第16話 恋とは別のなにか

 エドにいに似てるな、というのがアレンのアイーダ皇女に対する第一印象だった。


 無駄なく引き締まった肢体に、健康的な小麦の肌。黒い巻き毛は短く整えられ、黒曜石のような瞳が生き生きと輝いている。年はオルランドと同じか少し上といったところか。美人と呼ぶにはやや目の間が離れており、口も大きすぎるが、にっこりと笑った顔は親しみやすく、なにより全身から発せられる溌剌はつらつとした空気はこころよい。


「きみが、あのアルスダイン王国のアレン王子か。会えて嬉しいぞ」


 ええ、あの大陸最貧国の王子めにございますと、やや卑屈な気持ちでアレンは身をかがめ、さしだされた皇女の手をとってかるく口づけた。固い皮膚に覆われた手に、これは剣も相当使えるなとアレンはふんだ。


「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。皇女殿下」


 ふだんは城下で手間賃仕事にいそしんでいるアレンだが、その気になれば王家の一員として恥ずかしくない程度にはふるまえる。高貴なご婦人への作法など久しぶりすぎて忘れかけていたが、さいわい体が覚えていてくれたようだ。


 だが、礼をとられた皇女はぽかんと目を見開き、次いで爆笑した。


「見たかオルランド! わたしを貴婦人あつかいする者に会ったのは何年ぶりだろうな!」


 オルランドは無言で肩をすくめ、アレンはあっけにとられて笑いころげる皇女を見つめた。


「いや失礼」


 アイーダは笑いすぎて涙のにじんだ目尻をぬぐい、アレンの手をにぎってぶんぶんと上下にふった。


「まさかあんな返し方をされるとは思ってもみなかったものでな。見てとおり、わたしはこんな姿なりだから、まわりから女扱いされなくなって久しいのだ。だがまあ、たまにはこういうのもいいものだな」


 あけすけな物言いと大きな笑顔を前にして、アレンの顔も自然とほころんだ。


「あらためてよろしく、アレン。わたしのことはアイーダと呼んでくれ」


 快活な師団長は帝都周辺を巡回中にドラゴンの影を見つけ、さては部下たちが帰ってきたのかと文字どおり飛んできたのだそうだ。


 なお、出会いがしらにオルランドのドラゴンを急襲したのは、ウィルいわく「団長と副団長の日課」だそうで、不運にもそれに巻きこまれたアレンは、地上に降り立った直後にテオから「あんた、すげえっす! 副団長の曲芸飛行につきあわされて吐かなかったやつ初めて見たっす!」と背中をたたかれたとたん、口をおさえて木立の間に駆けこんだのだった……。


「そしてそちらは……」


 デイジーのほうを見やったアイーダは、そこではっとしたように口をつぐんだ。巨大なドラゴンの陰から進みでたのは誰であろう、灰色の中年男だった。


「魔術師のシグルトだ。よろしくな、お姫さま」


 片目をつぶるなっ! とは、その場にいた男たち全員に共通する思いだったろうが、シグルトは野郎どもの寒々しい視線などどこ吹く風といった様子でアイーダに気障きざったらしい笑みを向けた。


