言の葉より育てよ恋の花

ラピツティア

第1話

「それじゃあ私は先に帰るね。また明日、ディー!」

「ああ。今日はずいぶん早いじゃん」

「うん、ボーイフレンドとディナーに行くの」

「そりゃ良いな。頑張ってな」

「彼の事、貴女にも明日たっぷりお話したげるわ!」

 といった他愛のない会話を経てディーと呼ばれた少女――涼月・ディートリッヒ・シュルツはひらひらと手を振って級友を見送った。

 さらさらの黒髪/黒い切れ長の瞳/対照的に映える白い肌。使い慣れたメッシュ素材のリュックを背負い直して帰路につく。

 クロスターノイブルクの街並をひとりで歩く――学校に途中編入してから数ヶ月経つが、まさか友達と一緒ではなくひとりで帰る事を珍しい、なんて思う日が来るとは。

 今日はまっすぐ寮へ戻る事に決定。明日級友からどんな恋愛話を――というよりのろけ話を聞かされるやら=想像して苦笑い

「なーんかアタシも、ちょっとはこの生活に慣れたのかなあ」

 自分にも「普通の学校生活」ってもんが出来るんだ。などと他人事のように驚き&感心してみせる。それこそ入学して最初は違和感も多かった。

学生寮にたどり着き自室へ――入口の管理人の「おかえり涼月ちゃん。今日は少し早いじゃないか」という挨拶に「まあ今日はね」と返す。

つーか、そんなにいつも寄り道してるつもりはないんだけど=涼月が首を傾げる/それほど学生生活を堪能しているのだろうか。

 寮の自室は涼月らしくとても整理整頓されたものだった。MPBにいた時と異なるのは棚に参考書が増えた事と、デスクの片隅に新しい写真が立てかけられている事。

陽炎や夕霧と一緒に撮った写真。鳳たち三人も含めての集合写真――今でもビデオ通話やメールで頻繁にやり取りをしている。

そしてこの学校に転入する少し前に、両親と一緒に撮った写真――今では週に一度はふたりの家に帰り食事をしている。

変わらない仲間と再び話すようになった親。その両者からメールが届いていないか端末をチェックする。 

 PDA携帯端末から見ればいいのに『ついメールばかり気になってしまうから』と寮の端末でしか見ないようにしているのだ。

 だから表示された履歴に面食らう事となった。

「なんだこの着信の数……鳳から?」

 着信が夕方ごろから数件入っていたのだが――

その回数というか、頻度が問題だった。

 なんと丁寧に三十分ごとに着信が残っているのである。感情に任せて何度もコールしないあたりは鳳らしい――だがそのぶん、『連続でコールするのは失礼だと分かっているけど、急いでお話がしたいです』という気持ちが伝わってくる。

