第9話 教室の怪談
9 教室の怪談
「ヒロコ。二度目の試験で九五点とったんだって」
「スゴイジャン」
「ビリからトップなんてことほんとにあるのね」
ビリギャルがビリでなくなった。ビリ、ビリとみんながいう。ヒロコだから気にしない。これでは、ほめられているのか、けなされているのかわからない。たいへんなさわぎだ。
教室はヒロコの成績向上の話でわきたっていた。
成績下流の仲間はすなおによろこび、賛辞のことばをなげかけてくる。
点取り虫の成績優秀な生徒は茫然としている。信じられない。こんなことが起きるなんて、なにかのトリックだ。
レディースのキャップがクラスでもキャップの成績、トップの位置を獲得するなんて、そんなこと、とても信じられない。成績が落ちこんで、授業にもツイテこられないで、落ちコボレ。だから群れをなしてレディースなんてイキガッテいるのだ。その中心にいるヒロコが、英語の試験で非公式だが九五点もとった。
英語担任田中先生立ちあいのもとで、彼の目前で――。
そんなこと、あっていいの?
クラスの注視をあびてヒロコはひとり怯えていた。
ヒロコの怯えをひきおこしたのは、歯ぎしりの音だった。教室のどこかで、だれかが歯ぎしりをしている。歯と歯をかみあわせている。キシキシキリキリと乾いた鋭い音がしている。この音は、何か不気味なものがやってくる前兆だ。それが吸血鬼ではないと、だれがいうことができる。
まちがいない。アイツだ。
辺りをみまわしたが、ヒロコはいちばん後ろの席だ。クラス全員の背中を見ている。誰が歯ぎしりなどという不愉快な音の発生源なのかわからない。音は奇妙なひびきを伝えてくる。
複数の生徒のものだ。そうとしか思えなかった。白く光る鋭い牙とカギ爪をもったものたちと戦った。ジャスコの廃墟での経験がある。だからこそ、歯をこすりあわせる音だけで、こんなに怯える。恐怖におののく。
〈アイツ〉がいる。
アイツがくる。
ジャスコの廃墟で戦ったアイツがこのクラスにいる。
いやクラスの半数くらいがアイツらに侵されている。
歯ぎしりの大合唱だ。
でなかったら歯ぎしりの音がこんなに大きくひびかない。
アイツラの従者にされている。
ニオイか?
ニオイでわかるのか。
いや、ちがう。眼の光か?
座席は一番後ろだ。隣りの席にはミホがいる。それをたしかめられるのは左右のほんの数人だけだ。でもちがう。妖気はある。かすかに感じる。なにか、ヤツラの正体を認識するはっきりとした手だてがない。ヤツラにとりかこまれている。
いままでも、そうだったのか。こんな雰囲気のなかで勉強していたのか。
そうなのだろう。いままで、なにも見えなかった。なにも聞こえなかった。なにも感じられなかった。
「くるわよ、ミホ」
隣りの席にいるミホは――吸血鬼に襲われた。拐取されたミホならわかる。ヒロコは低い声でささやく。
「ほんとくるわ。くる。くる。」
ミホも感じている。吸血鬼と戦った経験が生かされている。どうやら、歯をうちあわせる音は、歯鳴りは教室の外からしている。
これは、ヤツラだ。吸血鬼の気配を感じる。廊下をやってくる。廊下の床板をきしませ、空気に微妙な振動を起こし、迫ってくる。かなり強烈な怖れをもたらす波動。ササクレだった害意。
廊下を近寄って来る。
もうすぐだ。
もうすぐ。
もうすぐ姿を現す。
恐怖の期待。引き戸がひかれた。
教室の戸が開いた。教室はふいに静寂に支配された。
歯ぎしりがぴたりととまった。
「そして、だれが教室に入って来たと思う?」
「わからないな」
アサヤがこたえる。ヒロコはアサヤ塾の教室でそのときの状況を説明している。
「英語の田中先生が病気で欠席。代わりに以前この北中で教鞭をとっていた――」
「だれだ。教頭の紹介した元教師は?」
