第6話 欠在ル核採ル

 第6章 ケツア、コアト



      1


 放っておけば死ぬだろう。死ぬことを決めている顔だった。

 胸糞悪い。

 だからうろうろさせたくなかったんだ。

 凶器はその刃物。と、

 感染した脳髄。と、

「逃げらんねえぞ」

「逃げるったって」鬼立キリュウが言う。

 先がない。

 あるのは雨雲と。雨と。

「どこにいるの」サキが言う。

「殺ったろ、どっかの誰かが」

「どこ?」

 刃物を。人に向けてはいけません。例えそれが、

 自分でも。

「見てて」サキが言う。

 一本目。

 雨に混じってすぐに透明。

 黒なんかたちまち。

「見てねえってよ」

「じゃあ」サキが言う。

 二本目。

 駄目だ。死んでる。

 こっちにいない。あっち側で。

 そっちにえんでは。

「死んでないんでしょ」サキが言う。

「ガキもそうやって」

「いないわ」

 いないってゆってるでしょ。

 いい加減雨が鬱陶しい。

 前髪が眼に刺さる。耳は轟音で機能低下。鼻に入るは口に入るは。不味いこんな酸性。

 いないの。いるわけ。

「いないんだから。いないわよ。私が」

 殺した。

 生かしたくなくなった。生きてたって。

「指を切るしか価値がない」

 いまちょっとだけ、

 えんでが瞬きした。そうか。

 代返してくるか?

「切ってやったの。だからいないわ。もういない」

 子どもなんて。

「僕の子?」えんでが言う。

 三本目。に躊躇い傷。

 黒い飛沫が透明に挑む。瞬間最大風速。

 呼吸が止まる。

「僕の?どうなの」えんでがもう一回言う。

 指が。遺体ということにようやく。痛い。

 押さえる。

「僕のなんだね」

 サキ。

 いつ?

「眠ってるとき?気づいてたんじゃない?」えんでが言う。

 どうだか。

「僕が知らなくて君が知らないとかあり得ないよ。なんで黙ってたの?」

 興味ねえだろ。んな瑣末。

「まあそうだけど。勝手に出させといてさ。窃盗?」

 強姦だろ。

「きもち悪くなかった?」

 忘れた。

「ふてぶてしいね。そいつは俺じゃないとか言う気?」

 なにいってんだ?お前にそんなもん付いて。

 ないね。

「ごめん忘れて」えんでが言う。

 えんちゃん。

「きもち悪い呼び方禁止」

「ごめんなさい私」

 どうしても。

 どうしても?

「僕のじゃないんでしょ。先生と結ばれない僕に対する当てつけ? それとも、僕に付属いてないとか思ってる?余計なお世話だよ。おかしいんじゃない?代理母でもやろうと思った?僕に断りもなしに?反対されるってわかってて。どうやって先生を誘惑したわけ?やってご覧よ。観ててあげるから」

 無視するんじゃなかったのか。

 あまりに酷いからね。つい。

 四本目。

 五本目。

 水溜りに。沈むのか浮くのかその部位は。

 雨でよかったね。

「きもち悪いサキの嗚咽が聞こえなくて済む」えんでが言う。

 聞こえなかったと思う。聞こえなかったからこそ。

 刃物が。

 躊躇いなく。

 後始末はずぶ濡れで立ち尽くしてた龍華タチハナに押し付けるとして。

 鬼立に空けた穴を塞いでやらないと。ああ、そうだ。

 餞別。

 ずるりと、引き抜いて。

 六本目。挿れたまんま現場向かう奴があるか。

 欲しいだろ。要らねえよ。

 切ったあとの指は。

「よくわかったね」えんでが言う。

 代返だっつって。

 ごめんごめん。雨が不味くって。

 何本作ったと思う?

「ぜんぶ俺のだろ」

 自惚れすぎじゃない?

 水で滑る。足がふらつく。

 眩暈と世界の反転が同時に。

 大丈夫?

