第7話 復讐は蜜の味
「なあにが――」
シグルトは行儀悪く卓の上に足をのせた。
「荒野の賢人だよ。
「お恥ずかしい」
ひかえめな笑みを浮かべた老賢者は、シグルトとアレンの前に湯気の立つ杯をおいた。杯の中身は、酒場の主人が「ギルロイ様のところに行くなら」と土産に持たせてくれた蜂蜜酒だ。それをギルロイはお湯で割り、さらに香辛料をひとつまみ加えて供してくれた。
アレンは礼を言ってさっそく杯に口をつけた。舌にぴりりと伝わる甘さと温かさが、疲れた身体にじんわりしみわたる。
「おい、ギイ坊」
同じく蜂蜜酒をすすりながら、シグルトが横柄に声をかける。
「そのなりを見るに、おまえ、ものになったのは最近だろう。またえらく時間がかかったじゃないか」
魔術師は、その身に魔力がみなぎるようになると、つまり一人前の魔術師になると老化がゆるやかになるのだという。魔術師を名乗る者がたいてい老人の姿であるのは、魔術師として大成するまで、それだけの年月がかかるということの
そんな中、比較的若い――それでも立派な中年であることに変わりはないが――シグルトは、本人が自称するとおり「天才」の部類に入るのかもしれない。
だがしかし、とアレンはあらためてシグルトの姿を横目でうかがった。
陽の下では青みが勝つ灰色の瞳を不機嫌そうに曇らせ、背中を丸めて蜂蜜酒をすすっているその姿は、魔術師どころか賭場で腐っているゴロツキそのもの――とは、少しばかりアレンの偏見がすぎるだろうか。
「非才の身ゆえにございます。師匠のご期待にそむきましたこと、面目次第もございません」
対して、シグルトの向かいに端然と座すギルロイは、アレンが思い描く「正しい魔術師」そのままの姿だった。老いてなおぴんと伸びた背筋。長い髪と髭は処女雪のように白く、同じく純白の眉の下では琥珀色の双眸がおだやかに笑んでいる。
「べつに期待なんかしちゃいねえよ。逆に驚きだぜ。あの、しょっちゅう寝小便たれて泣いてたギイ坊が」
「師匠が夢魔の術にこっていらした頃の話ですか。ずいぶん長く生きてまいりましたが、あのとき師匠が見せてくださった悪夢をこえるものにはまだ出会うておりません」
「尼僧院に忍びこんで逆さ吊りにされてたギイ坊が」
「尼僧と深い仲になっておられた師匠をつれもどそうとして、逆にわたしが捕まったのでしたな。ふふ……まさかあのとき、師匠がわたしを見捨ててお逃げになるとは思いもよりませんでしたぞ」
アレンはそっと目頭をおさえた。なんだろう、瞳から水があふれてきそうだ。
「ときに師匠、そちらの方は……」
老賢者に眼を向けられ、アレンは居住まいを正した。
「アルスダイン王国第三王子、アレンと申します。お目にかかれて光栄です、ギルロイ師」
この老人が、とんでもない不幸の手紙を送りつけた張本人かもしれないという考えは、このときアレンの頭からすっかり消え失せていた。ギルロイの身からにじみでる威厳が、アレンの心に自然な敬慕の念を呼び起こしていたのである。
「王子……」
一瞬、老賢者の瞳に熱病患者のような光がよぎったように見えたのは、アレンの気のせいだったろうか。
「失礼だが、アレン王子……その、おぬしが王子ということは……そして師匠とともにいるということは……師匠の眠りを覚ましたのは、まさか……」
アレンとシグルトはちらと視線を交わし合った。互いに心底嫌そうな顔で。
「はあ、まあ」
アレンが不承不承うなずくなり、ギルロイはばたりと卓に突っ伏した。
「ギルロイ師!?」
「うおおおおおおおおっ――!!」
雄たけびをあげた老賢者に、アレンは激しくうろたえる。
「えっ、あの、どうしました……」
「ついに……っ!」
ギルロイはがばりと顔をあげ、アレンの腕にすがりついた。
「ついにやったのじゃ! わしの、いや、われらの悲願……」
ギルロイは恍惚とした表情で、ここにいない者の名を次々と呼んだ。
「グリード! エステバン! ヘルゼンにヤン……ああそれにバルタザル! みな見ておるか……ついに……ついにやったぞ!」
「おい、ギイ坊、てめえらまさか……」
何事かを察したシグルトの低い声を、ギルロイの歓喜の叫びが圧した。
「われらが復讐の
老賢者の魂の咆哮が、石の壁に反響した。
もてる力のすべてをふりしぼったように、ギルロイはぜいぜいと荒い呼吸をくりかえす。その背中をさすりながら、アレンは冷ややかな眼を旅の連れに向けた。
「……おっさん」
「何も言うな」
シグルトはふてくされたように蜂蜜酒をすすった。
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