幕間

第32話 雪の日の記憶

 勢いよく扉が開き、粉雪とともに冷たい夜風が舞いこんできた。


「あの教会の豚どもが!」


 黒髪の青年が部屋に入ってくるなり、外套を床にたたきつける。そのはげしい剣幕に、シグルトの隣に座っていた少年が飛びあがった。


「雪は外で払ってこい。床が濡れる」


 小言を口にしながら、シグルトはこの場に自分と弟子の二人しかいないことを残念に思っていた。兵士の間では温厚な人格者で通っている指揮官の本性を暴いてやれる、またとない機会だったのに、と。


「……おまえは」


 あたかもそれが憎い仇であるように外套をにらみつけていた青年は、怒りの矛先を魔術師に向けた。


「いつもいいかげんなくせに、どうしてこんなときだけまっとうなことを言うんだ! おれが馬鹿みたいだろ!」

「実際馬鹿だろ。いいから閉めろ。寒い」


 青年が動くより先に、栗色の髪の少年が戸口に駆けよって扉を閉め、ついでに外套をひろいあげて壁の釘にかけた。


「ああ、ありがとう。きみは……?」


 戸惑った顔をする青年に、少年はぴんと背筋をのばして答えた。


「シグルト師匠の弟子のギルロイといいます。師匠にお届けものがあって訪ねてまいりました。よろしくお願いします、アスラン大公!」

「大公はよしてくれ。そうか、シグルトの弟子……」


 アスランは感慨ぶかげにうなずいた。


「いくつになる?」

「十三です」

「そうか。えらいな、きみは。その若さでこんな人格破綻者に仕えていられるとは、よほど人間ができているんだな」

「いえ、ほかに行くあてもないので仕方なくです!」


 はつらつとした笑顔のまま、ギルロイ少年はすばやく身をよじった。一瞬前まで少年の顔があったところに飛んできた木製のカップが壁にあたって跳ね返る。アスランはすかさず魔術師の頭をひっぱたいた。


「物を投げるなといつも言っているだろう!」

「うるせえ! これはしつけだ!」

「あ、ぼくなら大丈夫です」


 ギルロイは胸ポケットから握りこぶし大のふわふわしたものをいくつか取りだし、「はいどうぞ」と師に手わたした。


「……なんだこれは」

「羊の毛を丸めた玉です」

「それは見りゃわかる。これをどうしろと?」

「エステバンさんからの贈り物です。どうしても物を投げたくなったらこれを投げてくださいって。これなら当たっても痛くないし、物も壊れないので。たぶん師匠、なれない団体行動でかりかりしてると思うから、せめてこれを投げて気を晴らし……っとおおおお!」


 火球と化した毛玉を投げつけられた少年は、頭をかかえて床にはいつくばった。


「なるほど、こりゃあいいもんだなあ……」


 剣呑な笑みを浮かべた魔術師の手の平で、青白い炎につつまれた毛玉がばちばちと火花を散らしていた。


「師匠! 使い方まちがってます! それ火種でも飛び道具でもないんで!」

「もらったもんをどうしようとおれの勝手だ」

「だめですって! エステバンさんは師匠に犯罪者になってもらいたくない一心でこれ作ってくれたんですから! あと丸めるのぼくも手伝いましたし!」

「意外と愛されてるんだな、おまえ」


 アスランは感心したようにつぶやくと、床にころがったカップをひろいあげ、卓上の瓶から葡萄酒をそそいだ。


「届けものというのはそれか」


 シグルトの前に積まれた書状の束に、アスランは黒い瞳をかげらせる。


「悪いしらせか?」

「いや……」

「とびきり悪い手紙です!」


 言葉をにごした師のかわりに、弟子が元気よく答えた。


「借金とりから五通、裁判所から三通、ご近所からの苦情が四通と、あとはご領主からの果たし状です」

「果たし状とはおだやかじゃないな。きみの師匠はいったい何をやらかしたんだ」

「ええと、奥方とのフギミッツウだとか。これってどういう意味です?」

「……きみはまだ知らなくていい言葉だ」

「ヤンさんも同じこと言ってました。とりあえず奥方の趣味が最悪ってことだけ覚えておけばいいって。あ、師匠、それ読んでもらえばわかると思いますけど、いま師匠のかわりに牢屋に入れられてるの、グリードさんですから。で、ヘルゼンさんからの伝言ですけど、とりあえずグリードさん助けるために屋敷売っぱらいますね、て」

「あの野郎、勝手なことしやがって」

「おまえが言うな」


 葡萄酒をすすりながらアスランはじとりとした目を魔術師に向けた。


「帰らなくていいのか」

「平気だろ。弟子どもが適当に処理するさ」

「そのとおりです」


 なげやりに答える師の横で、弟子がもっともらしい顔でうなずく。


「いま師匠に帰ってこられたら、かえって事がこじれますので」

「なら、なんでてめえはのこのこやってきたんだよ」

「それはですね、おれたちがどれだけ苦労しているか、その百分の一でもクソッタレ師匠に思い知らせてやりたい……って、師匠師匠! これぼくじゃなくてバルタザルさんの台詞ですから! あと、それは燃やさず投げてください!」