「へーきへーき」

 君が死んだら。

 わーってる。死なせない。

 あいつだけは。

 生かして。正義とやらを。

「ないのに」

 だよな。

 中指はそもそも。

「ないんだ」


 探偵の中指の在り処がわかった。


      2


 土曜。右の薬の予定日。

 探偵の提案通り、リサイタルを中止させて会場で張っていたら。意図も簡単に。

 亜州甫アスウラかなまは彼女だった。

 演奏者は来ない。

 そう告げたら、そう、と言って帰ろうとしたので。

 その場で任意同行。出来なかった。

 どこからともなく暴君が現れて。しかも弁護士同伴。

 怪我は。

 治った。それはお目出度いことで。

 彼女が本当に亜州甫かなまなのか。死んだ奴が替え玉で。

 そこまでして守りたい音。

 離婚もしたくなる。ご執心。

 中榧ナカヤともるの意識が戻った。との暴君の去り際の置き土産。

 すでに暴君が突破してくれてあった。面会謝絶という凍結道路の先陣。主治医の怒鳴り声は塩カルで溶ける。わけがないが。

 雪かと思ったが。

 桜が舞っている。

 窓を開けようとして手を。

 見て、

 見ぬ振り。下ろせばコートの袖の中。見えない。

「探偵の人は」中榧ともるが言う。

「悪かったな。俺で」

 喋れた。ことに驚いた。

「会うことあったら」中榧ともるが言う。

 教えてほしい。

「それなりに返礼は」

 必要ないだろうに。

 名前の一つや二つ。いや、ピアノのことか。

「弾いてやるといい」

「治す」中榧ともるが言う。

「治るよ」

 ゆびきりさん。

「縁起でもない」

「約束です」中榧ともるが言う。

 小指が。

 あってよかった。指切りが出来る。

 ゆーびきーりげんまんうーそついたーらはーりせんぼんのーます

 指切った。

 落下。

 ぼたぼたぼたぼた。黒い斑点。

 強制的な闇。幻影。

 やめろやめろやめてくれ。

 俺は。

「お前だと思ってる」

「話したくありません」中榧ともるが言う。

「喋らせることもできる」

「いましがた戻ってきたところらしいですよ」

 つい先刻だろうが。ずいぶん昔だろうが。

 こちら側に。

「戻ってきたからには」

 会話してもらう。義務がある。

 出来るか。出来ないか。ではない。やる。

 誰もやらないなら。探偵がやっていかないから。俺がやる破目になる。

 ぽたんぽたん。

 点滴の。雪溶けの。

 白い手元。積もったのは。

「好かないんです」中榧ともるが言う。

 窓の外。視線誘導。

 釣られない。

「葉に負けて散っていくところは嫌いじゃないんですけど。花より後から出てきたのに夏も秋も、もしかしたら冬も。長い間、樹の栄養源を生成して」

「何が言いたい?」

「葉桜の頃にまた」

 リサイタルを。

「招待します。あなたと」

「一席無駄になる」

「二人に来てほしいんです。一緒に」

 そうしたら、最終楽章まで。

「寝るかもしれない。慣れてないんだ生憎と」

「手を握っててもらうのはどうですか」中榧ともるが言う。

「トイレに立てない」

 椅子を勧められた。

 会話する気があるということだろうか。

「トイレはご自由に。そこを出て」

「余計なお世話だ」

 窓を開けろといわれた。

 座らせたり立たせたり。怪我人の特権。

 むわ、と。生温かい空気が。

 舞う。白い。

「社長には息子がいて」中榧ともるが言う。

「事件と関係あるのか」

「離婚の原因を、あいつは知らない。もしかしたら知ってるかもしれない。勘というか、とにかく察しがいい。よすぎて苦労してた。だからわかったと思う。自分はそれほど愛されてない。もうひとりいるんです。そいつの兄が。母親と一緒に」

 なぜ自分を置いていったのか。捨てられた。

「あいつ、ピアノ辞めてるんです。父親に弾かされたから反抗して、と本人は言ってましたけど。久しぶりに会ったら。俺も高校からずっとフランスにいて。社長からそのこと聞いて、むしろ様子を見てこいって言われたんですけど」

 俺よりずっと、

「上手くなってた。絶対弾かないと言ってた奴がですよ。母親のピアノ聴いて、これは自分も、と思って奮起したらしいですが。わけかわからない。俺には」

 母親みたいに弾きたくて。

 父親には弾きたくない。

「絶対弾かないと、俺が何度言っても全然駄目だったのに。俺が」

 一番弾いてほしかった。

 最初から、俺より遙かに綺麗な。

「亜州甫さんもあいつのピアノが好きでした。社長と契約したのも、あいつの父親だったからだろうと。先生が聴いたら何て言ってくれたでしょうか。本当にいい音なんです。CDを貸したい。社長に頼めば」

