第15話 竜使いの皇女

「よく考えたら、これってまずくないか!?」 


 吹きつける風に負けじとアレンが声をはりあげると、「何がです」と後ろからオルランドが顔を寄せてきた。


「おれがお姫様にキスするんだよなー! そんで、しっ……」


 失敗、と言いかけたところで、口をふさがれた。


「大声を出さなくてもちゃんと聞こえてますから」


 背筋がぞわりとしたのは、男なんぞに耳もとでささやかれたせいというより、その声が真冬の霜のように冷え冷えとしていたからである。


 一行が西の荒野を発ったのは三日前のこと。アレンはオルランドのドラゴンに同乗させてもらい、一路トラヴェニアを目指していた。


 生まれて初めての空中飛行は、すばらしいの一言に尽きた。落下防止のために腰をベルトで鞍に固定したアレンの背中で、オルランドが手綱をにぎる。ドラゴンが地を蹴って飛び立ったときは、さすがに声をあげてしまったアレンだったが、半日もしないうちにすっかり慣れ、いまでは眼下の景色を楽しむ余裕も生まれている。


 まさにこのときも、朝日をあびて世界があざやかに色づいていくさまは、息をのむほどに美しい。


 アレンたちの前ではデイジーに乗ったシグルトが悠々と飛行している。手綱もなしにドラゴンを操れているのは、魔術のなせるわざというより、デイジーの気立てがいいからだろう。


 さらにその前では団員のウィルが一行を先導し、最後尾はテオが固めている。互いに充分距離をとってはいるが、大声で話していれば会話の切れ端くらいは耳にとどくかもしれない。不用意に「取引」内容を口にしたアレンが責められるのも当然だった。


「それで、何がまずいというのです」


 あらためて問われて、アレンは「うちさ」と口を開いた。


「男兄弟で妹とかいないからよくわかんないんだけど、父親にとって娘ってのは特別可愛いものなんだよな?」

「ご家庭によりけりでしょうが、少なくとも陛下はエリノアール様を溺愛なさってますね」

「だからそれまずいって。その可愛い娘にさ、突然あらわれた野郎がキスするだろ? でもお姫様は目を覚まさないだろ?」

「そこでわたしの出番です」

「いや、その前にさ、失敗した王子ってどうなんの? お姫様の寝こみを襲っておいて、ただで帰してもらえるとは思えないんだけど。包丁もって追いかけられるくらいならまだしも、アルスダインうちに攻め入られでもしたらことだぜ」

「包丁をふりまわす皇帝という図には個人的に興味をそそられますが……まあ危なくなったらわたしが適当に何とかしますのでご心配なく」

「適当かよ」

「適宜対処します。それから、わが国が貴国に侵攻するなど万にひとつもありませんよ」


 オルランドは自信たっぷりに断言した。


「なにしろ、貴国を征服しても銅貨一枚の得にもならないどころか、いらぬ負債をかかえるようなものですから。財務大臣がまず了承しますまい。ある意味、貴国は大陸でもっとも戦火に遠い国と言えますね」

「……あ、そう」


 次の手紙で「だってさ! よかったな親父!」としらせてやろうとアレンが考えたときだった。


 頭上がかげった。雲が太陽をさえぎったのかと、上を見ようとしたアレンの頭を、オルランドが片手でつかんでドラゴンの背に押しつけた。いや、より正確に言うならたたきつけた。


「なっ……!」


 何をすると抗議しかけたところで、ふわりと不快な浮遊感がアレンを襲った。ドラゴンがものすごい勢いで急旋回したのだ。そのままほとんど垂直に身を立てて空を翔け上がる。オルランドが頭を押さえてくれていなかったら、アレンは腰から上が宙吊りになっていたところだった。


 急停止。のち、急降下。


 アレンは、もはや自分が上になっているのか逆さになっているのかすらわからなかった。ただ固く目をつぶり、ふりおとされないよう必死でドラゴンの背にしがみつく。耳もとで風が咆哮をあげ、冷気の刃が頬を切りつける。息がつまり、胃がねじれ、酸っぱいものが喉にせりあがってくる。


 これは、死ぬ。アレンの胸にひやりとした思いがよぎった刹那、唐突に風がやんだ。


「またわたしの勝ちだな!」


 高らかな声が空に響いた。


「いつもより動きがのろかったぞ。腕がおちたのではないか?」

「同乗者がいるのですよ。少しは加減してください、団長」


 ため息まじりのオルランドの呼びかけに、アレンは唖然とした。巨大なドラゴンにまたがり、誇らしげに胸をそらせているその人が年若い女性であったので。


「ご紹介しますよ、アレン。こちらはわが第七師団の団長にして――」


 オルランドはいったん言葉を切った。アレンの驚きを楽しむかのように。


「トラヴェニア帝国第二皇女、アイーダ様です」

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