第36話 言いたいことは声に出して
月のない晩だった。
二頭のドラゴンは山野を見わたす崖の上に降り立った。ジークがさりげなくデイジーを風から庇うように翼を広げたのは、さすが第七師団随一――もとい唯一の紳士、とアレンは感心した。
「で? こっからどうすんだよ、おっさん。こんなに暗くちゃ、どこに何があるかわかんないだろ」
当然の疑問を投げかけたアレンに目もくれず、シグルトは虚空に片方の拳をつきだした。口の中でぶつぶつと何事かを唱え、指を開く。
「わっ……」
アレンは驚きの声をもらした。夜の
あの星々のもとに、今日逝った兵士たちが眠っているのだろう。厳粛な気持ちに打たれ、アレンは頭を垂れて犠牲者へ黙祷をささげた。アレンがふたたび顔をあげたとき、野の光は跡形もなく消えていた。
「……くそ」
すぐ横でどさりと重い音がした。魔術師が地面に座りこみ、懐からパイプをとりだして口にくわえた。ただそれだけの仕草で、パイプの火口にぽっと紅い火がともる。
「……めんどくせえ」
白い煙とともに悪態が吐きだされる。
「ちまちまやるのは性に合わんな。山ごと吹き飛ばしてやりゃあよかった」
「それ絶対どっかから訴えられるからやめとけ?」
魔術師をたしなめつつ、アレンも腰をおろした。
「……あのさ」
ためらいがちに、アレンは口を開いた。
「ヴァレー伯の言ったこと、あんまり気にしなくていいと思うぜ」
邪教徒、と吐き捨てた老騎士の、憎しみに満ちた眼差しは、いまでもアレンの頭に強く焼きついている。
「オルランドから聞いたんだけど、このへんて昔から教会の力が強いところなんだってさ。それも教義がかなり厳格なやつ」
そもそも、教会と魔術師、呪術師の
「しかもあの爺さん、教会のお偉いさんも兼ねてるらしくてさ、悪い人じゃないけど、頭固っていうか、融通きかないところがあるんだって。まあ、それ抜きにしても今日はいろいろ大変だったし、怪我もしてたし……だからって、なに言ってもいいわけじゃないけど、話せばわかる人だってアイーダも……」
「どうでもいい」
冷ややかな声がアレンの言葉を断ち切る。
「何度も言わせるな。どうでもいいんだよ。誰が何を信じようが、信じまいが」
「……あんたさあ」
立てたひざにあごをのせ、アレンはため息をついた。
「そういうの、よくないと思うぞ」
「――あ?」
これ以上ないほど不機嫌な声が返ってきた。
「なに言ってんだ、てめえ」
「いや、なんつうか……」
アレンは言いよどんで黒髪をかきまわした。
信じなくてもかまわない。そう口にするときの魔術師の顔は、きまってこう語っているようにアレンには見えた。
どうせ、何を言っても信じないのだろう、と。
頭に「どうせ」がつく場合、おうおうにして本音はべつのところにあったりするものだ。本当は誰かに信じてもらいたい。そんな願いが透けて見える。
信じてほしいなら、まずはちゃんと話せ。そうアレンは思う。言葉を尽くすことを、わかってもらう努力を放棄するな。本当にどうでもいいのなら、何も語らず口をつぐんでいろ。思わせぶりな言葉と態度で、まわりに気をまわさせるな。
整理すると、つまりそういうことなのだが、そのまま告げるのもきつすぎるで、アレンはせいぜい言葉を選んでやわらかく伝え……ようとしてやめた。自分よりはるかに長く生きている中年男の心情を
「いい年したおっさんが
「ふざけんな」
器用にも座ったまま脇腹を蹴飛ばしてきたシグルトを、アレンはぎろりとにらみつけた。
「この外套新品なんだけど」
ドラゴン騎乗用にあつらえられた第七師団の深緑の外套は、トラヴィスを発った際オルランドにもらったものだ。自分の持ち物よりはるかに上質な生地でできたそれを、アレンは大喜びで受けとったのだが、あのときは少々はしゃぎすぎたと反省もしている。
なんとなれば、こんないいもの着たことない! と感激するアレンに、オルランドは可哀想なものでも見るような目をして「予備です」と、もう一着をそっとさしだしてくれたので。そんなつもりで言ったんじゃなかったのに。ありがたくもらったけど。
「てめえみたいな乞食王子には
「ほんとやなやつだな、あんた……」
舌打ちしかけてアレンははっとした。数日前のオルランドと同じ目で魔術師を見る。
「……あんた、もらえなかったんだな。おれもう一着あるけど、よかったら……」
「いらん!」
しっかりきっぱり己の思いを述べた魔術師の頭上を、巨大な影がさっと横切った。
デイジーとジークが首をのばして小さく啼く。仲間の呼びかけに応えるように、黒々としたその影は夜空に綺麗な円を描いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます