第10話 通り魔殺人事件

10 通り魔殺人事件

 

 アサヤはバラの蕾がふくらみだした春の庭を散策していた。だしぬけに、着メロがひびいた。アサヤは腰のピストルポケットからケイタイをとりだす。


「オッチャン。ミホが。ミホが……」

 

 ヒロコからだった。礼子の叫ぶ声も聞こえる。


「どうした。なにがあった」


 ヒロコは泣いている。ことばを失ってる。声がひきつって、意味をなさない。


「帝繊の幸橋まできて」


 礼子の声だ。緊迫している。かかってきたときのように、ふいに切られてしまった。

 幸橋。むかし、まだ帝国繊維の工場が両岸にあったとき。黒川の右岸にある工場から左岸の工場へ移動するために架設された高架橋だった。いまは、トムソン。機能していない。橋にのぼる両側の階段が切り外されて久しい。幸橋はベニマルのそばだ。


 川面から乳白色の薄い霧がわきでていた。大気は明るさをましていく。

 橋桁から少女の死体がロープで吊るされていた。全裸だ。遠くでみると、まるでマネキンがぶらさがっているようだ。

 

 えっ。あれが、ミホなのか。安堂ミホのかわりはてた姿なのか。心臓がせりあがってくる。だれが、あんな残酷な殺しかたをしたのだ。

 だれだ‼ 無惨にも殺されたミホ、その死体を橋から吊るす。

 だれが、あんな無情なことをしたのだ。アサヤは胸がはりさける思いだ。


 ミホは可哀そうな少女だった。大工をしていた父はミホが小学校に入学した春、死可沼でははじめての高層ビルの建築現場の足場から転落死した。

 

 それからは、母と娘だけのさびしい家庭に育った。貧困家庭の子は教室では無視される。

 ただひたすら、悲しく、ひとりだけで、席にすわっているだけだった。それが中学生になって、同じ母子家庭のヒロコに誘われてバイクに乗る楽しさを覚えた。


 ミホにとって、レディースでの友だちとの交流は生きがいだった。ミホとヒロコの友情の絆については礼子からきかされていた。そのミホの命が冷酷無残に断たれてしまった。


「ほんとの姉妹みたいだったの」


 礼子のほほにも涙が光っていた。ぼうぜんと、アサヤはぶら下げられたミホの死体を見ていた。せっかく、吸血鬼たちから助けだしたミホなのに――。

 なぜだ。

 どうして。

 いまになつて。

 

 ロープの先端の死体は川面からは三メートル位の高さに吊るされていた。

 全裸だった。

 腹部に肉色の生々しい傷があった。

 腹を裂かれてから吊るされたのだ。

 吊るされて殺されたのではないようだ。

 

 きゅそくに、怒りがこみあげてきた。黒い恐怖がアサヤをとらえた。これは、こんな残酷なことをやるのは、いままでの吸血鬼ではない。アサヤはこの犯行をVと断定した。こんな残酷なことを、できるのは人間であるずがない――酷すぎる。できるのはVだ。Vにしても、いままでのVとはちがう。青白い朝がしだいに明るさをました。


「百鬼がめざめたのよ」


 いつのまにか、ミイマがアサヤの側にいた。

「こんな鬼畜のようなことができるのは百鬼がでてきたのね。でなかったら羅刹」

 

 ミイマがアサヤにささやきかけた。アサヤの前にでて、ミホの死体に視線を集めている。ロープの先でゆれているイケニエ、ミホをみつめて、涙をうかべていた。


「吸血鬼は階級があがるほど、平気でこういう残酷なことができるのよ」

「いままでの相手よりてごわいのか」

「戦闘能力にはかわりがないと思うけど」

 

 消防署のはしご車がきた。

 ヒロコが「ミホ」と絶叫してかけだした。

 黄色い規制テープのところにいた制服警官に阻まれた。

 両手をひろげ立ちはだかっている。

 ヒロコは警官の制止するのをよけて前に進もうとする。

 警官がヒロコをだきしめる。


「痴漢、ちかん、チカン。HHHHH」


 ヒロコの絶叫に警官がひるんだ。

 そのスキに――。

 ヒロコは「ミホ‼」と叫びながら、河川敷を橋脚の方角に走った。

 ヤジウマや報道陣の目をさえぎるために張られたブルーシート。

 そのスソをマクリあげた。

 ヒロコの姿はシートの向こうに消えた。


「ミホ。ミホ」悲痛な叫びはつづいている。


 ヒロコのすすりあげる泣き声がまだ聞こえている。

 いくらヒロコが泣いたところで、もうミホの元気な顔はよみがえらない。

それでも、ヒロコは泣く。

 こんな残酷なことをするのは吸血鬼よ。まちがいない。

 吸血鬼への恨みをこめて。吸血鬼への復讐を誓って。

 うらみははらす。

 殴られれば、殴り返す。

 殺されれば、敵も殺す。


「クランが上るほど殺戮への忌諱はなくなる。それでは最高位の義父たちのヴェントルーは……」

 

