第40話 変異突発
40 変異突発
「もどろう」
「ガソリンだ。ガソリンを木島堀りに流した」
あまりの驚きに、黒元がむしろ冷静な声でアサヤにささやきかけた。
「ともかく、もどろう。塾にいるみんなが心配だ」
「ヒロオ君がいっていたように、高島の家が燃えたのは狼煙、このテロをおこす合図だったのですね」
「テロときめるのは時期尚早だろう」
火は堀り沿いの民家に燃え移った。炎の帯は幅を広げている。このままでは街が全焼する。
ようやく、消防車のサイレンが聞こえてきた。近隣の消防車が救援にきてくれなかったら、とても死可沼市の消防車だけでは消火は間に合わないだろう。
塾では、ヒロオと礼子が屋上にでていた。
「センセイ。これ」
双眼鏡を礼子が渡して寄こした。
50メートルほど離れた市役所を指さしている。窓を開けて飛び降りている。二階ならともかく、それ以上の階からでは危険だ。でも、それでも飛び降りようとしている。いや、実際にダイブした。
「過激派が市役所を制圧しようとしている。V男はみんなテロに参加している。アイツラ、みんな過激派だ。ぼくが、そう理解するのだから、そうなのだ。センセイ、ぼくらには共通の思考パターンがあって。それが伝わってくるのです」
博郎が三十代の男の声で冷静な判断をした。
「センセイ。屋上を見て」と礼子。
双眼鏡で見る光景は見るも無残だった。V男が屋上に群れている。みさかいなく、市役所職員の首筋に噛みついていた。甲高い女子職員の悲鳴がここまで聞こえてくる。なすすべもなく、噛まれている。
肉体的には武器のない人間にはV男と戦うことはできない。
博郎が大型のドローンを飛ばした。ミニカメラが搭載されている。
見る間に屋上に到達した。ドローンにV男が気づいた。見上げている。ソノ顔にドローンからなにかしたたった。
絶叫。瞬時、V男の顔が焼けタダレタ。煙をあげて消滅。
そんなバカな。どうして、V男が消えていく?
「ソノ手があったわね」
美魔が博郎を誉める。
「おれにもわかるように、説明してくれ」
「聖水よ。教会で清められた聖水に吸血鬼はヨワイの」
「聖水を集めて」
レディースにヒロコは召集をかけた。
「黙っていたけど、ミホに死なれた日わたし洗礼をうけたの。神父さんに吸血鬼撃退の方法を教えもらった」
ヒロコは塾の近所のハリストス正教会に聖水を求めて走った。
博郎の元にたまたま月例会で集まってきていたドローン愛好会のめんめんが一斉にドローンを飛ばした。その数十五機ほど。ドローンのミツバチの羽音が頭の上でしていた。もどってきたドローンに聖水を補給する。市役所に向かって飛び立つ。聖水をV男に浴びせる。市役所の屋上で助けを求めるひとたちのために、ヒロオたちはドローンを飛ばしつづけた。
「パパ、聖水がたりないわ」
プラスチックの容器に聖水をつめていたヒロコが博郎に叫び上げる。
「いまとどくから」
礼子が携帯を手にヒロコの手伝いをしている。
「あなたは、聖水に触れてもダイジョウブナノ」
礼子が一七歳の夫に問いかける。
「おれは、特別だから。羅刹の直系だから」
「その羅刹さんはどうしているの」
「いったんは、追いたてられたホテルの廃墟を取りもどすために……戦っている。あそこが過激派を自称しているV男たちの本拠地になってしまったから。奪還するために戦っている」
「これでは、街は全焼ね」
街の中央部を炎と黒煙がおおっている。
火勢は強くなるばかりだ。
火災の範囲は拡がるばかりだ。
レディースが塾の駐車場に到着した。
「キララがいないの。連絡つかない」
ユカがヒロコに報告している。
「ケイタイ切っている。トラブルにまきこまれていないよね」
近郷近在の教会から集めた聖水をプラスチックのタンクに満たし、運んできた。ドローンは聖水をつんでふたたびV男の群れの上から攻撃する。ドローンが戦闘に使用できた。博郎たちドローン愛好会の少年たちの手から、ふたたび、聖水を満タンにしたドローンがいっせいにとびたった。
「放水!!!!!」
ヒロオが高々と叫んだ。みよ、教会で清められた〈聖水〉が過激派のモップの頭上に降り注いだ。とけていく。トケテイク。溶解していく。吸血鬼。
頭上から聖水をあびて、まるで酸でも浴びせられたように、V男たちはケムリをあげて焼け爛れ、とけていく。
だが、聖水を浴びせたからといって、燃え盛る街を消火することはできない。だいいち、襲われている人の救済がさきだ。
火災の範囲はあまりに広い。ドロンで聖水を浴びせる戦略にも限りがある。聖水は尽きようとしていた。アサヤ塾に籠城していてもラチがあかない。
打ってでよう。
マヤとなって、美魔を誘う。
「わたしは、初めからソノ覚悟よ」
