第31話 半人前でも男前

 デイジーに乗りたい、というアレンの要望は、「デイジーにの」のあたりで魔術師に却下された。


「しみったれだな。ちょっとくらい、いいじゃないか」

「やかましい。男と相乗りなんざ死んでもごめんだ」


 出立をひかえた第七師団の竜舎前である。デイジーをはさんでにらみ合う二人のまわりでは、団員たちが忙しそうに駆けまわり、その興奮を感じとったかのように、ドラゴンたちも長い首をさかんに上下させている。


「誰が同乗させてくれなんて言ったよ。デイジーだったら、おれ一人でも乗れるし」

「阿呆」


 デイジーの首をなでながら、シグルトはふんと鼻をならした。


「こいつはおれ以外のやつには乗りこなせねえよ。なあ?」

「そんなことないよな、デイジー?」


 二人の男にせまられた美女デイジーは困ったように目をぱちぱちさせていたが、そこへ第三の男が仲裁に入った。


「アレン、あなたはこちらへ」


 ドラゴンたちの間からオルランドが手招きをする。


「まだ一人で乗るのは危ないですから」

「保護者がお呼びだぜ、半人前」


 意地悪くせせら笑った魔術師の向こうずねを蹴飛ばして、アレンはデイジーの首に腕をまわした。


「いまは無理でも、いつか絶対迎えにくるからな!」


 ええ待ってます、と言うようにデイジーもアレンの頬に頭をすりつける。「見せつけやがって」とか「青春……」などという団員たちのつぶやきを背中で聞きながらオルランドのもとへ駆けよったアレンだったが、鞍に手をかけたところで嫌な思い出がよみがえった。


「あのさ、オルランド、乗せてもらえるのはありがたいんだけど……」

「そんなに警戒しなくても、行軍中に曲芸飛行なんてやりませんよ」

「あ、それなら……」

「寝不足なので、いつもより飛行が荒れるかもしれませんが」

「荒れるってどんくらい!?」


 動揺をあらわにするアレンに、周囲から同情の眼差しが投げかけられる。


「よかったらおれんとこ来ます?」

「こっちでもいいぞ」


 親切に申し出てくれたのはテオとウィルだったが、アレンはちょっと考えてそれを謝絶した。行軍中延々とドラゴン愛を語られるのも、それはそれで結構きつい。


「ま、オルランドでいいか」

「やっぱり新技でも披露させていただきますかね」

「オルランドがいいです。それでさオルランド、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」


 怪訝そうな顔をする副師団長に、アレンはささやかな希望を打ち明けた。




 今日は朝から風がうるさい。


 エリノアールは長椅子に横たわり、クッションを胸に抱いてぼんやりと天井を眺めていた。


 朝のうちに姉姫が出立の挨拶にきてくれた。しばらく会えなくなるなと、寂しそうに笑って髪をなでてくれた姉に素直に抱きつけなくなったのはいつからだろう。姉が師団長に就任したときからか。それとも、とび色の髪の青年が姉につき従うようになった頃からだろうか。


 風が窓を鳴らす。うるさいわね、と寝返りをうったところで、視界に小さな花が映った。優美な花瓶にいけられた、白とピンクの花。素朴というより、みすぼらしい花だ。どうしてこんなものが欲しいと思ったのか、自分でもさっぱりわからない。


 何気なく手をのばして花にふれると、早くもしおれかけていたピンクの花から、ひらりと一枚花びらが落ちた。同時に、頭の中に昨夜の声がすとんと落ちてくる。


 ――あんたの言うことももっともだな。


 あんなふうに言われたのは初めてだった。どんなわがままも甘い顔で受け入れる父とは違う。あきらめ混じりの服従を示す侍女とも違う。単純で率直な肯定の表明。


「……なによ、あんな貧乏王子」


 エリノアールは胸にかかえたクッションをぼすぼすとたたいた。あの王子のことはなるべく考えないようにしていたのに、一度思い出してしまうと次から次へと昨夜の記憶が泡のように浮かんでくる。


 良いことなど何もなかった。屋台の食べ物はどれも甘ったるくて夜中に胸が焼けたし、下品にはねるだけの踊りにつき合わされて足も痛んでいる。


 きわめつけは、あの気味の悪い暴漢だ。怖かったのに、あの王子は自分を置き去りにして飛びかかっていってしまった。それで相手を倒せたならともかく、警備隊を呼んでもどってみれば、ぶざまに地に転がっていたのだから、まったくもって情けない王子だ。