「結構だ。それより事件の」

「社長は俺をあいつのライバルに仕立て上げようとしたつもりですが。敵いっこない。初めから八百長で。ヨーロッパ制覇の女神から生まれて、元世界コンクール二位に育てられた指に。ほぼ独力の俺が。あいつが弾かなかったから、俺は一位だった。あいつのライバルだから、あいつがいないならあいつに匹敵することを示すために。それだけです」

 長々とすみません。中榧ともるは頭を下げようとした。

 下がらない。

 仰向けで寝てる人間が頭を下げたら。

「無理しなくていい。今の話の意味がわからない。事件とどう」

「探偵の人に」

 繋いでもらって。

「切ったかもしれないし、切ってないかもしれない。関係者かもしれないし、無関係かもしれない。ただ、俺の先生はあいつより」

「探偵も弾けるらしいが」

「先生仕込みです。聴けばわかります」

 聴けば。ということは。

「弾いたのか」

「聞いたことないんですか」

 んなの誰だって。

「弾けんだろ指がありゃあ」クソガキが。死んで「ねっつってんだよ」

 部屋と廊下の境。白い巨大な影。

 つかつかつかつか。

 見下ろす。

 見上げる。

「足」

 あんだろうがよ。

 床を見る。

 傾く。前方の。

「ともる」探偵が言う。

 迎えにいった。空港。

 暴君社長が。

「知ってる」中榧ともるが言う。

「羨ましいか」

「俺が生きてたことより重要らしいから」

 大事な息子が。

「帰国だそうで。一家総出でお帰りなさいパーティだとよ」

 やけに暴君の機嫌がいいと思えば。

 置き土産。中榧ともるの容態について俺に。

 体のいい押し付けだった。

 そんなことより、「お前、いままで」

「俺の席要らねえから代わりに」探偵が言う。

「聴いてくれるんですか」中榧ともるが言う。

「てめえの先生呼ばずに誰」

 も聴いてくれなかった。誰も。唯一聴いてくれたのは、

 社長の息子。

 ああ、なんだ。

 競争相手じゃなくて。

「友だちは大事にしろよ。伝言だ」探偵が言う。

 ありがたく。

 ありがとう。ともるはお辞儀を試みたようだった。でも仰向けの体勢からお辞儀をしようとすれば。

「んなツラ見せる気か。久々の」探偵が言う。

「あっちで会ってる。先月だ。一緒に聴きに行って」

 お前また空港行ってたんじゃ。そうゆう眼で見てやったが。

「行くか」探偵が言う。

 窓閉めてからな。


      3‐3


 とっくに。死んだものと。そーすけの口が動く。

「死にました」

「じゃあ、いま眼の前にいる君は」

「死体です。抜け殻の」

 ニンギョウ。

 変わってない。まだこんなことを続けている。

 私が死んだから。

 それは言い訳。私の音が欲しいなら。

「なにか、飲むか」

「すぐ帰ります」

「それは寂しいな。せっかく」

 ドアの向こう。

 秘書を控えさせていたら殺してやろう。

「せっかくだから」

「あなたに聞かせる音はありません」

「結局は別れたそうだな。逃げておいて。戻ってくる気はないか」

 戻るも何も。初めからそこには。

 私の帰る家を奪って。

 私の歩く靴を奪って。

「約束が違いますね」

 気配。ニンゲンの。

「なんのことだ」

「気分を損ねました。帰りま」

 ちなさい。

 待て。腕を。

 痛くはないが。

 不快。

 蹴ろうにも足を。予想しないわけではなかったが。

 やはり、あなたとは。

「会いたかった。君を忘れたことはなかった」

 私じゃなくて、

「音でしょう。私の音を手に入れるには私ごと」

 手に入れるしかない。あなたはそう言っていた。

 あのときはソファだったのに。もうそんな余裕も理性もないらしい。

 私を手に入れたところで、私の音は。

「俺のものに」

 教え子に対して余りに酷い仕打ちだから処遇改善を求めに来たような気がするけど。

 予定変更。

 それほど欲しくはないけれど。

 切ればそれで。目的。要らない。切ったあとは。

 触れようとしたそれを。

 掠った。無駄な反射神経。

「やはり君か。そうじゃないかと思った。俺への復讐か。そうなんだろ。絶対に来ると」

 鬱陶しい自己顕示欲。

 少し減らしても罰は当たらない。指す。

「あのときはビックリしたよ。まさか君が」

「気のせいでは?」

「だったようだ。ない。ないね」

 足の間をまさぐる。

 厭な指。全部切り落としてしまいたい。

 もう、ピアノを弾くことはないのだから。この男の指は。

 弾かせるほうに徹して。

「いまからでも遅くない。そのために別れたんだ。知ってるだろ。なあ」

 指す。

 刺す。黒が落ちてくる前に。

「さようなら」

 きっと、生きている。あなたは悪運が強い。

 先生と同じくらい。

 会いたいけれど。もう会わないことに決めたから。

 だって約束してある。死んだらぜんぶ、

 いただきます。

 むしゃむしゃばりばり。


      A


 冤罪だ。やってない俺は。

「殺してない」

 聞き飽きた。

 いい加減認めてくれ。物的証拠も状況証拠も証拠という証拠すべてが口を揃えてお前を犯人だといってるんだ。

 飲まず喰わず。

 提供してないわけじゃない。

 拒否。そんなことよりさっさと俺を。

 釈放?

