第五章

第33話 暇つぶしには困らない

 アイーダ率いる第七師団がナヴァール守備隊の駐屯するカリス砦に降り立ったのは、帝都トラヴィスを発って三日目の夕刻だった。


「よくぞお越しくださいました、殿下」


 歓呼の声をあげるナヴァール兵の間から、一人の老騎士が進み出てひざをついた。ナヴァール守備隊長のヴァレー伯である。剛直、実直を絵に描いたような老騎士で、聞けば一時期アイーダの剣の師をつとめていたこともあるという。


 老城主はアイーダの紹介をうけたアレンとシグルトにも礼儀正しく頭を垂れたが、魔術師という言葉がアイーダの口から発せられたとき、伯の目に奇妙な光がよぎったことをアレンは見のがさなかった。


「お恥ずかしいことなれど、詳しいことは何もわかっておらぬのです」


 時をおかず開かれた軍議の席で、ヴァレー伯はそう切りだした。


「やつらが何者かはもちろん、どれほどの数がどこに潜んでいるのかもつかめておりません。襲われた村は確認できているだけで四つ。それらの村の生き残りに話を聞いても、まるで要領を得ぬのです。ただ黒い化け物が襲ってきたと、そればかり……」


 ヴァレー伯は苦い顔で言葉を続ける。


「何よりわからぬのはやつらの目的です。襲撃にあった村を調査いたしましたが、食糧も財貨もそっくり残されておりました。つまり略奪が目当てでない。しかし、かわりに人の姿がそっくり消えている。生きている者は奴隷として連れていかれたとして、死体まで運び去るとはいったい……」

「運んだんじゃない」


 低い声が老城主の語りをさえぎった。


「歩いたのさ。てめえの足でな」


 ヴァレーは眉根をよせて声の主を見た。


「わしの聞き違いか。死者が歩いたと聞こえたが」

「そのとおりさ。よかったな、まだ耳は遠くなってねえみてえで」


 あいかわらず誰彼かまわず挑発をしかける魔術師の横腹に、アレンはすかさず肘鉄を食らわせた。それに溜飲を下げたわけではなかろうが、ヴァレー伯はシグルトに鋭い一瞥をくれただけで口に出しては何も言わなかった。


黒屍くろかばね、というのだそうだ」


 かわりに口を開いたのはアイーダだった。数日前にシグルトが皇城で語った黒き亡者について、アイーダはヴァレー伯にたいして簡潔に説明した。


「とても……信じられぬ……神よ」


 額をおさえてうめく老城主を冷めた眼で眺めていた魔術師に、「シグルト」とアイーダが声をかける。


「あなたはこう言っていたな。かの亡者には剣も弓も効かず、ただ炎をもってその身を焼くしかないと」

「たしかに言ったが、それで? さっそくおれを当てにしているのか? お姫様」


 不遜な物言いにヴァレー伯の眉が跳ね上がったが、当のアイーダはまるで気にしたふうもなく笑った。


「あなたのことは大いに頼りにしている。だが、さしあたっては、われらだけで対処してみることにしよう」


 アイーダは卓に広げられた地図の一点を指さした。


「ここに罠を仕掛けてはどうだろう」





 アレンの初陣は十二歳のときだった。国境を荒らしまわっていた盗賊団の討伐に、長兄の従卒として出征したのだ。そのときはこれといった出番もなかったアレンだが、集団と集団がぶつかる戦というものは、個人の喧嘩とはまるで勝手が違うのだなと子ども心にも理解したものだ。なかでもわりと決定的な違いとして、


「遅いっすねえ……」


 待機時間が長いということが挙げられる。アレンの右隣でテオがぼやくと、左隣からウィルが「遅いな」と応じた。


「そろそろ日が暮れちゃいますよ。ナヴァールの皆さんたち、まさか道間違えちゃったなんてことないっすよねえ」

「それはないだろ。ありえないくらい方向音痴のおまえならともかく」

「ウィルはいつも一言多いっすねえ。そんなんだから人間の女の子と長続きしないんすよ」

「一言多いのはそっちだろ! おまえこそ、この前せっかくできた恋人と三日で別れたじゃないか」

「あれ、なんだったんすかね。ドラゴンに似てるってほめたら急に怒りだしちゃって」

「なんでそこで怒るんだ。最高のほめ言葉じゃないか」

「女は謎っすねえ」

「……なあ、これつっこむべき?」


 げんなりした顔でアレンが後方の団員にささやくと、三十がらみのその男は「いいです、ほっといて」と面倒くさそうに手をふった。


「そいつらはもう手遅れなんで。アレン王子も下手に関わらんほうが身のためですよ。ドラゴン愛にかぶれて婚期逃したくなけりゃね」

「んなこと言うなら、場所かわってくんないかな。おれ、これ以上ひと言だってドラゴンて単語聞きたくないんだけど」

「いくら王子様の頼みでも、そいつだけは聞けませんや」


 首をすくめた男のまわりで、他の団員たちも一斉にアレンから目をそらした。


 アレンと第七師団の面々が身をひそめているのは、狭い峡谷を見下ろす断崖の上である。


 崖のきわに周辺の森から伐りだした丸太を山と積み上げ、そのかたわらに十頭ばかりのドラゴンを配し、アレンたちはといえばドラゴンの巨体のすきまに身体をおしこむようにして座っている。そんな窮屈な状態で、アレンたちはもうずいぶん長いこと、あるものを待っていた。


 いくら臨戦態勢とはいえ、ただ待つだけというのはつらい。よって、自然な流れとして隣同士で世間話に興じることになる。それはいい、とアレンも思う。戦いにのぞむ緊張や恐怖をやわらげるのに、雑談はきわめて有効だ。


「なんすか、アレン王子ってば、つれないっすねえ」


 よろしくないのは、自分が師団きってのドラゴン狂にはさまれているという事態のほうであった。


「冷たいこと言わないで、アレン王子の好みも教えてくださいよ。可愛いのと綺麗なの、どっちがいいんすか?」

「や、おれは気立てがよけりゃそれで……」

「尻尾は長いのと短いの、どっちがいい?」


 ドラゴンから離れろ、この狂信者ども。


「あ、じゃあ、しりとりなんてどうです? いま第七師団うちで流行ってるんすよ」

「おお、それはいいな。アレン王子が勝ったら、おれたちが一杯おごるってことで」

「いいのか? おれ、結構しりとり強いぜ」

「うちにいるドラゴンの名前縛りなんすけど」

「勝たす気ないよね、それ!」


 思わず叫んだアレンに、後方から「がんばれ……」と無言の声援が送られたときだった。


「――来た」


 団員の一人が短く告げた。あたりの空気がぴんと張りつめる。


 誰が指示を下す必要もなかった。かねてよりの打ち合わせどおり、全員がすばやく配置についた。

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