 おそるおそるアサヤはミイマに訊ねた。どうしても、確かめておきたかった。いま訊かなかったら、その機会は永遠にやってこない。


「わたしたちはもう血を吸う必要も、ひとを害することもないのよ。それがマインドバンパイアとしての特性よ」

 

 アサヤは思い通りの答えをミイマから聞きだせて、安心した。うれしかった。


「そして、ヴェントルーは吸血鬼の監察官なの。眼にあまる、過激な吸血行為があれば裁くことが出来るの。同族を消去できる。だからみんに、恐れられているの」

「その特権をこの死可沼で行使するのか?」

「こんなひどいことを、わたしの目前でされた。アマクみられたものね」

「わたしたちに敵対する吸血鬼も――それなりの覚悟の行動とおもえ。油断するな。ミイマ」


(ミイマとわたしはこの街では迫害されている。わたしたちには見えてしまうからだ。この街に棲んでいる。人間以外の存在に気づいてしまうからだ。わたしはこの街ではバカ呼ばわりされているが、味方もいる。教え子とその母親はわたしたちのシンパだ。いちばんの理解者は教え子でもある音無礼子だ。ヒロコの母だ)

 

 その礼子とヒロコからケイタイがはいった。それが早朝のことだった――。

 帝国繊維の幸橋に女の死体が吊るしてあったという。

 その死体が……ミホだった。


「警察もきている。おおさわぎです」


 まさに胆をつぶすような事件に発展しようとしている。集まってきた街のひとびとは、ひそひそと囁き合っている。


「中村さんとこの娘さんも、昨日から帰ってこないらしいよ」

「橋本さんとこも先月から行くい不明」

「木本さんも」

「小川さんとこはおじいちゃんが刺されたらしいよ」

「顔見知りの人に?」

「通り魔だって」


 その事件の多さに、アサヤは聞き耳を立てていたがあ然とした。どの話も、今初めて聞いた。ひとが集ってきた。それでこそ、耳にすることの出来る貴重な情報だ。ブルーシートで隠された向こう側をみようと群衆は好奇の視線をみせている。


ミホはクレーンから下されてタンカにのせられた気配だ。からだが、怒りと悲しみに震えた。唇を噛みしめた。まさか、こんなことが起きるとは――。毎日のようにミホを見ていたのに。悲劇の襲いかかってくる気配はなかった。

 

 吸血鬼に拐取されたミホだ。

 吸血鬼からやっと奪いかえしたミホだ。

 もっと注意してやるべきだった。

 

 アサヤはじぶんの非力を思い知らされた。気がついていれば、ほんの幽かな悪意の波動でもいいから気づいていれば――。ミホに加害者の影を、ミホが襲われるかもしれないという予兆をどうして察知できなかったのだ。残念だ。悲哀がアサヤをおしつつんだ。

 

 アサヤは剣山を胸に叩きつけられたような痛みに耐えた。からだが、怒りと悲しみふるえた。唇を噛みしめた。ヒロコのように河原を横切りブルーシートでメカクシされた向こう側に走りこみたかった。なにもかも無視して、非常識だとののしられようと、かまわない。走しりだしたい衝動を必死でおさえた。耐えた。堪えた。

アサヤはじぶんの非力をおもいしらされた。

 

 気がついていれば、避けることができた。


「おれのシェクスセンスが作動していれば――。」

 

 ミホのまわりになにか予兆があったはずだ。

 それに気がついていれば――。

 じぶんの非力が情けない。口惜しい。腹立たしい。

 悲嘆のどん底で、アサヤはじぶんを責めつづけた。

 アサヤは悲痛な声でミイマと礼子にいった。


「かすかだが、ビジョンが見える。またジャスコだ」

 ビジョンは不意に脳裏に浮かぶ。自由にいつでもビジョンを見られれば、わたしは超能力者なのに――。そうはいかない。セッパツマツタときに閃く。

三人は、惨劇の場を後にした。いったん、自宅にもどった。フル装備をしてジャスコの廃墟に向かった。

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