第37話 ロープ工場の地下

37 ロープ工場の地下。


 高島の所在がわからない。

 黒元は鬱屈とした気分で「アサヤ塾」を訪れた。アサヤは不在だった。


「高島ロープの廃墟にいくといってでかけました」

「どうして、またあそこに――。調べつくしたはずですよ」

「ロープでキララちゃんまで、危うく、吊るされるところだった。わたしたちが駆けつけるのがいますこし遅かったら、乱暴されて、まちがいなく吊るされていたわ。だからロープ工場の廃屋がどうしてもまだ気になるらしいの」

「じゃぼくも」


 あれほど勘ばたらきのあるアサヤさんだ。アサヤさんがそう思うのなら――。高島がどこに潜伏してしまったのかわからないのだから――。高島の生家(しょうか)から調べ直すのもスジかもしれない。


 玄関先で挨拶もそこそこに黒元は車にもどった。ところが、車のドアに手をかけたところで、ケイタイが鳴った。

「啓介、すぐこい」

 川上と名前をとりちがえている。よほど、なにか重大なことを発見したのだ。

 冷静なはずのアサヤさんが、わたしを死んだ川上啓介ととりちがえるなんて、よほど平常心ではいられない発見なのだ。


「啓介。早く来い」 


 高島ロープの廃墟は鉄骨の骨組みは残っている。でも、屋根はほとんどが朽ちはてていた。


「このまえ、来たときは気づかなかった。啓介、床に耳をあててみろ」

「聞こえますね。なにかウナルような……」

「いゃ、モーターの音じゃないか」

 アサヤも床に横になった。耳を片手で庇い集音するような姿勢をとっている。

「なにか機械が動いている」

「地下だ。地下室がある」


 ところが、地下への階段が見つからない。

「啓介。こんどは、早めに警察に連絡しといたほうがいい」


「なにぃ。黒元――、また、なにか嗅ぎまわっているのか。あれほどいったのに、わからないのか」

 ケイタイから声を聞いて、アサヤが苦笑いする。啓介と黒元哲也をとりちがえていたことに気づいた。

「係長。冷静に聞いてください。高島ロープの廃屋で地下からモーター音がしているのを――」

 終りまでいう必要はなかった。

「すぐ行く。そこ動かないで、待ってろよ、黒元。余計なことするな」

 動くな。余計なことするな。といわれれば、したくなるのがマスコミ人間の性だ。廃墟の中には地下への下り口は見つからなかった。あいかわらず、かすかな音は伝わってくる。


 外にでた。ブロック塀で建物は囲まれている。塀と建物の間は10メートル位ある。建物の外にでると、かすかな物音はとだえた。


「哲也さん、やけにマンホールが目につくな」

 さきほどまで、啓介と名前をとりちがえていたことに気づいた。やけにていねいに「さん」と呼びかける。

「ほんとですね。蓋があまり汚れていません」

 雑草のおいしげった空間に、マンホールの蓋が等間隔で四個もならんでいる。

 鋳鉄製の円盤には凹凸がある。掛金用の溝が刻まれている。市の下水道の円盤とはちがっている。装飾的なな模様もない。自家製だ。どれも古びてはいるが、苔も雑草も土もこびりついてはいない。だれかが、頻繁に出入りしている証拠ではないか。5個目の蓋が見つかった。蓋の表面をこすった。


「これは」

 マヤが低く呟いた。

「五芒星だ」

「悪魔の紋章ですね」

 マンホールの蓋に刻まれていたのは、まさに五芒星、悪魔をあらわす紋章だった。掛金用の溝はなかったが、よくみると中央にフックがついている。

「なにかバールのようなものを探してきます」

「それにはおよばない。警棒をもっている」

 三段にふりだすことの出来る警棒が思わぬところで役に立つ。警棒を蓋のわずかなスキマニ差しこむ。テコの応用でこじ開ける――。ことはできなかった。マヤはいらついて蓋の中央の紋章の部分を平手でたたく。蓋が軽々と滑らかにスライドした。ひと一人がくぐれる穴が開いた。香ばしいにおいが立ち昇ってきた。


「なんだ。このにおいは」

 マヤは下方ににのびる鉄梯子を注意て下りる。手すりも錆びてはいない。むしろ滑らかだ。ひとが頻繁にこの梯子を上がり下りしている証拠だ。

「哲也さん。これはバーべキュだ」

「哲也でいいですよ」


 コンクリートの床に下り立った。どうやら製綱所の倉庫として使用していた場所らしい。ロープの低い円筒状に巻かれ丸(たま)が置き去りにされている。ホコリをかぶっている。においはさらにきつくなった。

 確かに肉を焼いているにおいだ。それにアルコールの魅惑的な香り。黒元も鉄梯子を一段ずつ注意して下りてきた。

「ロープ工場の地下は倉庫ですね」

 いまは在庫品が積み上げられてはいない。製品のない地下の広間では――宴会のまっさいちゅうだった。ステンレスの調理台を囲んでV男たちが食事をしている。

マヤと黒元は入り口にあったドラム缶の影に潜んだ


 テーブルがわりの調理台には……解凍された肉のブロックがムゾウサに置いてある。おりしも、その太股の部分を巨大な包丁でそぎおとしたV男が金網にのせた。焼き鳥用の長いコンロからは青い炎が立ち上っている。


「やっぱ、もも肉がいちばんうまい」

 V男はゲラゲラわらっている。カギ爪を真っ直ぐにのばしている。フォークがわりに器用に使っている。油ぎった汁をコンロにおとしている赤く爛れた生焼の肉を口にほうりこむ。


