火刑に処す

桂木直

火刑に処す

 どうか、思い出話におつきあいください。



「南雲どの。南雲どの。どうか私の話を聞いてくれぬか」

「どうされました、刻子さん」

「ここのところ、自分のことが思い通りにいかず、どうにもまいっているのだ」

 あの日、頭を抱えながら語る私に、南雲どのはにこりと微笑みかけてくれました。

「ぼくに語ることで刻子さんの気が少しでも休まるのでしたら、どうぞ思う存分お話なさい」

 やはり南雲どのはおやさしい。感動しながらも私は、南雲どのがゆるりと目を細めるのにあわせて、くるんと上を向いたまつげが揺れるのに、みとれていたように思います。

 南雲どのは、それはそれは綺麗なかたでした。芸術をとんと理解せず、着飾る事にも興味はなく、ものの美醜に疎かった私ですら、はじめて見た瞬間からこころを震わせるほどに。

 だけれども、真実こころが揺れたのは、出会った時ではありませんでした。じわりじわりと時間をかけ、南雲どのの周囲にただよう空気に、居心地のよさを感じたからなのです。

「では遠慮なく――実はな南雲どの。私はどうやらこのところ、恋とやらをしているようなのだ」

「ほう?」

「幼少の頃から男児に混じって武芸に興じておきながら、いまさら普通の女子のようなことを口走るなどと、恥ずかしい話なのだが」

「いえいえ、すばらしいことですよ。そもそも恋情は女性だけでなく男でも抱くものなのですから。それで?」

 私はすぐに答えられませんでした。

 胸にうずまく小さな火が、世間一般で語られるところの『恋』なのであろうときづいてしまってから、じっとしていられなくなったのです。息ぐるしくて、知恵熱が出そうな日々が続きました。実際、熱を出した日もあったと思います。

「どうしてよいかわからぬのだ」

 それが私の正直な気持ちでした。

 想いを伝えたかったわけでなく、まして恋人や夫婦になりたいとまで考えていたわけでなく、ほかのことに手がつかない、みっともなくおろかな現状をどうにかしたかった、それだけだったのです。

「なるほど、それは曖昧すぎて、むずかしい問題だ。ほかの、女性に訊いたほうがよろしいのではないですか」

「女子の友人がおらぬ。母は幼少期にすでに亡い。姉や妹ははじめからない。周りにいるのは、武芸のことしかわからぬがさつな男どもだけだ」

 南雲どのは腕を組みました。ふむ、と考え込んだのです。

「ぼくにとっても恋愛ごとはとんと縁遠いですからね。語れることは、多くはありません」

 嘘を吐いていると思いました。

 南雲どのに恋こがれる女は、当時の私が知る限りでも、少なくはありませんでした。田舎の町の隅に居を構え、何もせずに日長一日のんびり生きているだけのうつくしい青年に、心を乱されていたのは、私だけではないのです。

 ああ、申し訳ありません。ひとつ誤りましたね。

 南雲どのは何もしていなかったわけではありません。花を育てておられましたね。広すぎる庭の中で、いちばん陽あたりのよい狭い一角に、一株だけ。それに何の意味があるのか、このときの私には思いもよりませんでした。

「そうですね、ならば」

「うむ」

「ぼくの昔の恋の話をしましょうか」

「…………うむ」

 興味はありました。同時にききたくないとも思いました。

 その、はらむ矛盾こそが、おさない私の全力の恋だったのです。

「相手はイチカさんという名前の女性です。ひとつのはな、と書いて、一花さん」

「女子らしい、かわいらしい名前だな」

「刻子さんのお名前もおきれいですよ」

「ありがとう」

 きっとこの時の私は、みっともなくほほを染めて、甘い笑みを浮かべていたのでしょう。

 遅くともこの瞬間、南雲どのは気づかれたのでしょうね。

 私の恋の相手が、南雲どのご本人なのだと。

「一花さんはよその家で働く女中さんで、一度我が家にお使いで来ましてね。ぼくはひとめで一花さんを気に入って、一花さんもぼくを好いてくれました。人目を避けて連絡を取り合い、人目を忍んで会いました。共にあることが心地よく、お互いだけがあれば幸せだねと、若いせりふを口ににしたこともありました。

 でもね、恥ずかしいですが、本心だったのですよ。ぼくも一花さんも。だからある日、まわりのすべてがわずらわしくなって、手を取り合って遠くへ行きました。手をつなぎ、肌を寄せあい、熱を分けあい、誰もいないところでふたりだけで過ごしました。未来に無責任な、若造だったからこそできたことでしょうねえ」

 それが世に言う『かけおち』だと、色ごとに無頓着な私ですら、すぐにわかりました。

「一花さんとは」

「はい?」

「ふつうに添い遂げられなかったのだろうか」

 今思うとずいぶんひどい問いかけです。心の機微とやらに疎いからこそ口にできたのでしょう。

「無理でしたから」

「反対されたのか? 身分がちがうから、とか?」

 私は南雲どのがどのような家に生まれたかを存じませんでしたが、いい歳の青年が働きもせずのんきに暮らしていることから、お金に困ることのない、裕福な家庭に生まれたのだろうと、勝手に決めつけておりました。その思いこみは正解でした。

「そうですね。身分もちがいました。ぼくはいわゆる良家の嫡男というやつでしたから。それだけでも反対するものは多かったでしょうね。けれど一番の問題はね。刻子さん。ぼくと一花さんが、同じ父をもつ異母兄妹であったことなのですよ」

