第11話 カタコンベ

11 カタコンベ。 


 ジャスコの廃墟での戦いでは、ミホを救いだすために吸血鬼に傷を負わせた。ミホはオレへの恨みをはらすための犠牲になった。恨むならオレを恨め。

 ミホを奪還するために戦った三階の売り場よりも地下駐車場のほうがさらに広かった。

 

 ミホを殺された恨み。それも、警察では把握していないが、こんどは、血を吸われているはずた。そして、見せしめのために、吊るされた。そう推察するのが当りまえだ。

 

 ハンガーに洋服をつるすように気軽につるされていた。ひとをなんだとおもっているのだ。いっしょに、ついてくるというヒロコたちをふりきってきた。

 

 それどころか、アサヤは後悔している。礼子とミイマもつれてくるべきではなかった。

 

 これはオレノ戦いだ。先祖からこの地で生かしてもらってきたオレの戦いだ。

先祖。おれの遺伝子のなかに受け継がれてきた記憶がよみがえった。


 日光の補陀落山(二荒山、男体山)に登ろうと決めた勝道上人の護衛をつとめた家系だ。それまでにも、山岳信仰のいくたの先達が二荒山の山頂を極めようとした。挑戦した。ひとりとして、里にもどってきたものはいなかった。


 勝道上人が大谷川の激流を神仏の加護をうけて渡り山内に草葺きの小屋を建てたのが766年(天平神護2年)だった。三度の挑戦でついに男体山山頂を極めたのが782年。登頂に成功するまでに、すこし年月がかかりすぎはしないか。


 この間、蝦夷と戦っていた。という説がある。オレにいわせれば、鬼と戦っていたのだ。先祖の記憶がそう告げてる。先達がなぜ里に戻ってこられなかったのか。鬼だ。鬼に食われてしまったのだ。二荒――日光の村落をでることすらできなかったのではないか。山の麓までも、たどりついてはいない。


 鬼があの界隈にはいる。勝道は、従兄弟、親戚縁者のなかから鬼と戦える屈強な者を選んだ。そのなかにオレの先祖もいた。そうだ。わが家は古から鬼族と戦ってきた家系なのだ。

 

 この地を守るのは、オレの使命だ。ふたりをつれてくるべきではなかった。先祖代々この小さな田舎町、死可沼に住んできたオレが命をかけて戦う価値のある戦いなのだ。

 

 その使命にいま目覚めた。

 先祖の血がオレを呼んでいる。

 

 地下駐車場は天井にむきだしの梁が等距離をおいて横に並んでいた。中央では格子状になっていて、パイプがまるで建物を動かす血管のように何層にもかさなっていた。鉄製の箇所は赤錆びていた。

 

 だが、車一台とまっていない。あたりまえだ。ジャスコは撤退して廃ビルとなっているのだから。オレが見たビジョンはあまりにも不明瞭だ。ミホを殺された怒りにまかせて見た幻影だったのか。

 そんなことはない。よく探すのだ。なにか手がかりとなるものがあるはずだ。むきだしのコンクリートの壁を叩いて回る。

 

 マヤはじぶんの見たビジョンにたいする確実性の自信を喪失しそうになっていた。いままで、いちどとして、外れたことがない。ゆるぎない確信があった。


 それがミホを殺されたので、あまりに激しい怒りと悲しみに打ちひしがれていたときに見たビジョンだ。こころの乱れがビジョンの正確さを欠いたのか。

 駐車場の最深部の角がやや歪んでいる。

 九十度、直角であるべきコンクリートの壁の隅にわずかではあるがずれがある。 

 力をいれて押してみた。

 扉になっている。

 古典的な蝶ツガイのきしみ。


 扉の向こうに地下への怪しげな階段があらわれた。

 闇が邪気を吹き上げてくる。

 階段を一歩一歩下りる。

 邪気は濃霧のように渦をまく。

 天井からコウモリがぶら下がっている。

 

