第5話 白馬じゃないとだめですか
「――そこに書いてあったのが……って聞けよ!」
アレンが卓を殴りつけると、シグルトの肩にもたれていた女給がきゃっと身を離した。おまえな、とシグルトが片眉をあげる。
「店の備品はもっと丁寧にあつかえよ」
「あ、ごめん……じゃなくて! あんたが人の話聞いてないから悪いんだろうが!」
「だっておまえの話長い上につまんねえし」
だからといって女給をつかまえて「今夜何時にあがるの」とか口説きはじめないでほしい。そっちのお姉さんも「えーどうしよっかなー」などと応じないでください。いま大事な話の途中だから。
「おまえの嫁選びなんざどうでもいいんだよ」
「そこから話さないと、なんでおれがここに来るはめになったのか、わかってもらえないだろ」
「わからなくてもいっこうにかまわん」
シグルトは面倒くさそうに片手の平をアレンに向けた。
「出せ」
「え?」
「察しの悪いガキだな。その手紙とやらをよこせよ。持ってんだろ?」
懐から
「ったく、前ふりが長いんだよ。はじめからこれ出せばすむ話だろうが」
それは手の平ほどの大きさの古びた羊皮紙だった。父王の話によると、国王宛の手紙の束にいつの間にかまぎれこんでいたらしい。差出人は不明。かさかさにかわいた紙面には、踊るような筆跡で次のように書かれていた。
――
アングレーシアの丘にたつ古い塔をご存知ですか? 茨に覆われ、火を吹くドラゴンに守られた塔の最上階には、邪悪な魔法使いに呪いをかけられ、百年間眠り続けている姫君がいるのです。姫を呪いから救う方法はただひとつ。勇気ある王子の熱い口づけだけ! さあ、これを見たあなた、いざ白馬にまたがり塔へ!
追記 姫君を助けてくださった王子には、金貨一千枚を贈呈します――
今度はアレンがシグルトに手をつきだした。
「なんだよ」
「なんだじゃない。金貨一千枚、さっさとよこせ」
「はあ? なんでおれがそんなもん出さにゃならんのだ」
「だってここに書いてあるだろ!」
ここ! とアレンは羊皮紙にある「金貨」の文字をびしっと指さした。
「ここにこんなこと書いてあるせいで、競争相手が多くて大変だったんだぞ!」
どうやらこのあやしい手紙、大陸全土にばらまかれていたらしく、アレンがアングレーシアにたどりついたとき、丘の上は諸国の王子および彼らの白馬ですっかり埋めつくされていたのである。
あいにく白馬を調達できず、まだら模様の
そんな苦労も、すべては金貨一千枚のため。だが、シグルトはにべもなく首を横にふった。
「知らん。おれが書いたんじゃねえし」
「じゃあ誰が書いたんだよ!」
その質問には答えず、シグルトは羊皮紙の上に手をかざした。
「おっさん……」
「黙ってろ」
ぴしゃりとはねつけたシグルトの顔が、これまでとはうって変わって険しいものだったので、アレンは喉まで出かかった文句を呑みこんだ。
「……魔術だな」
シグルトは苦々しげにつぶやいた。
「あんたがかけたっていう?」
「馬鹿、おれじゃない。おれが仕掛けた術と内容がまるで逆になっている」
たしかに、塔で眠る「姫」と白馬の「王子」を逆にすれば――
「え、自分で自分を王子とか……」
「その口縫うぞ。ふん、おれの術を上書きするとは、なめた真似してくれるじゃないか。いったいどいつが……」
口もとに不敵な笑みをひらめかせ、シグルトは指の先で羊皮紙をかるくなでた。とたんに、卓の上にぼっと青白い炎が立った。
「わっ……」
思わずのけぞったアレンの目の前で、小さな炎はあっという間に羊皮紙をなめつくし、わずかな灰を残して消えた。シグルトがふっと灰を吹き飛ばすと、そこには文字の形をした焦げ跡がくっきりと浮かびあがっていた。
――ギルロイ。
「ギルロイ……」
シグルトがその名をつぶやくと、「ギルロイですって?」と女給が身を乗りだしてきた。
「それって荒野の賢人ギルロイ様のことかしら」
「賢人だと?」
首をそらして見上げたシグルトに、女給はたっぷりした赤毛をかきあげながら「ええ」とうなずく。
「西の荒野にお住まいの魔術師様よ。たまにこの街にも来て病人を診てくれたりもするの。ひと月ばかり前にも来てくれたわね」
「本当か。次はいつ来る?」
「わかんないわよ。ずっと来ないときもあれば、ちょくちょく来てくれることもあるし。待ってるより行ったほうが早いんじゃない? 馬なら一日かかんないと思うけど。ええと、場所はねえ……」
女給は親切にも客の一人からギルロイの住まいを聞きだし、簡単な地図まで描いてくれた。
「悪いな」
「いいわよ、このくらい」
女給は色っぽく片目をつぶり、意味ありげにシグルトの肩に指をはわせた。
「それより、ねえ、お客さん……」
シグルトの顔がだらしなくゆるむ。そこへ、女給は「これ」と卓の焦げ跡を指さした。
「弁償してくれるわよね」
え、と固まるシグルトに、女給はにっこりと笑いかけた。
「困るのよねえ、お客さん。店の備品はもっと丁寧にあつかってくれないと」
ぶはっと噴きだしたアレンだったが、彼女の次の台詞で笑いをひっこめた。
「それとも、そっちの可愛いお兄さんが払ってくれるのかしら」
「いや、おれはそのおっさんとは無関係なんで」
「あら、キスまでした仲なのに?」
「誤解だ!!」
アレンとシグルトの絶叫が店にこだました。
はじめ、焦げのひとつくらいお得意の魔術でどうにかしろとアレンは突き放したのだが、一見簡単そうなことほど、じつはものすごく面倒なのだとシグルトがだだをこねたため、やむなく翌朝アレンが
ついでに、がたついていた卓や椅子の脚を直し、油をすりこんでぴかぴかに磨いてあげたので、喜んだ店主は飯代と宿代を
魔術って意外と役に立たないのな、とのアレンの感想に、シグルトは黙ってそっぽを向いただけだった。
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