塾の最盛期には五十台もの車を止めることができた。広い「アサヤ塾」の駐車場には火勢を逃れて塾の関係者が避難してきていた。卒業生やその家族であふれていた。彼らは火災を逃れ、眼が赤く光る男たちから逃げてきていた。いまも、片隅のほうで、ツル薔薇の結界の外にいた女が眼の鋭く赤く光る男につれさられた。悲鳴をきいたのに、誰も動かない。拉致される女を助けようとはしない。誰も動かない。連れ去られる女を誰も救助しようとしない。
かつては、関東一の建具の生産地として活気に満ちていた。未来の希望にあれほど満ちていたのに――。ひとびとは金網のフェンスに這わせたツル薔薇の防壁のなかで、じぶんたちだけは助かりたいと、ふるえていた。地場産業が衰退。失職した男たちは無気力になってしまった。
礼子が檄をとばしている。
「みなさん、先生のおかげで、いまがあるってこと、忘れたんじゃないだろうね。ものの考え方、生き方、全部、先生に教わったのよ。いっしょに、戦いましよう。いまがV男と戦うときよ。わたし達の街はわたしたちで守りましよう! 戦わなかったらこの街は滅びるのよ。だれもすぐには、助けにはきてくれない。みんなの大切な家族や友達が被害にあっているの。彼らを助けましょう。じぶんたちの街はじぶんで守る。じぶんはじぶんで守る。守りぬかなければ――ダメなのよ。」
「もういい。礼子。なにもいうな。みんなそれぞれ、守るべき家族がある」
「その家族を守るためにも、敵の正体を見極めるべきよ。戦わなければダメ。戦わなければ街が滅びるわ」
沈黙。
彼らは礼子の檄には反応しない。無表情な顔でカタマッテイル。立ちつくしている。わたしたちの街の命運は、このV男たちとの戦いに敗れれば、尽きる。
「ありがとう。礼子、みんなを誘ってくれてありがとう。みんなに戦いに参加することを勧めてくれてありがとう。でもこれからはわたしたちだけでいこう」
「わかった。じゃ、わたしの仲間だけでいい」
……塾のOBとOGは誘わない。
わたしたちだけでいく。わかったね
礼子がハンドスピカ―で掛け声を掛けた。
駐車場に集まった群衆の背後でバイクのアイドリングがひびきわたった。
サンタマリアのレディーズとボーイズ。
そのOBとOGの旧車會のメンメン合わせて総勢50人近くが群衆を別けて驀進してきた。
みんな晴れ着をきている。特攻服で身を固めている。
屍衣になるかもしれない。死を覚悟している。
わたしたちの街はわたしたちで守る。
だれの手もかりない。
死んでもV男には、わたさない。
暴走族とサゲずまれていた。
街の厄介者。
街の疫病神。
街の邪魔者。
と――。
カゲでいわれきた。
その彼らが、彼女たちが街の救世主となろうとしている。
美魔は涙ぐんでいる。
「みなさんは、塾の教室にどうぞ避難してください」
美魔が声をはりあげる。駐車場に集まっている人たちに声をかける。
いままでわたしたちの生活を支えてくれた人たちだ。
戦いに参加しなくても、大切な人たちだ。
「塾の教室に入ってください。教室はさらに薔薇結界が強固です。V男も侵攻できません。周囲に家がないから、類焼の心配もありません」
「じゃ、いくわよ」
「放っておいたらこの町は滅びてしまうのよ」
柴田よしきの『禍都』のセリフだと美魔はいう。
「それでどうつづくのだ」
とマヤが訊く。
「この町が滅びたら、きみとどこかに逃げればいい」
とつづくの。
「だつたら、モントリオールにでもいこう」
「それいいわね。子どもたちにも会いたいわ」
だが、ほんとうにそう思ってはいない。
この街のために命をかけて戦う。
玉砕も辞さない。不退転の覚悟だ。
過激派のV男たちが、街には群れをなして、歓喜の叫びを上げ、町の人びとを襲っている。標的は若い女だ。その中にはかつての教え子もいる。ひとたびできた師弟り絆は死ぬまでつづく。教え子のためなら死んもいとわない。
いや、死を賭して戦う。
燃え盛る炎にV男たちは赤鬼のように顔を光らせていた。なんとしたことだ。吸血鬼はこの死可沼を自分たちの農園とみなしている。コロニーと思っている。それが善良な市民にはわかっていない。
わたしたちは、十何年かに一回、サツキの花のブームが訪れた年に収穫されていた。この期間には人口に対して行方不明者の比率が異常に高くなる。神隠しにあったように若い娘だけがいななる。それがいまや、娘を捕食するのが解禁になったのだ。娘だけではない。人を食するように進化したいま、彼らは喜々としても街の人を襲っている。
彼らは食人鬼だ。
グールだ。
「収穫だ。収穫だ!!」
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