 あれだけ酷い殺し方をしておいて。

「駄目かね」陣内が言う。

 わかっていることをわざわざ聞かないでほしい。

 陣内ははあ、と溜息をついて。わざとらしい。

 差し入れ。俺の好きな銘柄の。

「寝るな、ということでしょうか」

「無能にやらせるなということだよ」陣内が言う。

 俺が。俺に。

 取り調べろと。

「苦手なのを」

「食わず嫌いとしか思えないな。やる前から」

「やりました。やった上での」

「事情が違う。赤の他人と」

 わざと。

 言わなかった。

 赤の他人じゃない。でもそこまで親しいわけでは。

「それなら尚更貴方のほうが」

「駄目なんだよ。それが何故か、わからない君ではあるまいに」

 嫌いだから。

「嫌われてるわけではないんだろうに」陣内が言う。

「わかりません」

 どう思われているのか。

 好意。嫌悪。

 そのどちらにも属さずに。

「とにかくだ、私は君に期待している。任せたよ」

 そうやって、逃げるから。

 眼を背けて。向かい合わずに。

 利用価値がなくなれば。

「見捨てるんですか。ご自分で養子に迎えておいて」

「息子と思ったことは」

 ただの一度もない。

「手に余る」

「無責任だとは思われないのですか。私には、貴方がそのような態度を取られるから」

 探偵を降りたくなった。

 最悪の形で。

「とやかく言われる筋合いはないね」

 赤の他人に。

 貴方だって。

「傍観者になるしかないんだよ。わかってくれ。私には」

 赤の他人に。

 なりきる自信がない。

「君に任せるほかないんだよ。この通りだ」陣内が言う。

 そこまでされると返って。

「信じますか。あいつの」

「信じているから」

 駄目なんだ。私が介入すると。

 やっていない。その方向を強引に舵執りして。

 平らにしてしまう。

 何事もなかったかのように。被害者が、

「あの子じゃなければ。私も」

 トイレに。

 許可しないわけに。

 陣内が演技なのか本気なのか見極める前に。

 どちらにせよ、関係者を拒絶して。無関係を装いたいらしい。

 やったならやったで揉み消すだろうし、やってないならやってないで俺に押し付けて。正義を追及した俺の監督者として権力の拡大を。

 ニンギョウ。

 ニンゲンじゃないか。

 人形と人間の区別がつかない精神状態だったとしたら。

 どうだというのだ。やったことには変わりない。

 殺した。

 人間の尊厳を根絶やしにする方法で。

 異常事態発生の。

 騒音。

 逃がした?どこをどうやったら。

 ちゃんと捕まえておかないから。大方油断でも。

 どことどうしたら。

 署内で逃亡を許せるという。

 無能どもめ。これだから。

「鬼立!」

 三歩四歩。廊下は袋小路。

「手間を増やすな」

「信じてくれ。お前なら」探偵が言う。

 わかる。わからない。わかるはずが。

 信じていたのに。

 正義は。

「信じられない」

 お前は。

 お前には。

「俺の知り合いに人殺しはいない」

 やれ。

 確かに巨体だがこちらとてプロ。数で押さえれば。

 鬼立。

 鬼立。呼ぶな。うるさい。

 お前なんか。

 信じた俺が愚かだった。正義は、

 もう一度探しなおさないと。そこにはなかった。

 まやかしの。思い込み。得意技だ。

 俺は、やってないって、

「いってんだろうがよ」探偵が言う。

 頸に。

 認めたようなものじゃないか。そんなことをしたら。

 人質。

「手を」

「やってねえ」探偵が言う。

「わかったから」

 わかってねえ。腕に力を。

 どこからそんなものを。

 所持している奴が悪い。

 所持している奴が。

 悪いのだ。

「愚行だ」

 こんなところで使いたくはなかったが。

「部下ひとりの命には代えられない」

「は、こんな無能の一人や二人切り捨てるのが」探偵が言う。

 俺のやり方じゃない。

 陣内に言え。

 そう震えなくていい。知ってるだろ俺の。

 百発撃ったらさすがに一発は外すだろうが。

 一発で、

 中てればいいだけの。

「最後通告だ」

「やってない」探偵が言う。

 厭だ。

「往生際の悪い」

「てめえこそ。往生できなくなるぞ」

 どういう意味だ。

「俺なんか撃って。いいのか。てめえの信じる正義は」

「正義のためなら」

 お前を殺すくらい。

 威嚇は要らない。無駄だ。威嚇できるはずもない。

 動きを誘発するだけでいい。

 力を緩めることが。

「んな甘っちょろいことしねえで」

 撃てよ。ほら、

 ここだ。

 どこだ。探せない。

 独りじゃ。

「よく調べもしねえで冤罪とっ捕まえてきて狭い部屋で缶詰て自白強要して果てはてめえで撃ち殺す。正義が聞いて呆れる」

 間違えて殺してしまったとしても後味が悪くならないよう配慮している。

 こいつは最低の奴だ。死んでも仕方ない。死ぬべきニンゲンだった。

 そう思わせるように。

 どうして最後まで。最期まで、

 俺は、

 撃ちたくない。でも撃たないと。

「やれ」

 っつってんだよ。正義は。

 俺にはない。俺は。そんな下らない、

 下らない。

 莫迦にして。正義は。

 俺が、

 見つける。見つけたと。

 駄目だ。もう、

 引き鉄は指が勝手に。

 飛び散る赤と黒にまみれた。どこに運べば助かるのか必死に考えている自分が。

 ちーろ。

 お前は何もしていない。


      5


 退院早々、暴君社長が襲われた。現場はこないだと同じ。

 指は無傷だったが、その他が。

 修復可能かどうかは俺にはわからない。

「主催しておきながら真っ先に帰った罰じゃないですか」龍華が口を尖らせる。

「何を苛ついてる」

「ご自分の脳にお訊きになっては」

 パーティの主役に話を聞きたいが。そのマネージャとやらにぎゃんぎゃん吠えられて顔すら拝めない始末。半径3メール以内に近づこうものなら。偽装の謙遜りが得意な龍華でも歯が立たない。

