第6話 荒野の賢人

 広大な荒れ地のただなかに、ぽつりとたたずむ小さな石造りの館。それが荒野の賢人ギルロイの住まいだった。


「ごめんください」


 アレンが扉をたたいたがいらえはなく、吹きすさぶ風が固く閉ざされた窓をがたがたと鳴らしただけだった。ためしに扉を押してみたが、錠が下ろされているらしく、びくともしない。


「どけ」


 やおらシグルトが進みでて扉に手をかざした――ところで、アレンはすかさずその足を蹴飛ばした。


「――っのクソガキ! てめえはまた!」

「いや、あんたこそまた何やらかす気だよ。放火か? 発破か? いいかげんにしてくれよ。おれもうあんたの後始末するのだかんな」


 卓の焦げ跡くらいならまだしも、扉を破壊されたら復元は難しい。そもそもこんな荒野の真ん中では材料の調達もおぼつかないではないか。アレンがそう主張すると、シグルトはむすっとした顔で「じゃあどうすんだよ」と吐き捨てた。


「そんな物騒な手を使わなくても普通に錠を開ければいいだろうが。こう、魔術でちょちょっと……」

「そういう簡単そうなやつにかぎって……」

「面倒だって? あーはいはい、わかったよ」


 アレンはおもむろにマントの留め具をはずした。


「どいてろ。おれがやる」


 一時期、錠前師に弟子入りしていた経験をもつアレンは、扉の前にしゃがみこんで鍵穴に留め具のピンを挿しこんだ。


「おまえ、王子じゃなくて泥棒だったのか」

「あんたは偉大な魔術師どころか、ただの役立たずの無職だな」


 背中でシグルトが何やらわめいていたが、錠前破りに集中したいアレンは無視を決めこんだ。


 最悪の出会いから一夜明け、アレンとシグルトは馬と驢馬ろばを並べてアングレーシアの街を発った。


 なんでおまえまでついてくる、とシグルトは露骨に嫌な顔をしたが、アレンは引き下がらなかった。とんでもない詐欺広告を出した張本人に文句を言ってやらなければ気がすまなかったし、なにより金貨一千枚を持って帰らなければ、アレンを待っているのは変態の愛玩動物ペットあるいは老女の介護人という、心たのしくない二択だったので。


 ちなみに、シグルトが連れている馬は、アレンが昨日匂い袋で酩酊させたドラゴンである。シグルトの背丈の倍はあろうかという巨大な灰色ドラゴンは、百年ぶりに再会した飼い主をつぶらな瞳でじいっと見つめ、翼をぱたぱたさせて喜びを表現した。


 ちょっと可愛い、と思ったアレンの前でシグルトが手をひとふりすると、ドラゴンはたちまち葦毛あしげの美人馬に姿を変えた。


 デイジーという名のこのドラゴン、なかなかに人なつっこい性格で、アレンとも、アレンの愛(驢)馬バルザック爺さんともすぐに仲良くなった。いまでは主人のシグルトよりアレンのほうに甘えてくるほどである。


 さて、アレンが作業をはじめてからさほど時間はかからず、錠前はぱちんと気持ちのいい音を立ててはずれた。


 破壊をまぬがれた扉を押し開き、二人は館の中へ足を踏み入れた。最初に目に入ったのは、書物が山と積まれた大きな卓。むきだしのはりからは薬草の束がぶらさがり、壁の棚には中身のわからない壺やら瓶やらが並んでいる。いかにも隠者の棲家といった風情だったが、肝心の住人の姿はどこにも見あたらなかった。


「で、こっからどうすんだよ」


 アレンが訊ねると、シグルトはおおざっぱな回答をよこした。


「とりあえず、なんかあやしいものがないか探してみろ」

「なんでおれが。だいたい、あやしいものって具体的にどんなのだよ」

「なんでもかんでもおれに訊くな。ちっとはその軽そうな頭はたらかせてみろ」


 二人が非友好的な視線を交わしたところで、背後でかさりと物音がした。


「――お客人かの」


 ぎくりとしてアレンがふりむくと、戸口に一人の老人が立っていた。逆光で顔はよく見えないが、背が高く、腰までとどく白髪と白髭の持ち主だ。痩身をゆったりした長衣につつみ、右手に身の丈より長い杖をついている。


「おまえさんがた……」


 何事かを言いかけた老人がはっとしたように口をつぐみ、杖をかかげる。来るか、とアレンが身がまえた次の瞬間、視界を青白い光がいた。


「なっ……」


 とっさに腕をあげて目をかばったアレンの耳に、どさりと重い音がとどいた。


「……よお」


 つづいて聞こえたのはシグルトの低い声。腕を下ろしたアレンが見たものは、床にはいつくばる老人と――


「久しぶりだなあ」


 その背中を踏んづけている中年男の姿だった。


「おい、おっさん……」


 年寄りに相手に何やってんだ、とアレンが叱りつけようとしたところで、老人の口から弱々しい声がもれた。


「……師匠は、お変わりなく」

「師匠!?」


 シグルトはふんと鼻を鳴らした。


「おまえは老けたな、ギイ坊」

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