 人間の血はススッテも吸血鬼は肉食ではない。肉は食べない。こいつらは進化形だ。いままでのV男の概念では御しきれないモンスターだ。

 コイツラ、全員超過激派なのだろう。ドラム缶の影で二人は身のすくむ思いだ。黒元が、人の肉をたべている吸血鬼を目撃して耐えきれず、嘔吐した。

 ゲッとやっている。口をあわてて押さえたが吐瀉物が指の間からどろどろとながれおちる。人肉嗜好の吸血鬼なんて聞いたことはない。人の血を吸うだけでも、十分怖い存在なのに――これはもう狂気の嗜好だ。吸血鬼を亞人間としてとらえてきたのに、これでは動物だ。いや、動物以下かもしれない。じぶんとおなじ姿形のものを口にできるなんて――。


「におうぞ。生肉のにおいだ」


 ステンレスの調理台を食卓として、焼き鳥用のコンロで焼いたジンニクをグシャグシャと咀嚼音をあげて噛み、健啖ぶりを発揮している。その群れの中で、調理台の中央に位置しているV男が声はりあげて、ふりかえった。

「におう。におうぞ」

 なんと、そのV男は――穏健派を吹聴していた太郎だった。

 騙されていた。アイツラ過激派だった。

 いや、さいしょから穏健派なんていなかったのだ。

 ダマサレテイタ。V男はみんな過激派だったのだ。

 穏健派らしく振舞っていたのは、偽装だ。

 カモフラージュだった。


「これを使え。哲也じぶんの体はじぶんで守れ」

 警棒だ。

「先生は」

「おれには鬼倒丸がある」

 どこからともなく剣があらわれる。剣をぬくと、マヤは団らんの食卓に斬りこんだ。食事を楽しんでいたⅤ男の群れに斬りこんだ。


「やはり、あんたか「アサヤ塾」のセンセイ」

 センセイということばには、からかいと軽蔑がこめられていた。

 トゲガアル。

「きさまら、なんてことする」

 マヤは襲ってきたV男の首を斬り離した。ソノ瞬時に調理台を見た。

「黒元、生贄はおれの知らない男だ。おまえには面識があるか」


 それは北川始だった。妹の元彼だった。黒元の情報源だった。


 黒元は怒声をあげてV男に警棒をふるった。


「キサマラ。許さん。なんてことをした」


 真面目に教師の職務をまっとうしていた男を胃袋に収めてしまった。

「おれに、高島のことを話したから――それでなのか?」


 Ⅴ男たちは高島に服従している。この広い隠れ家を提供されているので、頭が上がらないのだ。北川始を拿捕してきたのは太郎たちだろう。高島は現役の中学の校長だ。その情報網は死可沼のすみずみまで網羅している。ほんのササイナことでも、高島にとっては不利なことが起きれば、ためらわずに排除する。その網に北川がひっかかったのだ。


 男ひとりを胃袋のなかに収めてしまうとは。完璧な証拠隠滅だ。

 黒元はV男に攻め立てられていた。冷酷無慈悲なV男にいかに怒りをぶちつけて攻撃をしかけても、とても警棒では、V男の長いカギ爪と戦えない。


 マヤは黒元を援護するために、彼の脇にかけもどった。追いすがるV男を斬り倒した。首をはねる余裕はなかった。


「黒元、怨敵高島は生きている。ひるむな。なんとしてもここから生還して高島を倒すのだ」

「高島、高島と、うるさいな――出てきてみれば、アサヤかよ」 

 キララを奪い返したとき、会ったきりだ。あのときと同だ。グレイのジヤージを着ている。


「高島だぞ。高島が目の前にいる。妹のアダを打て」


 ひるむな。大声でマヤは黒元を鼓舞する。こんなところで、負けてたまるか。

 黒元がV男のカギ爪の攻撃を警棒ではじきかえす。高島に向かって進む。

 マヤも太郎と斬り結んでいた。太郎のカギ爪をさけて高島に向かう。


「させるか」


 太郎に進路をはばまれる。高島と黒元。マヤと太郎。が一か所にまとまった。このとき正面の壁が割れるように開いた。警官が雪崩れ込んできた。


「やばい。いったん引け」

 高島と太郎が同時に叫んだ。


「あいつらが、ただの人間に見えたのですか」

「なにいっている」

「あれがV男です」

 マヤは警察に、本当のことを告げるべきだと判断した。

「つまりvampire、のV。日本語では吸血鬼です」

「そんなバカげたこと信じられるか」

「見ずして信ぜしものは幸いなり。見ても信じられないものは、アワレナリ」

 アホウといおうとしたが、それではコトが荒立つ。それでも。軽蔑されたとと思って倉田係長がメクジラを立てた。


「おれをバカにするな。東大法学部出身のエリートだ」

「係長。はやくヤツラを追いましょう」

「ソウハサセナイヨ」

 なんと警官のうち半数がこちらに拳銃を向けている。

「きさまら気でも狂ったのか」

 お定まりのセリフが係長からとぶ。

 反抗する警察官の中にマヤを大谷に連れ去ろうとしたV男がいた。

「ああ、みんな噛まれてレンフイルドにされているのですよ」

「なにいつている」

「ゲームをやらない、エリートの若い警部補どのには、わかりませんよね」

 マヤは皮肉をこめる。


 調理台の上に放置された竹串の束にマヤが気づく。つかみ取る。

「串センボン」

 マヤの得意技が出た。竹串が偽警官の顔めがけてとぶ。

 警官であったモノがジュ―と青い血をふいてとけていく。


 倉田は顔面蒼白。ふるえている。

「アサヤさん。こんなこと信じられない」

 信じられなくても、信じてください。

 警部補殿。倉田係長。倉田さん。しっかりしてください。

 Ⅴ男こそ死可沼で起きている犯罪の元凶です。

 死可沼で起きている犯罪のほとんどはV男が元凶です。


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