 彼は、俺たちの不手際で社長があんなことになったと思っている。

 その通りだ。

 捕まえていない。

 野放しを望んだのは暴君自身ではないか。自業自得。飼い犬の常軌を逸した獰猛さに気づかなかったお前の落ち度だ。俺には何の非もない。

 俺には。

「僕のせいだって言いたいんですか」龍華が言う。

 そうだ。とも言えないから。

「どうなってる」

「時間の問題でしょう。決まりです」

 亜州甫アスウラかなま。見つけ次第。

「ここはいい」帰れ。

「することないんですけど」

「探せ」

 見つからない。おかしい。

 おかしいじゃないか。

 どうして気づかなかった。

 違うのだ。今回のは。

 別に。

 指が、切られていない。一本も。

「捜すって?」

 なにゆってるんですか。

「捜すも何も」

 自首しましたよ。あとは裏付けを。

「誰が」

「誰って。寝ぼけてるんですか。警部の出る幕は」

 そうだった。そうだ。亜州甫かなまが死んでないと思ってるのは。

 俺だけだ。俺だけが。

 尤もらしい真実に近接して。

 龍華にはわからない。陣内にも。

「中榧ともるですよ」

 違う。そうしておけば丸く収まるが。

 そうじゃないんだ。そうじゃない。

 中榧ともるは。中てられただけ。亜州甫かなまと同様に。

 感染源。

 そいつを絶たないことには。これは。

 止まらない。

 終わらせる。ニンギョウの意味がようやく。

「わかった気がしてるだけ」彼女が言う。

 大学病院。

 ユサの勤めていた。

「捕まりに来たんだろ」

 捕まらないよ。

 散る白い。それを摑まえるような。

 遊歩道。

 白い制服。すれ違う。眼にも留めない。忙しい。

「よく先生と散歩したなあ」

「いまなら間に合う」

「どうかな」

 手を頭の後ろで。

 思わず本数を確認する。

「あるよ。僕は。ピアノ弾くのに不便だ」

 鬼立は。

「桜が似合うね」

「探偵は」

 ちーろは。

「生きてるよ。あ、君の定義だと」

 死んでる。死んだ。

「元気だけどね」えんでが言う。

「会わせてほしい」

「会ってどうするの?僕を糾弾する?二人掛かりで」

 手を組んだって。

「僕ひとり追い詰められない。やめないよ。切りたいんだ」

 呼吸するのと。

「違う。お前が言えば」

「お前?へえ、えらく下に見るんだね。年上だよ僕は」

 鬼立くん。

 年上は。

「敬わなきゃ。出世できないよ」

 正義は、

「生憎何処にもない。君が体現するしかない。誰よりも正義を信じてる君が」

 幽霊が。

「いることを証明することはできない。でも幽霊がいることを信じることはできる。それとおんなじ。信じるものは」

 そんなことどうでも。

 いい。正義も。

「なんで切らなかった」指を。

「切る価値がなかったんじゃない?僕の教え子からすれば彼らから僕の音を奪った極悪人なわけだから。切ってどうこうってより」

 死んで。

 殺して初めて。

「価値が出る。意味がある。で、どうなの?」

 死んだ?