教室の女生徒がドヨメイタ。イケメンだ。それが――。
「吸血鬼の次郎よ」
「ゲッ。いよいよきたか。ヤバイナ!!」
「ヤバイ……なんてもんじゃなかったよ。アイツ、いまにも女子生徒のクビに噛みつきそうな顔してた。すごくうれしそうに、ニタニタ笑っていた」
手には包帯を巻いてい。アサヤに斬られたカギ爪がまだ再生していない。次郎の発音は正確だった。たのしそうに授業をすすめていった。そして、授業かおわる寸前。
「おれは、吸血鬼だぞ!!」
と教壇でトンでも発言。カミングアウト。
キャーッという黄色い歓声がわいた。ゲラゲラ笑いだす生徒もいた。
「勉強する子の血は不味いんだよな。アスリートの血は極上だ。そそられるね」
「それって先生、わたしたちがアホだってこと。襟首にキスしたいってことよね。吸ってェ。おねがい」
クラスの運動部員がみんな大騒ぎだ。
「噛んで」
「吸って」
みんな身をよじっている。教室は大騒ぎになった。だれも、ホントに先生が吸血鬼とは、思っていない。それに、すでに噛まれて従者となり、歯ぎしりしていた生徒たちがよろこんで、この騒動を煽った。
「吸ってェ。噛んでェ」
次郎がイケメンだから生徒たちはもう夢中だ。上手い手だ。こうしておけば、だれも次郎が吸血鬼だとは疑わない。
放課後。帰路を急ぐヒロコ。
礼弊使街道日光杉並木。川越藩が植樹してから四百年ほどになる。両側に起立する杉の巨木が天蓋のようにその枝を上空に拡げている。
太陽の光をまったく透さない。昼でも暗い。ヒロコは杉並木にそった外側の歩道を家路へと急いでいた。昼間でも暗い道だからひとりで歩くときは注意するのよ。母の礼子のことばを想い浮かべながら、早くも街道ぞいの「赤平ソバ店」という旗のひらめく地点まで来ていた。
たしかに母のことばがなくても、不気味に道だ。日頃の母の警告を忘れたわけではない。
そのとき――。
「木の影から手がのびてきたの」
ヒロコの家は、すぐの場所。赤平ソバ店はすぐそこだ。
杉並木はトンネルになっている。見上げると杉の上のほうには夕霧がかかっている。霧が出ていなくても、道はさらに暗くなっている。その杉の巨木からヌウッと腕がのびてきた。ヒロコの肩を引寄せた。
「吸血鬼か?」
アサヤが訊く。
「ちがう。英語の田中先生。それがね、痴漢になっていた。ボインにさわらせろ。ヒロコのために自宅謹慎だ。オッパイくらいさわらせてもいいだろう。眼がぎらぎら光っていて、怖かった」
先生、モラハラくらいでは、すみませんよ。注意しても、眼が血走っていた。ヒロコ! センセイの……声……がうらがえっていた。手がふるえていた。
「――もうどうなっているの?」
「こうなっているのだ」
先生が呻いた。
同僚のいるところで、恥をかかされた。まさかヒロコが九五点もとるとは予想もしなかった。校長には、謹慎処分をいいわたされた。
眼の前で田中先生の手の指が、爪が、のびてはこなかった。
カギ爪にはならなかった。眼だけが赤光を放っている。やっぱり……。
人間の眼ではない。酒臭い息でせまってくる。自宅謹慎をうけたのは、わたしのせいだと信じて疑ってはいない。わたしをウランデいた。
後ろから抱きつかれた。ふりほどけない。腕力のいがいな強さ。
肘で鳩尾をついたが怯まない。
あわや! いや、ヒロコだ。反撃にでようとしたとき――。
白馬の騎士、バイクのナイトが――。現れた。
「ヒロコになにする」
押し殺したような渋い声。鉄ちゃんだ。ボーイズ・サンタマリアのリーダー、ヒロコのカレシ。栃木県の開成といわれている宇都宮高校二年の香川鉄の声だった。助かったと思ったら、わたしとしたことが、へたりこんでしまったの。
「ヒロコ。どうした」
ヒロコはいままでじぶんが、鉄の眼にどううつるか思ってもみなかった。
