第8話 それは心をえぐるような

 昔々あるところに、一人の魔法使いと七人の弟子が住んでおりました。魔法使いはたいそう強い力の持ち主でしたが、同時にたいそうなひねくれ者で、おかげで弟子たちは毎日のように、それはそれはひどい目にあわされておりました。


 ある年、〈はての海〉からやってきた〈まだらの手〉と戦った魔法使いは、力を使い果たし長い眠りにつきました。しかばねのように横たわる師をとりかこんだ弟子たちは、はからずも同じ思いをいだきました。


 ――しめたっ!!


「顔に落書きしてやろうよ(弟子A)」

「発想がしょぼい! 次!(弟子B)」

「いっそ永眠していただくというのはどうでしょう(弟子C)」

「それができれば苦労しないんだよねえ。見なよ、このひと防護術だけはがっちがちにかけちゃってさ。うっわ、おまけにこれ……美女にキスされて目覚めるとか……(弟子D)」

「最低だな、ちきしょう。おれがこののろいだけでも……ぐはっ! なんて強力な呪いだ! とても歯がたたない……(弟子E)」

「落ち着けって。馬鹿正直に正面突破をしかけなくてもいいだろ。要は、どうやったらこの加虐者サディストの心をえぐってやれるかってことだ(弟子F)」

「そのとおり。みな思いだせ。このひとが常々嫌いだと公言していたものはなんだった? どうだろう、このひとが眠りから覚めたとき、目の前にいたのが美女ではなく、べつのものだったとしたら――(弟子G)」

「それだ!!(弟子A~F)」




「……術の構造を解き明かすのに五十年」


 老賢者ギルロイは遠い目をした。


「それから術をばらし、組み換えるのがまた至難のわざであった。年月とともに仲間は一人、また一人と欠けていった。それでも、あきらめようなどと言う者はおらんかったな。たおれた仲間の力を受け継ぎ、いつしかわしは魔術師と呼ばれる身となった。そして、ついに術の組み換えに成功したのだ。正直なところ、何がどうなって上手くいったのかはわからんが、おそらく徹夜明けで書きなぐったあの手紙……あれが功を奏したのじゃろう。やはり正義はわれらに……ぬおっ!」


 シグルトの指先から放たれた一閃の光が、ギルロイの頬すれすれをかすめざま、そばに立っていたアレンの胴着の端をじゅっと焦がした。


「っぶねえな、おっさん! 暴力反対! 火気厳禁!」

「黙れ、クソガキ」


 シグルトの瞳にゆらめく灼熱の炎に、これはまずい、とアレンの胸にひゅっと冷たい風が吹く。


「覚悟はできております」


 だが、老賢者は動じなかった。


「いかようにも、師匠」

「なに言ってんだよ!」


 アレンはギルロイの腕をつかんだ。


「動機はめちゃくちゃくだらないし、正直あんたら百年も何やってんのって思うけどさ! せっかく魔術師になったんだろ! 命を粗末にするなって!」

「よいのだ。わしは為すべきことを為した。いまならば胸をはって先にった仲間にも会えよう」


 きっぱりと宣言した老賢者の瞳に迷いはなく、アレンはつかんでいた腕を離した。


「……わかった」


 だがその前に、とアレンはギルロイに片手をつきだした。


「金貨一千枚」

「……はえ?」


 不意打ちをくらったように、老賢者の目が泳ぐ。


「とぼけんなよ、爺さん。あんたがあのふざけた手紙の送り主なんだろ。あんたたちの望みどおり、この不良中年をたたき起こしてやったのは、このおれだ。約束どおり金貨一千枚きっちり払ってくれよ。もらうもんもらったら、おれは国に帰らせてもらうから」

「……あー、その……なんだ」


 ギルロイはこほんと咳払いをしたのち、きりりと表情をあらためた。


「年若き王子よ、おぬしの目には黄金こそがこの世でもっとも貴重なものに映っておるのだろうが、真に貴い宝とは金銭ではけっしてあがなえぬもの。そう、たとえば愛――」

「あいにく、おれが欲しい愛は金で買えるんだな、これが」


 アレンは物騒な笑みをたたえた。長兄がときおり見せる飢えた獣のような笑みや、次兄の氷の微笑にくらべれば、迫力もすごみもいまひとつだったろうが、老賢者の額に汗を光らせるには充分だった。


「まさか賢者サマともあろうお方が、元手もなしに博打にでたってか?」

「……王子であれば金に困っておらぬのでは……」


 その一言は、これまで金に困ったことしかなかったアレンの心を深く深くえぐった。アレンはギルロイから身を離し、壁際にしりぞいた。杯を片手に事のなりゆきを傍観していたシグルトに向かってかるくうなずく。


「いいぜ」


 ――思う存分やっちまえ!




 ……その日、西の空にひらめいたいかずちのごとき光は、遠くアングレーシアの街の住人も目にするところとなった。季節はずれの嵐でもやってくるのかと噂しあう客の声を背中で聞きながら、赤毛の女給は窓から空を見上げていた。


「あのお兄さんたち大丈夫かしらねえ……」


 つぶやいたところで客に声をかけられ、女給は笑顔でふりむいた。


「蜂蜜酒を一杯くれんかのお」

「あら、昨日のおじいさんじゃない。今日は薬酒じゃないのね。なにかいいことでもあった? あ、もしかして昨日のあれで気に入っちゃった?」


 客の老人はしわだらけの顔をくしゃくしゃにして笑い、女給がそそいでくれた蜂蜜酒の杯を大事そうにかかえたのであった。

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