 ビッシリと、悪魔のイボのように天井にはりついている。

 

 部屋に足を踏み入れると地獄の底まで、堕ちて行く不気味さがある。

 天井から裸電球が下がっていた。

 部屋には、カビのにおい、獣臭、コウモリのフン、腐った土のにおいが充満していた。吐き気を耐える。

 

 しばらくここにいると、それらかずかずのにおいが、からだにこびりついてしまう。永遠にこの悪臭が、からだにこびりついてしまう。そのような怖れと闘いながら前へ前へと進む。

 

 人類が闇にたいしてもつプリミティブ、原始的な恐怖。

 視野が完全に閉ざされた薄闇だ。野獣に襲われても見えない。

 シェクスセンスでしか敵を認知できない。死の淵だ。

 エレベーターの階位表示には地下二階はなかった。

 

 おそらく、設計図にもない。これは、異界に下りていく階段なのだ。

 

 ミイマと礼子には「ここで待っていて」とことばをのこして、階段を降りる。

 

 地下室の闇そのものが、腐臭をはなち、おおきなアギトとなって襲いかかってくる。危険だ。でも、この階段は下りなければならない。闇の中に入っていかなかったら、なにも感知することはできない。闇はなにか不吉な実体をそなえて、マヤの前にたちはだかったいる。


 足元にキリキリとした妖気がふきつけてくる。トゲトゲしい悪意がふくまれている。近寄るものを拒んでいるのだ。ケイタイのほの明かりにみちびかれて、地下2階のフロワ―に下りた。床も天井も四囲の壁もコンクリートがむきだしだ。


「わお、吸血鬼のコロニーかよ」

 

 マヤが若々しい声をだす。おぼろげな、ビジョンにみちびかれてたどりついた場所には柩が並んでいた。どこからともなく、ヒカリゴケの明かりのような自然光がもれている。

 地下二階は設計図にはのっていない。はじめから吸血鬼の住居としてひそかに設置されていた。施工主もしらない。ゼネコンの幹部だけが承認していた。そういうことだろう。

 

 彼らは一五年にいちど帰還するのではない。一五年にいちど棺桶の寝床でめざめる習性があるのだ。みよ、推理は現実となった。薄闇のなかに柩が等間隔をおいて並んでいる。いちばん手前の柩から蓋が音もなくあいていく。

 この場所は異界独特の毒気が柩からたちのぼっている。〈瘴気〉といっていい。有毒な腐敗臭のような臭いの充満した空間だ。


「いよいよ、おでましか。よくもミホをやってくれたな」

 

 いままで一度もしたことがないことをした。こちらからしかけた。

 わたしはオレになっている。アサヤはマヤに変身している。

 人称が変化しただけで、からだまで軽くなっている。先祖から継承した邪悪なものとの闘争心がもえあがった。

 いままさに、両足を床に下してこちらにむかって襲いかろうとする吸血鬼を。背後に隠し持っていた警棒で横に薙いだ。


「キサマラもだ――」


 つぎつぎと、柩からでようとしているヤツラに警棒で殴りつける。警棒の先には木の杭が接着されている。ムリに目覚めさせられた吸血鬼に杭をうちこむのは容易だった。だが、致命的な傷をおわせることはできない。胸に杭を打ち込むのはミホを捕食したヤツをさがしあててからだ。ヤツラは多人数に、ものをいわせて、襲ってきた。目覚めてからの時間が経過した。寝ぼけまなこの吸血鬼はいなくなった。


「だれだ。だれがミホをやった。ミホの血を吸った。ミホを橋から吊るした。そいつから、シマツをつける。だれだぁ‼」

 

 マヤの怒りは治まらない。ヤツラは襲われたことがない。捕食本能に従って生きている。人間を狩ることにはなれている。襲われることにはなれていない。それでも、しだいに現状を認識した。