 とりあえずコールバックしてやろうとリュックを片付け、端末に向き合い通話開始――数コールの後に鳳の顔が画面に映った。

「よう、あたくし様。今日は待機日か?」

「え、ええ。涼月さんはたった今帰ってきたところですのね。おかえりなさい」

 鳳=そわそわ――画面越しにも様子がおかしいのが丸わかり/あえて『あたくし様』呼びしてみたのに反応なしの時点で察する。

「今日はクラスメイトが用事で先に帰っちゃってさ。それで早く寮に戻ることにしたんだ」

「そうですのね……。ご学友の方たちと上手くいっているようで何よりです」

それは本心に違いないのだが、やはりいつもより上の空といった調子だ。

「今更なんだよ。もう結構経つんだからなー」

 お前、自分から話を切り出せないのがバレバレだぞ――やれやれと心中でため息/助け舟を出す。

「それであの着信は何だ? お前そっちでなんか困った事でもあんのか」

 すると鳳は真剣な表情を浮かべて語り始めた――質問してからの反応速度を見るに、どのように説明しようかあらかじめ考えていたのだろう。

「あたくしたち特甲児童は人格改変プログラムにより記憶を失い、そしてまたふとした時に記憶が蘇るのだと言います」

 ――だというのに、何でこう話がいちいち丁寧というか回りくどいのだろうか。涼月の眉がほんの少しだけ真ん中に寄った。

「バロウ神父様はいずれ心の準備が整ったときにその記憶が蘇るとお話したそうです――皆さんにとってはあたくし自身がその例だったでしょう」

「あー……つまり何か困った記憶でも思い出したってわけか?」

「困った、というか、その……」

 鳳が両手を合わせて視線を彷徨わせる――もじもじという擬音が画面越しに伝わる。

 もしかして死んだ猟兵や螢たちの事で何かを思い出したのだろうか。そう思うと涼月も少し姿勢を正してしまう。

 涼月自分だってどんな『物忘れ』をしているのか分からないのだ。さてどんな話が飛び出すのかと、涼月がデスクの上で拳を握った。

「その、そこでまずお尋ねしたいのですが――涼月さんは、吹雪さんと、キス、とか、されたんですよね?」

「はぁ?」

 涼月の語調は疑念を表すというより、『お前いきなり何を意味不明な事を言ってんだ』という事が、誰でも自然と伝わってくるものだった。

 他の相手なら一笑に付して相手にしない所だったが、その時の鳳の表情はあまりにも切羽詰まったものだった。今にも涙目になりそうなくらい。

 ――泣き虫お嬢様。男の子が苦手な女の子。こんな話題、口に出すだけでも勇気がいるだろう。

戸惑いながらも涼月は、首を縦に振った。

「うん、したよ」

 その回数とかは流石に口に出来る気がしなかった――指折り数えた吹雪とのキスの数。

 涼月が少し赤面している事にむしろ安心したように鳳は微笑み、話の要点を続けた。

「あたくしも実は、していたのです。――その記憶がつい先日、冬真さんとお話をしていたときに、ふと泡のように甦ったのです」

 そう告げながら、鳳は偶然手元にあったペンを一本ぼきりと折った。

「フロー状態の解消のためとはいえあたくしは、あの人に口づけをした上――までしてしまっていたのです」

 げふん、とむせた。それこそ涼月が《停電デー》で吹雪から衝撃の事実を告げられたあの時のように。

 ――涼月ちゃんに、大切なものを貰ったから。

 ――なんだよ、それ。

 ――処女。

 鳳も同じような気分だったろう。

 身体的な接触がフロー状態の解消に繋がる/キスよりもっと過激な事。

 いや、なんというかあたしもお前もやる事やってしまったな――とどこか感慨深さすら感じながら、涼月は神妙な表情を浮かべて答える。

「あー、その、気にすんな」

「気にするに決まっているでしょう!」

 なんとも理不尽な白鳥姫の憤激に対し、涼月の方も慣れたもので平然とこう問い返す。

「気にするのは当たり前か。それでお前にとっては、それが嫌な思い出だったのか? 思い出さない方がいい類の?」

 涼月がデスクに頬杖をついて鳳を半眼で睨む。

 元突撃手スターマンの変わらぬ流儀――肝心な所に真正面から真っ直ぐ突き進む。

 鳳は静かに、首を横に振った。

「いいえ。そういうわけではありませんわ。とても驚きましたし、物凄く恥ずかしい思いをしましたが!」

 トウガラシのように顔を染めた鳳――手元でペンが更に折れて四つになった。このまま最終的には何本に折れていくのか少し気になる。

「あたくしがその事を忘れているのに冬真さんは普通に接してくれていましたの」

「あいつの性格を考えたらそうだろう。言い出したら殺されるって考えるより、教えたらお前の方が傷つくんじゃないかって心配する感じの男っぽいし」

「……そのとおりですわ」

 殺してしまうとはなんだ、と言いたそうな瞳――だが涼月は乙や雛からいろんな話を聞いていた。『鳳は怒るとめっちゃ怖いっしょ』『鳳に逆らったらきっと殺されちゃうのぉ』という言葉を。