「手術中だ」

「よく噛まなかったね。しゅじゅちゅしちゅしゅじゅちゅ」

 あれ?駄目だあ。からから笑う。

 からかわれているのだ。どこぞの探偵がやるように。

「糸を切ってやってくれませんか」

「急に敬語?キモチワルイなあ。やめてよ。ちーろがげえげえうるさい」

 ニンギョウなら。

「操る僕がいなくなれば?まあ、読みは悪くないね。でも詰めが」

 甘い。ぺろり、と。爪を。

 俺のじゃないが。

「僕はね、最初っから糸なんか」

 自動人形。永久機関。

「バッテリィは僕に対する想いだから。底なし無尽蔵。止めらんないの」

「一つだけ」

 方法がある。

 それしかない。それを、実行するには。

「戻ってこれたらね。なにせ僕に最も遠い」

 ともるくんが。

「ヤっちゃったんでしょ。殺る気満々だったろうね」

 暴君社長の協力が必要だった。

 彼に頼むしかなかったのに。頼もうとした矢先に。

 呪いを。

 解くには。

「ちゅー?」

「概ねそんなところです」

「やだよ。先生以外となんで」

 頼みの綱はまだ。

 だからこそ、

 暴君の息子と至急。

「つないであげようか。てゆうか僕もそのほうがいい」

 天使くんのなら。

「大歓迎。カタツムリ溶ろかして」

 欲しい。

「不可能なんです。あなたのでないと」

「あなた?今度はそう来る。ううん、ちーろが気味悪がってるよ」

 では、なんと。

「知ってるんじゃない?僕の」

 ナガカタ。じゃなくて。

 永片、

「えんでさん」

「はあい?なあに」

「弾け」

 CDEFGAHB

「サキに聞いた?」

 そもそも龍華が親切な意訳をつけるから余計な混乱を。あれは。

 単語自体には何の意味もない。

 手。握って。

「手錠しないと逃げちゃうよ」

 したら、

「弾けないだろ」ピアノが。


      HB


 地下鉄の階段までみっしり人が。地上が見えない。

 それでもなんとか、人を掻き分け謝り掻き分け謝りして。

 頭を下げるのは慣れてる。

 八百長コンクールのお陰で。

 来てない、か。呼んでも無駄だってわかってたけど。

 テレビ中継もあるし。あ、テレビないんだった。興味ないとか言って。

 スガちゃんの興味を引くものは、

 ぜんぶ。

 スガちゃんの脳の中にある。でも俺のピアノは聴いてくれる。俺のピアノもスガちゃんの脳内にあるのだろうか。だとしたら俺自体もスガちゃんの。

 わけわかんなくなってきた。

 白い。

 桜。かな?雪のわけないから。

 でもどっから。街のど真ん中で。

 静かに。

 始まってた。これから始まりますよ、的な導入がなかったからいつの間にか。

 ねえ、あれ。え、あ、ほんとだ。て感じに。

 手元しか。

 指だけ。指のみ。

 これじゃ弾いてる人が誰なのかわからない。せっかくこんな大画面で。

 大音量で。

 流れてるはずなのにあんまりよく聞こえない。空気に溶ける。

 仕方がないから、指を。

 音を追う。

 アタマで再生。

「羨ましいな。耳がいいと」

「い」

 つの間に。スガちゃん。

「遅刻常習の君に言われたくないね」

「してないよ、今日は」

「ふうん。じゃあ競おうか。僕は約束の三十分前だけど」

「う」

「なに。卯の刻?」

「う?のこく?」

「いいや。いつ来たの?」

「ぎりぎり」