「ああ……よろしく」


 ちょっと待て、とアレンはうろたえた。なぜに皇女殿下は頰を染めていらっしゃるのか。こころなしか、その黒い瞳もうるんで見える。まさか、いやそんな馬鹿な――


「……魔術師どの」

「シグルトでいいぜ。アイーダ」


 だめだ目が腐るとアレンが顔をそむけた先では、耳が腐ると言わんばかりのオルランドが渋面をこしらえていた。


「シグルト……その、ぶしつけなことを訊くようだが……」

「うん?」


 当人たち以外が酷寒を耐え忍んでいるなか、アイーダは思いきったようにその問いを発した。


「そのドラゴンは天然種か!?」


 ――あー……はい。


 石化したシグルトにかわり、「そうなんですよ、団長!」とウィルが答える。


「やはりそうか! この力強い翼! 改良種とはひと味違うな」

「さすがお目が高い! ですが団長、驚くのはまだ早いですぜ。デイジーさん、ちょっとお口開けて……はい、そこでとめて!」

「なんとすばらしい牙! 鋭くも美しい……」

「しびれるっすよね、団長。おれもうデイジーちゃんになら噛まれてもいいかなって……」

「あっ馬鹿、それはおれが言おうと思ってたんだ。くっ、この魅惑の牙でおれの体をもてあそんでほしいっ!」


 いや、やめとけよ。死ぬから。


「団長」


 熱いドラゴン談義に冷水を浴びせかけたのは、副師団長のオルランドだった。


「いまは帝都へ急ぎませんと」

「ああ、そうだったな」


 アイーダはうなずき、アレンに向き直った。


「妹を救いにきてくれたこと、感謝する。アレン」


 信頼に満ちたその笑顔に、アレンの胸の奥がちくりと痛んだが、結局黙ってうなずき返すことしかできなかった。


 しばしの休憩の後、一行は再びドラゴンに騎乗した。


「……オルランド」


 飛行するドラゴンの背で、アレンはぽつりと呼びかけた。


「なんです」

「やっぱりさ、あの筋書き……」

「いまさらおりるなどと言わないでくださいね」


 ぴしゃりとさえぎられてアレンは首をすくめた。


 アレンたちの前を、デイジーとアイーダのドラゴンが並んで飛行している。アイーダは飛びながらシグルトにさかんに話しかけているようだ。風にのって切れ切れにとどく彼女の声は、ドラゴンがドラゴンでドラゴンのドラゴンと……以下略。


「アイーダって、いいひとだよな。おれ、あのひとのこと好きだな」

「あの方に会えば、たいていの者がそう思うようですね」

「オルランドもだろ?」


 さりげない言葉に含ませた本当の問いを、勘のいいこの青年なら正確にすくいとってくれただろう。返事はなかったが、オルランドの沈黙は何にもまして雄弁だった。


「おれ、アイーダをだますようなことしたくないな。それにさ、オルランド、いいのか? エリノアール姫と結婚なんかしちゃって」


 アレンはとりたてて色恋に通じているわけではない。だが、幼い頃から兄たちのまわりにいた少女たちを見ているうちに、なんとなくわかるようになってしまったのだ。片恋をしている者の眼差しというものが。


「なあ」


 ふりむこうとしたところで、アレンは額を指ではじかれた。


「でっ……」

「まったく、何を言いだすかと思えば」

「だってさあ……」


 口をとがらせてアレンが見上げた先で、オルランドはどこか茫洋ぼうようとした面持ちで空を眺めていた。


「好きだの嫌いだの、そんな単純な感情だけで世の中が動いているわけではないのですよ」


 そうだろうか、とアレンは思った。結局、世の中を動かしているのは人間で、その人間を動かしているのは、あのひとが好きだとか、あいつは気に食わないだとか、つきつめればそんな単純な感情ではなかろうか。あとは某魔術師が抱えているような下種げすな欲とか。


「とにかく、計画は続行です。あなたがどうしてもやりたくないというなら――」


 オルランドは暗紫色の瞳に危険な光をひらめかせた。


「いまこの場で、あなたと魔術師どのの愛を叫んでさしあげますが」

「やらせていただきます」


 オルランドは満足げに微笑んだ。初めて会ったときと同じ、一分いちぶの隙もない笑顔だった。


「期待していますよ、アレン」


 話は終わりとばかりに、オルランドは「ほら」と前方を指さした。


「見えてきましたよ」


 地平の彼方に、灰色の建物の連なりがうっすらと姿をあらわしていた。その中でひときわ高くそびえるのは城壁の物見の塔だろうか。


「帝都トラヴィスです」


 皇女の帰還を告げるがごとく、先頭のドラゴンがひと声いた。甲高く尾をひくその声に応えるように塔から鐘の音が鳴り響き、碧空へすいこまれていった。

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