共に走り、バイクの轟音のなかで鉄を眺めそれでじゅうぶんうれしかった。
まさかいい成績をとって、県内一の宇都宮女子校に進学することを鉄に期待されるなんて――。
思ってもみなかった。
宇高の鉄にふさわしいのは宇女高のわたしだ。
なんて、キアイがはいった。
わたしに声を掛けて置いて、テツが先生の顔面にストレートをぶちこんだ。ぶちこんだが、ヒットはしなかった。先生はおおきく跳びのく。
「しばらくぶりで、ヒロコをデートに誘いにきたら、こういうことになっていたのか」
英語の田中先生まで「吸血鬼だ!!」
テツ、ヒロコVS吸血鬼田中。
にらみあった。
双方とも動かない。
ヒロコは動けない。
吸血鬼とはジャスコの廃墟で戦った。まさか、学校にまで、吸血鬼のテリトリーが広がっているとは――。アイツラは鉄パイプで叩いても動じなかった。まるで、タイヤを叩いている感触だった。効果がなかった。こちらの、手がしびれた。
「コイツ、ヤバイよ。テツ」
「わかっている」
「どうわかっているの」
「東大理科三類の受験生としては、コイツラの生態は検索済みだ」
「さすが、テツちゃん!!」
グッと田中が唾を飲み込んだ。
「なに、想像している」
ヒロコはパイプを右手に下げて走った。
初めから、パイプで抵抗すればよかった。
ミジメナところを、ヤワナところをテツちゃんに見られないですんだのに――。
コッパズカシイヨ。田中に向かってパイプを打ちつける。
ことはしなかった。ジャスコでの戦いで学習した。
打ってもダメなら、突き刺す。
そのために――先を尖らせたのだ。
田中の心臓に鋭く尖らせたパイプの先端を突き入れた。
とはならなかった。
心臓を突きさすことは、できなかった。仮にも、いままで、英語を教えてもらった田中先生だ。右肩にパイプはめりこんだ。
「こいつ、ヤッパ吸血鬼だ」
「死可沼が吸血鬼の侵攻にあっている。宇都宮の裏社会でササヤカレテいる。それでヒロコのことが心配になって駆けつけてみれば、これかよ――」
田中の右腕は青い粘液となった。
融ける。
またたくまに、粘液は青い色の粉末となる。右腕は灰となった。粉末は寒空に消えて行った。田中は右腕を失った姿で、逃げだした。やはり、心臓を突き刺さなければ、倒せないのだ。
速い。倍速で逃げて行く。吸血鬼移動だ。ハイギアで逃走する。
「よかった。テツ、センパイが来てくれて」
ミホとユカが息を切らして走って来た。
「田中がね、自宅謹慎なのに並木の木の影で誰かを待ち伏せしているみたいだった」
下校時のクラスでそんなことが噂になっていた。ヒロコの帰り路だ。ピンとくるものがあって追いかけて来た。
「ありがとう。ウチのメンバー全員にケイタイしてユカ。ひとりで行動しないように……。学校にまで吸血鬼が入りこんでいる。学校の安全神話なんてもう崩れてしまった。先生が痴漢するんだから――。吸血鬼に侵されているのよ」
「そうよ。痴漢するくらいしか能のない最下層の階級(カースト)夜光の太郎配下のれんちゅうなのよ。ということは、みんながあぶないよ。痴漢される――」とユカ。
「アサヤ先生がいっていた。日本吸血鬼の氏族のヒエラルキ―は、1羅刹 2百鬼 3夜光なんだった。最下層の夜光族だってあんなに多彩な能力があるのだから、油断はできないわ」
「なにか、おかしな街になってきたね。街のはぐれもののわたしたちが思うのだから、まちがいない。こんなの、普通じゃないよ」とヒロコ。
「学校があぶないよ。次郎をあのままにしておいたら、みんなが襲われる。リーダー。もどろう」
「ユカ。パイプは?」
「OKよ」
どこに隠し持っていたのか、かなり長いパイプがあらわれた。
ジャスコの廃墟で使った武器だ。
「おれもいく。母校だからな」とテツ。