「だれだ、きさま」

「おれたちの眠りをさまたげるおまえは、だれだ」

「こちらの質問がさきだ。ミホを餌食にしたモノがこのなかにいるはずだ」

「しらんぞ。だれか知ってるか」


 吸血鬼の群れに囲まれていた。だれも仲間が発した質問に応えるモノはいない。みんなきょとんとしている。このコロニーにはあの残虐な殺しを実行したものはいないのか。


「どうなんだ。応えても、応えなくてもキサマラ、皆殺しだ」

「おれたちは、穏健派なんだ。このまえに誘拐した女の子も傷つけなかったではないか。わかってくれよ。戦いは、好まない」

「その女の子、ミホを殺したのは、だれだ!!」


 穏健派。はじめてきく、ことばだ。たしかに、このまえこのジャスコの廃墟の二階で戦ったときも、ここを統べる太郎は平静に話しかけてきた。たいした怪我人はでなかった。


「ミホはうすっぺらな死体だった。内臓まで食いつくしたのは、だれだ」

「だったら、ここにいるわれわれではない。わずかばかりの血は吸わせてらうが、人を殺す。内臓まで食いあさる。そんな残酷なことは、われわれ穏健派にはできない。過激派のやることだ」

 

 いちばん奥の柩から顔見知りの吸血鬼があらわれた。どこかにいるはずだと、アサヤが思っていた太郎だ。


「昼の眠りを妨げるのはだれかと思ったらアサヤか」

「いまのおれは、マヤだ」 

 

 太郎がネボケ眼で柩の縁をまたいだ。マヤに近寄ってくる。なんてことだ。おれはとんでもない誤解をしていた。

 太郎のコロニーの吸血鬼は女の子の内臓まで食いあさらない。ソンナ残虐性はみとめられない。ここにはミホが誘拐され監禁されていた。それで、ビジョンで見た地下室が、ジャスコの廃墟と断定してしまったのだ。経験に惑わされた。先入観にミスリードされてしまった。 


「誤解があったようだ。教えてくれ。ほかにコロニーは?」

「話はきいたわ」

 

 美魔が礼子を従えて階段をゆっくりと下りてきた。堂々たる立ち姿は彼女をひとまわり大きく見せている。威厳すらそなえている。ハンド・ライトを携えている。周囲がさらに明るくなった。ミイマもおれの変身にシンクロして美魔に――ヴェントルーQueenになっている。


「父がこの街に住むことをなぜ許してくれたのかわかったわ」


 そうか。美魔はニューオリンズにいる父のイメージを脳裏にうかべていたのだ。それで態度まで変貌しているのだ。ヴェントルーの直系のクイーンとしての使命に目覚めたのだ。


「この地に、羅刹の出現を予知していたのよ」

「羅刹?」

「父は日本の羅刹の、人食いの悪習をたちきりたいの。平安時代からつづく羅刹の横暴を排除したいのよ」

「羅刹さま!」


太郎が怯えている。唯の怯えかたではない。


「羅刹さまが、この死可沼においでなのか」


 羅刹と聞いただけで、太郎はもうおびえている。だらりとさげた腕が指先までふるえている。


「太郎さん、教えてください。わたしとマヤには羅刹と闘うabilityがないと思っているの」

 

 太郎のふるえはとまらない。とまらないどころか、顔面蒼白、吸血鬼としての凄みまでも消えてしまった。


「わたしをだれだと思っているの、アメリカはニューオーリンズのヴェントルーのクイーンよ」

 

 太郎はまだふるえている。


「そして、ここにいるわたしのダーリンは、世界陸上大会でル―マニャはカルパチヤ山脈からきたホンバモンの吸血鬼を撃退して、あなたたち日本産の吸血鬼を守った影通訳のマヤよ。それでも不足かしら。わたしたちに羅刹を敵にまわす能力はないというの」


 美魔は声で威嚇する。

 太郎は動かない。

 口もきけない。

 ふるえがとまりそうにない。


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