 へえ、それは。

「赤飯炊こうか」

 めでたくないよ。

「なにも」

「そうだったね。ごめん。軽率だった」

 父さんの容態はまだ。

「なんで」

「僕に言ってる?」

 底なしに冷たい眼。スガちゃんがやったのは。

「わかってるよ。なんであんなこと」

 ゆびきりさん。

「研究のため、ていうと聞こえがよすぎるかな」

「その研究ってのはそこまでやんなきゃいけなかったの?そこまでやんなくたって」

 正直に言うとね。

「僕もそこまで」

「嘘だよ。嘘ついてる。スガちゃんに想像つかないわけ」

 物見遊山が帰っていく。興味本位も厭きる頃合い。

 指しか映らない。

 白と黒を。絶妙な感覚で沈ませる。

「悪くないね」曲の感想。

「俺のときも言ってた」

「そうだっけ?」

 そしてそうやって。笑うんだ。

 全世界を嘲笑しながら。

「ともる様が」

 そんなことするはずない。

 違う。絶対なにかの間違い。

「とでもいいたそうな顔だけど」

「言いたい」

「僕に言ってどうかなる?」

 どうも。ならないのはわかってるけど。

 でも、

「スガちゃんに言うしか」

「僕にはどうすることも出来ないよ。だって全部」

 終わって。

「終わってないよ。なにも。まだ。勝手に」

 終わらせないでよ。

 父さんは。ともる様は。

 亜州甫さんまで。

 亜州甫さんは。

「そんな知り合いだっけね?」

「俺のピアノ好きだってゆってくれて」

 もう一回弾くって。

「それはさ」

 君のことじゃないの?母親がどうとかじゃなくて。

「好意がある」

「なんでそんなこと言うの?俺は」

 僕が。

「嫌いだよね。嫌いになったかな?ようやく」

 僕のこと。

 呼ぶんじゃなかった。せっかく。

「発案したの誰?ケーサツ関係者?ああ、心当たりがなくもないね」

「その人にも」

 やったの?ゆびきりさん。

「どうだろう。君にこれを依頼した切れ者とは別人のような気がするけど」

 人がまばらになってきた。息苦しさが減る。

 彼らは音を聴いてない。

 ぼんやり画面を観てるだけ。

「ライブなんてそんなもんじゃないの?行ったことないけどさ」

 き、あ

 スガちゃんには聞こえてない。

 音源特定。

 道が開ける。中央に人が。

 ふたり。一人は腹ばい。ひとりは、

 背を向けて。

 手に。

 人だかり。の真逆。四方八方散り散り。

 立ってるのだけで精一杯。

 見失わないように。

 叫ぶ。阿鼻叫喚に負けないように。

 桜なら。散ってもまた来年咲けばいいけど。

 血っても。

 割けば。

「彼?」

 スガちゃんの口を読んだ。

 首を振る。

 だけの勇気は。

「待ってください。待って。どうして」

 止まって。足を。

 行かないで。

 行って。その先でどうやって。

 口を、

 開けてその舌の上に。

 赤い。

 見えた。気がした。

 白い。


 亜州甫さん。


「違うよ。きっと」

 人違い。

 僕じゃない。

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ハリキリゆびきりゆびのみゲンマン 伏潮朱遺 @fushiwo41

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