 うなる風が窓をたたく。本当にうるさい、と窓をにらみつけたエリノアールの耳に、かすかな人の声がとどいた。


 空耳かと思った。あるいは風の音と聞き違えたのだろうと。この部屋は城の最上階にある。窓の外から人の声が聞こえるはずはない。


「……エリー!」


 今度はもっとはっきり聞こえた。エリノアールはがばりと身を起こし、窓辺に駆け寄った。露台バルコニーに面した窓を開けたとたん、ざっと強い風が吹きこんでくる。


「――あ、よかった!」


 髪を押さえるのも忘れ、エリノアールはその場に立ちつくした。目の前で巨大なドラゴンが羽ばたき、風をおこしている。その背にまたがるは鳶色の髪の青年と――


「急にごめんな、エリー!」


 どうして、とエリノアールは目を見張る。どうして、この王子は笑っているのだろう。恐ろしい病にかかったと聞いている。昨夜の黒い男に噛みつかれたせいだと侍女が噂をしていた。その病を治す手がかりを見つけるために、姉と旅立ったのではなかったのか。


「おれさ! いまからナヴァールに行くんだよ! それでちょっと挨拶に……」

「……てる」

「あ、悪い! 風でよく聞こえな……」

「知ってるわよ、そのくらい!」


 そっか、と彼はまた笑う。


「部屋に閉じこもってるって聞いたから心配してたけど、そんだけ大声だせりゃ大丈夫だな! 昨日は怖い思いさせて悪かったよ!」


 そうだ、怖かった。良いことなんて何ひとつなかった。


 全部この王子のせいだ。屋台に並ぶ品がどれもとびきり美味しそうに見えて手にとってしまったのも、おかしなステップにつられて足が痛くなるまで踊ってしまったのも、花を捨てようとした侍女を叱りつけて奇妙な顔をされてしまったのも。


 それから、自分につき合わなければ、彼はあの暴漢にも出くわさず、病を得ることもなかったのではという思いに悶々とさせられているのも、全部全部この王子のせいだ!


「そんだけ言いたくてさ! じゃ、急いでるから、またな!」


 一方的に告げると、黒髪の王子は背中の青年に目配せをした。心得た青年が手綱をあやつり、ドラゴンはくるりと向きを変える。去り際にちらりとこちらを見た青年の暗紫色の瞳が、めずらしく笑みを含んでいたことに驚き、しばらくぽかんと露台にたたずんでいたエリノアールだったが、ややあってはっとした。


 ついさっきまで横になっていたせいで服は寝間着のまま、おまけに髪はくしゃくしゃだ。こんな姿をあの青年の目にさらしたのかと思うと、顔から火が出そうだ。


「馬鹿!」


 雲間に遠ざかる影に向かって、エリノアールは叫んだ。


「ばかばかばかばかっ!」


 いくら叫んでも、彼にはもう自分の声はとどかないのだと思うと、ひどく腹立たしかった。だけど、あの王子は「またな」と言った。ならば、とエリノアールはきっと空をにらみつけた。


 次に会ったときはたっぷり文句を言ってやるんだから!


 物音を聞きつけてやってきた侍女たちの戸惑った気配を背中に感じながら、エリノアールは手で顔をこすった。涙がにじんでいるのは吹きつける風のせいだと自分に言い聞かせながら。





「……あなたも隅におけませんねえ」


 からかうように声をかけてきたオルランドを、アレンは首をそらせてふり仰ぐ。


「ただの挨拶だって」


 あとは、また要らぬお節介だ。しばらく帝都を離れる想い人の顔を見せてやれたら、などという。


「照れなくてもいいじゃありませんか。なかなか格好よかったですよ」

「一人でドラゴンにも乗れない半人前が?」


 ふくれっ面をするアレンに、オルランドは顔をほころばせた。


「乗り方なら道々教えてあげますよ。あなたは筋がよさそうだ」

「本当か!?」

「ええ。ですが、いまは皆に追いつくのが先ですね。とばしますから頭さげてください」

「ちょっ――!」


 ちょっと待てと言う暇もなかった。邪魔だとばかりに、いつかと同じく頭を押さえつけられる。ぐんと速度がまし、耳元で風が暴れだす。


 次は絶対テオかウィルに乗せてもらう! と心に誓いながら、アレンは必死でドラゴンの首にしがみついた。

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