「!!」

「一花さんはむかし、ぼくの父がお手つきして捨てた小間使いさんの娘だったので……ああ刻子さん、違います、違います」

 南雲どのはほほえみながら手を振りました。私はどんな顔をしていたのでしょうか。よほど間抜けな顔だったのでしょう。そして醜かったのでしょう。

「刻子さん。ぼくも一花さんも、知らずに恋をしたわけではないのです。知っていて恋をしたのです。それが死の刑をくだされるほどのおぞましい禁忌だと知っていたのです。それでもぼくらはどうしようもなくこがれあい、抱き合わずにはいられなかった。愚かな若造と笑ってくださってけっこうです」

 いいえ。いいえ。いいえ。そんな。

 否定は声にできませんでした。しょうがなく私は、せいいっぱい首を振りました。

 そうしたら、南雲どのは、少しだけ楽しそうに笑ってくださったのです。

 その笑顔が、どれだけ私の心を乱したか、南雲どのはわかっていたのでしょうか。

「ぼくらはね、すぐに見つかりましたよ。そしてぼくは連れ戻されました。良家の嫡男ですからね。裏でいろいろうすぎたないものが動いていたのだと思います。ぼくの罪はなかったことにされました。でも一花さんはね、なんの後ろ盾もない、ただの娘でしたから。罪に問われたのです。ぼくの、いいえ、家のちっぽけな名誉を守るために、『なにも知らないぼくを騙して惑わした』なんて、ありもしない罪にまでも。

 ばかばかしい話ですが、無力なぼくにその曲がった真実を正すちからはありませんでした」

 南雲どのが笑うことを忘れてしまいました。

 硝子のように歪んだ、透明感のあるひとみが、こうこうと赤くもえる西の空をうつしてゆらいで、泣いているようだと思ったことは、今でもはっきりと覚えております。

「一花さんは、梁に縛り付けられて、その身を業火に焼かれました。捕らわれていたぼくは、一花さんの元に駆けつけて一緒に焼かれることも、一花さんの悲鳴から耳を閉ざすことも、できませんでした」

 南雲どのの声はいつも、親しみがあり、心地よく耳に届く、穏やかなものでした。

 ですがこの時は、拒絶するような、耳の奥を刺すような、鋭いものでした。

「刻子さん、あの日の炎はね、ぼくの胸も焼いたのです。

 ぼくのこころは、一花さんの体と無念とともに、もえつきてしまったのです」

 南雲どの。

 南雲どの。

 私は目の前に佇む青年の名を、大声で叫びながら、泣いていたように記憶しています。

 この時のことを思い出すたびに、私はみじめさに打ち震えるのです。

 だってそうでしょう。私は、恋したかたの痛みや悲しみに共感して泣いていたわけではないのですから。

 はじめての恋を失った、自分自身の痛みと悲しみに耐えきれず、泣いていたのですから。

 心を乱され、感情を制御できず、みっともなく喚いて、ですのに私は冷静に、考えていたこともあるのです。それは、「自分にとっても恋ごとは縁遠い」と、南雲どのがおっしゃったことでした。

 嘘ではなかったのです。

 南雲どのが、何人の女性の心をひきつけていようとも、南雲どの自身の心は、誰にもひきつけられなかったのです。

「南雲どの。これ以上ない、的確な返答をくださいましたな」

 いつしか泣きやんだ私は、いつもの毅然とした自分の真似をしました。

 空はすっかり暗くなり、満点の星が瞬いておりました。

「そうですか」

「そうですとも、そうですとも」

 私は生まれたばかりの感情を、どうすればいいか迷っていたのですから。

 南雲どの話を聞いてしまえば、想いを殺してしまう以外の選択肢は、跡形もなく消してしまうしかないでしょう。

「ならば、ぼくから刻子さんへ、最初で最後の贈り物をいたしましょう」

 南雲どのは小物入れに手を伸ばし、てのひらにおさまるちいさな箱を、私に差し出してくれました。

 それは、南雲どのがときおり煙管を嗜むときに使っている、燐寸でした。

「今のうちに燃やしておけば、こころごと尽きはしません。せいぜい小さな火傷をおうだけです。火傷がなおれば、また新たな感情が生まれましょう。こんどのそれは、きっとすばらしくうつくしいものになるでしょうから、どうか刻子さん、次こそ寄り添って、生きていってください」

 先のことなど考えられず、南雲どののお言葉をすんなり受け入れることはまだできません。

 ですが私は燐寸を受け取りました。それは南雲どのの手のなかにあるときと、ちがう輝きをはなっているように見えました。

 両手でそっとつつみこみ、胸元に押しあてて、私はせいいっぱい笑いながら言ったのです。

「ありがとう。ありがとう、南雲どの」

 その晩私は、南雲どのに送られて、夜道を帰りました。

 部屋にひとりになった私は、燐寸を一本取り出して、擦りました。

 生まれた小さな火は、明るく、あたたかく、よわよわしく震えていました。

 私は祈るように目を閉じました。

 私の想いに行き場はなく、どうしようもないとわかっていたので、南雲どののおっしゃった通り、刑に処さねばと考えたからです。



 ですがね、南雲どの。

 火に火をくべたところで、消えるなんてことが、あるのでしょうかね?


 おかげ様でわたしはひとつ賢くなり、どうしようもないおろかものとなってしましました。

 だからこそ、ここに立っているのです。

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