれだけ痛めつけられようとも、そんなのはもうどうでもいいのだ。むしろ晴れ晴れとした気持ちで、レーヴはひとつ息を吐き出した。
久方ぶりに対面した父は、何ひとつ変わってはいなかった。
判りやすく傲慢で、判りやすく狭量で ―――― 何よりも判りやすい価値観を持った、そんな存在だった。
年齢的にまだ幼い部類であるはずのレーヴにさえ『判りやすい』と称されてしまう、そんな父は、校門前のエーリとの対峙で相手側へ情報が流れてしまったことを悟り、これまた判りやすく狼狽した。
狼狽したのち激昂し、最悪といってもいい事態を引き起こした息子を罵倒しながら殴り付けたその後に完全放置。今の状況を簡潔に説明しろと言われたら、それだけで事足りる。
ただ、今の状況が最悪なのは父にとってだけで、自分にとってはある程度想定していたその範囲の中では格段に良い部類の状況に入るだろう。だからこそ、父が苛立ち、有効な対策を講じることもなくただその鬱憤を八つ当たりという形でもってぶつけられても、安堵にもにた感情を抱えて薄く笑っていられた。……もっとも、そんなレーヴの態度が、尚のこと父を激怒させる要因になってしまったようだが。
記憶は、家についてすぐ、この部屋に連れて来られた辺りから既にあやふやである。ガツン、と頭部に鈍い衝撃があったことをおぼろげながらに覚えているので、どうやらそこで気を失ってしまったらしい。あやふやだった記憶が、そこでぷつりと途切れている。
さて、と小さく息を吐いて、レーヴは目だけを動かして周囲を窺った。
既に暗闇には目が慣れている。おかげで、光源のない状態にあっても、さして苦も無く周囲の状況を知ることができた。
見覚えのある室内に、こういうのも懐かしいと言うべきなのかと埒もないことを考える。ここに残る思い出は、微笑ましくもなんともないが、それでも色濃く残っているという点では他に類を見ない。
昔 ―― アカデミーに放り込まれるよりも前、まだ母が生きていて、自分もこの家にいた頃。この部屋に閉じ込められた記憶がしっかりと残っており、その回数も一度や二度ではきかない ――などというのは、さすがに忘れ難いといった程度の騒ぎでもない。その辺のレベルは遥か昔に通り過ぎている。
光射さない地下室は、普段は物置として使われているはずの場所だが、ここは物置というよりも牢獄といった印象しかないな、とレーヴは思う。実際、室内は荷物が溢れかえっているようなこともなく、奇妙に閑散としている。こんな場所がこまめに掃除されているはずもないので、浅く吸い込んだ空気はどこか黴臭く、埃っぽかった。
この場所を、好きだとも嫌いだともレーヴは分類しない。敢えて言うならばどうでもいい、そんなカテゴリだ。
この部屋が自分にとってどんな用途でもって使われていたのかを考えれば、レーヴのこの反応は異様なものだと言えた。けれど、今よりもずっと幼かった時分から、こんな場所に閉じ込められたとして泣き出すような可愛げも、トラウマになるような繊細さともレーヴは無縁だったのだ。今更普通の感想を求められても困ってしまう。
まぁ、そのお蔭とでもいうのか、ここに捨て置かれてもどんな感慨も湧いてこないのは、いっそ幸いだったと言うべきか……とレーヴは内心でひとりごちた。この状態で錯乱なんぞしようものなら目も当てられない。
暗闇も、そこに一人でいることも、怖くはない。
怖いものは、もっと別にあった。
ゆっくりと瞳を閉じる。全身の力を抜けば、ごちりと後頭部が壁へとぶつかった。もう持ち上げる気力も湧かなかったので、そのまま全体重を壁へと預ける。
視界を閉ざしても、見えるものに然程変化はない。ここはひどく暗いのだと、アカデミーから帰って来てからそう思うようになった。この部屋に限らず、この家自体が暗い。昔は、そんなこと考えもしなかったというのに。
最初はアカデミーもここと大差なく感じていた。家よりはマシだけれど、薄暗い場所。そんな風に思っていたはずなのに。
いつしか、世界が反転していた。今になって、そんなことを思う。
あの場所には光があった。
いつの間にか、自分はその中にいた。
今もまた、瞳を閉じれば、鮮やかに甦ってくる、もの。
もう、眩しすぎて、それを見ることもできないけれど。
「……まぁ、いいか……」
もう、いいのだと。
そう思う度、安堵と一緒に変に泣きたいような気持ちにもなる。不安定でふわふわしているような、胸にぽっかりと穴が開いたような、自分でもよく判らないそんな心持ち。
光が、あった。
傍にあったそれを、自分は手放した。
光は光のまま、どこか遠くで在ればいい。自分にはもう必要ない。……必要と、しない。
―――― 胸を刺す、この痛みもきっと幻覚でしかない。
そっと、暗闇の中、レーヴは笑う。
怖いものは、もう何もない。
だから…………もういいのだと、自分に言い聞かせるように呟いて、そのまま意識を手放した。
嘘と秘密と約束と 真樹 @maki_nibiiro
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