校庭が日没前なのに薄闇におおわれている。
教室では想像以上のことがまっていた。遅かった。
「おまえは、田中に譲った。ヒロコ! 田中に噛まれたのではなかったのか?」
「誰があんなヤツに、噛まれるもんですか。次郎さん。ずいぶんとはでに、やってくれているはね」
ハデどころの騒ぎではない。悲惨。残酷な教室の惨状だ。教室の半数近くが噛まれた。襟足から血をしたたらせてもがいていた。ああ、そして噛まれてから時間のたったものは、吸血鬼化していた。まだ健康体のクラスメイトを襲っていた。
「噛まれていないコはどこかな」
「噛まれていないコはだれかな」
レンフィルドになったものは、口から友だちの血をしたたらせていた。このようすでは、クラス全員が噛まれるのも時間のもんだいだ。だが、吸血鬼になるのには早すぎる。噛まれればすぐに吸血鬼になると思いこんでいる。
「噛まれてない人は職員室に逃げ込んで。ユカ!! バックアップしてあげて」
床から立ち上がって廊下へ逃げだしたのは五名くらいだった。ユカがいちばん後ろについている。追いすがって来るモノをパイプで殴りつける。
教室には、ヒロコとテツが残った。
「ほおっ。鉄くんだな、しばらくぶり」
数年前には教壇にたっていた次郎だ。テツのことは覚えていた。
「あんた、吸血鬼だったのか」
「テツクンの彼女の血、おいしそうですね。吸わせて。吸わせて」
激怒のあまり、テツは体がふるえていた。緊張と怒りを弛緩させるために、テツはおおきく深呼吸をした。そのスキに、噛まれてレンフィールドになりかけている生徒が歯を鳴らして襲ってきた。
「みんな、眼を覚ますのよ。まだ完全に吸血鬼になったわけではないから。わたしたちが、この次郎を倒せば助かるから。噛み親を消去すればみんな、助かるのよ」
吸血鬼の毒素が全身にまわった訳ではない。助かるみこみはある。
ヒロコの悲痛な警告はクラスのみんなに無視された。クラスメイトは中空に眼をむけて、何かに操られているように、ヒロコとテツに向かってくる。
「だめだ。ヒロコ、みんなおかしい」
「どうする、テツ?」
次郎の後ろから田中先生が元気な姿をあらわした。
まだ右腕は融けたままだ。再生していない――。
「ヒロコ!! パイプをよこせ」と田中。
「やだね。もういちど刺さされに帰って来たの」
「たのむ。わたせ」
次郎が「ヒロコをヤレ」と田中にエラそうに指令をだす。
田中がヒロコのパイプを左手で奪い取る。
田中はヒロコからうばいとったパイプをかまえる。
「田中先生。ヤメテ。先生はまだ真正の吸血鬼になっていない。ソイツを夜光の次郎をヤレば、元にもどれる」
田中はパイプを逆手で、ふいに後ろに向けた。パイプの尖ったほうを次郎の胸に突き刺す。圧倒的な敗北感に支配されていたヒロコは眼を見張って驚く。次郎が心臓を一突きされた。次郎が融けだした。青い血が床にひろがっていく。
「田中、キサマうらぎったな。地獄に落ちるぞ」
「とうに地獄に落ちていた。それを救ってくれたのはヒロコだ。ヒロコはあんなにオレがいびったのに怨んではいなかった。パイプを心臓に打ちこまなかった。それができたのに、しなかった。右腕に突き立てた。あれで、おれは教師の使命に目覚めた。なんとしてもヒロコとクラスのみんなを救いたかった」
田中のなかで吸血鬼と人間がせめぎ合った。人間である教師の田中が勝った。田中は晴ればれとした顔をしていた。噛み主の次郎が消去された。疑似吸血鬼となっていた教室の生徒が正気にもどっていく。
悲鳴があがった。テツが素早く反応した。
「職員室だ!!」
ユカに先導されて職員室に逃げ込んだはずの生徒たちの悲鳴だ。
