第35話 夜更かしもたまにはいい

「――よう」


 アレンが片手をあげて迎えると、シグルトは暗がりでもそれとわかるほどはっきり顔をしかめた。


「なんでおまえがいるんだよ」


 カリス砦の一角で、アレンはドラゴンたちとともに待っていた。野に放置された遺体を焼きに行くと宣言した魔術師を。


「不審者を野放しにはしておけないだろ」


 だから一緒に行くというアレンの申し出は、即座にはねつけられた。


「お子さまはおとなしく寝てろ」

「眠れないんだよ」


 アレンは左腕をさすった。袖の下には黒い染みが隠れている。はじめて見つけたときは指先ほどの大きさだったそれは、いまでは腕の半ばを覆うほどに広がっていた。


「……痛むのか」

「いや」


 むしろ何も感じない。それがかえって恐ろしかった。爪を立てても、ナイフの先でつついてみても、ちくりとも感じないその腕は、もはや自分のものではないようだった。


 夜が明ければ、他の兵士にもアレンと同じ症状があらわれることだろう。いくら亡者に噛まれるなと言い聞かせても、いざ戦闘となればそんな忠告にしたがっている余裕はない。それこそアレンのように。


 砦に引き揚げてから身体に噛み傷を見つけた兵士たちの恐慌ぶりに、アレンは胸を痛めたが、同時に心の隅であさましい思いが首をもたげるのを止めることはできなかった。


 よかった、と。たしかにそう思ったのだ。


 よかった。これで自分だけではなくなる。死への恐怖に怯えるのも、底なしの不安に苛まれるのも、もう自分だけではないのだ、と。


 胸の奥に湧き起こった暗い喜びを自覚した直後、アレンはたまらずその場で吐いた。己がここまで醜い人間になれるのだという事実に、徹底的に打ちのめされた。


「頼むからさ」


 この魔術師の力をもってしても、黒い病の進行を止められないことは知っている。知っていて、気を抜けば目の前の男の腕をつかんでゆさぶってしまいそうになる自分がいる。


 何とかしてくれ、どうすればいいか教えてくれ、お願いだから助けてくれ、と。


 すがるかわりに、アレンはかるく両手を広げた。


「連れてってくれよ。見たいんだ、ここで起こっていること、全部」


 シグルトは黙ってアレンの顔を見ていたが、やがてふいと目をそらした。


「ついてくるって、どうやってだ。言っておくがデイジーには乗せんぞ」

「それは大丈夫。おれにはこいつがいるから」


 な、とアレンがふり仰いだ先で、一頭のドラゴンがうやうやしく首を垂れた。


 オルランドにドラゴンの御し方を教わり、「変態的に筋がいいですね」と誉めているのかけなしているのかわからないお言葉を頂戴したアレンだったが、まだ一人での飛行は危なっかしい。夜間ともなればなおさらだ。


 それならこいつを、とテオがしてくれたのが、こちらの「第七師団唯一の紳士」ジークフリード(愛称ジーク)であった。


「こいつに乗れば、どんな下手くそでも、あれ、自分上手くなった? て錯覚するくらいでしてねえ。気配り屋のこいつなら、アレン王子の面倒もしっかり見てくれますよ」

「それはありがたいけど、随一じゃなくて唯一?」


 だったら他はどれだけ荒くれ者なんだと呆れたアレンに、テオはもっともらしい顔で「うちは一人一人の個性を大切にしてるんすよ」とのたまった。


「ここだけの話、ウィルはジークよりフローラ婆ちゃんのほうがいいって言ったんすけど、今回は遠慮してもらいました。アレン王子がほかの女と仲良くしてたらデイジーちゃんが悲しんじゃいますからね。婆ちゃんでも女は女ですし」


 こんの色男、と脇腹をうりうりしてくるテオをいなしながら、そういやデイジーていくつなんだろ、と思ったアレンだったが、女性に年齢を尋ねてはいけません、との母親の教えにしたがい沈黙をまもった。


 ひとつ確かなことは、テオがドラゴンに見せる細やかな心配りの、その半分でも人間に向けていたら恋人ともっと長続きしただろうにということだが、こちらについても口には出さなかった。だってもう手遅れだし。


「あと、ジークならデイジーとしりとりが成立するからって」

「はげしくどうでもいいな」

「おれもそう思う」


 めずらしく意見が一致したところで、二人と二頭は夜空へ飛び立った。

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