 ともあれ鳳にとって冬真が諸々の対象であった事に問題はなさそうなのだが何に悩んでいるのだろうか。

「そこで話は戻るのですが、男の子はやっぱり、女性にキスしたいとか、触れたいとか思うものなのでしょうか……。冬真さんもあたくしに触れたいと思っているのでしょうか」

「お前、それ真面目に聞いてるのか?」

 大真面目なのは分かっていたがつい聞いてしまった。なんて質問をしてくるんだこいつ――落ち着かない気持ちで椅子に座り直す。

 涼月も学校に通うようになってから、クラスメイトと恋愛の話をする事も多いが、まさか鳳を相手にこんな話題を扱うとは思いもしなかった。

 顔を真っ赤に染めたまま、鳳がこくんと頷いた。

「デリケートなお話である事は分かりますが、こんな相談ができる相手は涼月さんしかいませんの。他の特甲児童たちだと……」

「あー」

 陽炎=経験豊富というか年上の男慣れしすぎ。

 夕霧=白露の事を考えると気軽には聞けない。

 乙や雛=年上である鳳から相談できない相手。

 水無月=論外――男性に相談などできない。

 涼月=吹雪と付き合っているうえに、学生生活で同年代の友達が多い――消去法ではなくとも最善の相手だった。

 そしてこんな形で鳳に頼りにされる事が、なんとなく涼月に面映い気持ちにさせた。

「あたしだってちゃんとアドバイスできるか分かんねーけど……」

 そう前置きして話し始める。

鳳が一言一句聞き逃しません、といった調子で画面に向かって身を乗り出した。食いつきがよすぎてちょっとプレッシャーを少し感じる。

「あたしだってその、キスとか、自分からしたりするけど、思いつきみたいなもんだったよ。あいつの方から手を繋ごうとかキスしようってのは少なかった気がする」

 記憶を探りながら言葉を継ぐ――自分の顔が赤いのがよく分かった/広報任務で大衆の前に立つよりも恥ずかしい。

「吹雪の場合、ほらあいつ運動音痴だからさ。仕方ねーなって感じて手を繋いだりする事はよくあったもんだな」

「なるほど、自然と触れ合う状況に陥りやすかったという事ですのね」

 鳳が大真面目に頷く。《拳銃男》事件の時に運動音痴が原因で全裸を見られたのも今や懐かしい思い出のように思えた。

「鳳が心配してんのってたぶん『もし冬真がキスしたいって言ってきたら』ってとこだろ?」

「ええ。やはり冬真さんも年頃の男の子ですものね? そういった流れになった時にあたくしは――」

「拒むにしても、殺すなよ?」

「もう! そんなことしませんっ!」

 鳳=再噴火――涼月は割と真面目に心配していたのだが。

「まあその時はお前が思った通りにすればいい。ノーと言われたらそれをしない――冬真は拒まれたくらいで残念がるようなやつじゃない」

 涼月がにやりと笑った。涼月にもそれが自信を持って言えた。

お前もそう思うだろ、という目配せに鳳は両手を組んで目を瞑った。

「……あの人はいつも、あたくしの望みを叶えてくれていましたわ」

 鳳が今、何を思い出しているのかは分からない――しかし彼女にこんな表情をさせるのであれば、涼月の指摘はやはり間違いではなかったのだろう。

「ま、それに何か血迷って押し倒される事があっても、お前ならなんとかなるし」

「それはそうですが……。もしかして涼月さんは押し倒されたりした事が」

「――ないって」

 興味津々って感じの顔で聞くんじゃねえ――自分の方が押し倒した事ならある、なんて話そうものなら大変な事になりそう。

「あたしたちに出来るのは、いつその時が来てもいいようにしておけばいいって事さ。お得意の要撃と同じなんじゃないか?」

 偉そうにアドバイスしてみたが涼月にも自信はなかった。涼月もまだ十五歳の少女なのだ。

「いるべき場所、いるべき時間に、そこにいて迎え撃つという事ですわね」

 要撃という言葉が良かったのか、幸いにも鳳は納得してくれたようだった。

「では要撃のためには的確な連携と情報が必要です。差し支えのない範囲でよいのですが、キスをなさる時の状況など聞かせて欲しいですわ」

 要撃手サプライザーらしい流儀――肝心な事には入念な準備を持って待ち構えるスタンス。

 ちょっとお前、遠慮ないな――涼月の所感。

「ちょっとお前、遠慮ないんじゃないか?」

 そしてそれをそのまま伝えられるくらいには、涼月の方も遠慮はなくなっていた。

「そんな事は分かっていますっ。差し支えのない範囲でとお伝えしてるでしょう」

 鳳がちょっと不満そうに頬を膨らませた。

「あーもう、分かったよ。今日はいくらでも付き合ってやる。その代わりお前の方もいろいろ聞かせろよな。冬真ともよく通話してるんだろ」

 涼月も仕返しとばかりに鳳を指差す――自分だって他人の恋愛話を聞いて胸を弾ませるくらい許されるだろう。

「確かに涼月さんから話を聞くばかりでは申し訳ないのも事実……ええ、構いませんわ。他愛もないお話ばかりになりそうですが」

「よし、それじゃあちょっと待ってろ。飲み物取ってくる」

 きっとこの話題はしばらく終わらないだろうな――涼月はそう告げるや否や席を立って冷蔵庫へ向かった。


 ――瑞々しい少女たちの恋の花コイバナは夜更けまでしばらく咲き続けたという。

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言の葉より育てよ恋の花 ラピツティア @rabbitia

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