職員室は教室より異常だった。教頭先生が女子生徒のスカ―トのなかに頭をつっこんでいる。ピチャピチャ音をたててなにか吸っている。信じられない。教頭先生が、あんなHなこと白昼堂々とするなんて――。
男の教師が女生徒の襟足に噛みつこうとしてあせっている。女生徒の上げる悲鳴に眼がギラギラ赤く光っている。まるで、着エロ動画のような戦慄のありさまだ。ほかの先生たちは職員室の隅でふるえている。
「やめて。やめてよ」
ミホが教頭の背にパイプを叩きつけている。
「こうするんだ」
テツが思い切りよく教頭の背から心臓めがけてパイプを突き入れた。ところが、背骨につきあたる。心臓には突き通らない。
「うう、痛いですね。誰かと思えば、卒業生の香川鉄くんだぁ。卒業生のなかでいちばん優秀な香川くんだ。昼間は宇都宮高校の学生。夜は暴走族の頭」
「教頭先生。暴走族でなくて『走り屋』ですよ」
ヒロコが怒って訂正する。
どうして、こんなヒドイことができる――。どこよりも安全であるべき教育の現場、それもここは職員室だ。あんたは、教頭先生だろうが。テツが大声を上げている。
「センハラだ。モラルハラスメントだ」
教頭に近寄り過ぎていた。いままで教頭がなめていたカショの性臭がしている。その臭いは最悪だ。ヒロコは教頭のとった行為をゆるせなかった。嫌悪感に顔がゆがむ。
「偏差値七〇。毎年東大に一ダースくらい合格する。宇高はこの県一の難関高校だ。わたしは香川くんが東大の医学部に進学して血液の研究をして、吸血鬼が血を吸わなくて済むようになればいいなと期待しているんだ」
一瞬、教師の顔にもどった教頭はパイプを握るとじぶんの胸――心臓めがけて、一気に貫いた。正気にもどった。次郎の支配から解放された。教え子を欲望の対象としたことを恥た。そして、みずから死を選んだ。顔面蒼白。息も絶え絶えに――。教え子にむかって。
「さよならだ。ヒロコちゃん」
「教頭先生! 先生」
「香川くんとなか…よ…し…で…な…………」
「教頭先生」
ヒロコとユカ、ミホ、テツが同時に悲痛な声をしぼりだした。遅ればせながら、時間差があったが、噛み親である次郎が消滅したのが、この職員室にいる疑似吸血鬼まで伝わってきたのだ。
もっと早く伝わったきていたら。――遅すぎた。
テツが「恐れていたことが起こった」と悲痛な声でつぶやいた。
「ヨブ記、三章十五節」ヒロコが泣きながら応えた。
「ヒロコ、ヒロコは……どうして、このことばがわかる?」
「教会にいってるの。アサヤ塾のそばのハリストス教会、東京は神田のニコライ堂に属している由緒ある教会よ。それに弁天さんの近くのカトリック教会。牧師さんのお話聞くのスキなの。こころがおちつくわ。バイブルは英語で二回も読んだよ」
わたしが必死で勉強したのはテツに認めてもらいたかったからだ。テツチャンの立ち位置にすこしでも近づきたかった。いままで、勉強して鉄に認めてもらいたいなどと、考えたことはなかった。
「アサヤ塾」で勉強するよろこびに目覚めたのだ。勉強は快感。身につけた学問は死ぬまでわたしから離れない。これですこしは鉄ちゃんに近づくことができた。いまなら、いえる。
「テツ。すきだよ」
「おれはさいしょから、ヒロコが好きだ。ひと目見たときから、好きだ。たとえ、成績がビリでも、あのころから好きだった」
「ビリギャルでも?」
「ああ、勉強と〈愛〉はべつのものだ」
うれしかった。これで鉄がより身近に感じられる。うれしくて、からだがふるえてきた。
「なに泣いている」
「うれし涙よ」
恐れていたことが起こった。危惧していたことが襲いかかった。静けさも、やすらぎも失い、「憩うこともできず、わたしはわななく。」(ヨブ記3章25・26節)
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