 火球の乱舞が一段落したところで、ギルロイは額の汗をぬぐって立ち上がった。


「いちばん大事な伝言をお届けしそこねるところでした。これ、ぼくら一同からのお願いです――師匠はともかく、サリムさん帰ってきてください」


 ギルロイが口にした一番弟子の名に、シグルトは片眉をあげる。


「サリムならここにはいねえよ。デイジーと一緒に〈はての海〉に行かせてる」

「あちゃあ、運が悪いなあ。ならサリムさんがもどってくるまで、ぼくここにいていいですか? ひとりで帰ってくるなと皆さんに言われてるので」

「好きにしろ」


 シグルトはそっけなく応じ、手紙の束をまとめて暖炉に放りこんだ。荷ほどきしてきますと、はずむような足どりで二階にあがっていった少年の後姿を見送りながら、アスランはしみじみとした口ぶりで言った。


「あの子は将来大物になるぞ」

「ただのはな垂れ小僧だ。それで、おまえは何があったんだよ」

「あ? ああ、なんだったかな……」


 アスランは何度かまばたきをした。


「おまえの華麗なる人生に比べれば、取るに足らないことだが」

「嫌味か」

「本心だよ。たいしたことじゃない。帰る途中で人語をしゃべる豚につかまっただけだ」


 穏やかな口調で辛辣な言葉を吐くのは、この青年の特技である。


「やつらが言うには、あの病にかかるのも、そして黒屍くろかばねとなるのも、すべては信心が足りないからなんだそうだ。己が罪を悔い、ひたすら祈りを捧げれば、必ずや神がお救いくださるとか。しかも聞いて驚け、教会の聖水をあのあざにふりかければ、いずれ痣も消えてなくなると!」


 アスランは両手をひろげ、調子のはずれた笑い声をたてた。


「ありがたい聖水の値段はたったの銀貨十枚! じつにすばらしいじゃないか」

「それだけじゃねえだろ」


 シグルトはつまらなそうに口をはさんだ。


「その人語を解する豚とやらが、続けてなんと鳴いたか当ててやろうか。だから遺体を焼くなんぞもってのほか。討伐軍にまぎれこんでいる邪教徒の言い分に耳を貸すな……」

「だいたいそんなところだ」


 アスランはカップの中身をひと息に飲み干し、たん、と卓に音高く打ちつけた。


「やつらの頭には砂糖水でもつまっているのか!? おまえの炎がなければ、事態はいっそう悪くなっているというのに、かびの生えた教義にしがみついて現実に目を向けようとしない! おまけに言うに事欠いて、おまえのことを邪教徒だの背徳者だの、金にだらしない色魔だのご近所の敵だの……」

「どさくさにまぎれて話を盛るな」


 ここぞとばかりに追加される悪口雑言を、シグルトはさえぎった。


「やつらの反対は今にはじまったことじゃねえだろ。豚の鳴き声なんざいちいち気にするな」

「おれたちはよくても民はどうなる。きもしない聖水とやらを売りつけられているのを黙って見ていろと?」

「それで本人の気がすむならべつにいいだろ」


 半分以上本気でシグルトは言った。


 止めたところで、かわりに何をしてやれるわけでもないのだ。最近では外を歩くのも億劫おっくうになっている。異端者めと唾を吐かれるくらいならまだしも、邪教の力でもいいから助けてくれと袖にすがられるのは、いささかたまらなかった。


「それに、教会がふとるのも悪いことじゃねえ。やつらが儲けた金が、まわりまわって戦費の一部になってんだ。割り切れよ」

「……どうしておまえは」


 アスランはいまいましそうに魔術師をにらみつけた。


「今日にかぎって大人の理屈をふりかざすんだ!? さては弟子が来たからいいとこ見せようとしてるだろ!」

「ギイ坊は関係ねえだろ。酔ってんのか、おまえ」

「このくらいで酔うか」


 わった目をしたアスランはおもむろに席をたち、「飲みに行く」と宣言した。


「おお行ってこい。そんでうるさいから今夜はもう帰ってくんな」

「なにを言ってる。おまえも来るんだ」


 やなこったとシグルトは断ったが、面倒くさい精神状態に陥っているらしい相棒にしつこく食い下がられ、しぶしぶ腰をあげた。


「そういえば、知ってるか?」


 外套をはおりながらアスランが声をかける。


「この街のはずれに伝説の宝剣とやらが刺さった岩があるんだそうだ。剣を抜いたやつが英雄になれるとかで、うちの連中が挑んでいるんだが、まだ誰も成功していないらしい。ついでだから、おれたちも試してみようじゃないか」

「んなもん作り話に決まってんだろ。くだらねえことにばっか首つっこんでんじゃねえよ」

「良識家ぶるな。他人ひとの女房寝取っておいて」

「双方合意の上だ。なんか文句あるか」

「やかましい。次からは亭主の合意もとりつけておけ」


 扉が開閉する音に気づいたギルロイが階下をのぞきこんだとき、すでに師とその友人の姿は消えており、すきま風にあおられて暖炉の炎が揺れているだけだった。


 置き去りにされた少年は肩をすくめ、「大人って勝手だな」とひとりごちた。

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