第8話 アサヤがマヤに変身する。身辺がにわかにハードボイルドに変転する。

8 アサヤがマヤに変身する。身辺がにわかにハードボイルドに変転する。


「ミホがヤバイことになっている」

 

 まちがいない。と礼子に聞かされた。


「ミホのお母さんから、連絡があったのよ」


 集まってきたレディースは騒然となる。


「礼子ママ。どうしてもっとはやく吸血鬼のこと教えてくれなかったの。吸血鬼の侵攻なんて想像もつかなかったよ。わたしたちも、ポリスがあてにならないとわかったから、ずっといままで探していた。宇都宮のほうまで、デバッテ探したよ」

「ここ死可沼が襲われたの。やつらの侵略がはじまったのよ。なんとか美智子先生の呪文で撃退したけど」

「美智子先生。スゴイ」

 

 レディースがリスペクトの眼差し。

 

 美智子は美魔として、先ほどから闇を凝視していた。

 意識を集中している。暗闇のなかに潜んでいる夜の種族を探索している

 あのまま撤退するはずがない。ここもひそかに監視されている。

 闇にひそむのはかれらの得意技だ。

 

 ミホが吸血鬼につかまっているとしたら、72時間以内に見つけ出さなければならない。もう二日たっている。残すは今夜だけだ。

 さもないと、ミホが吸血鬼化してしまう。

 はやく、ミホの噛み親を消滅させなければ。

 

 ミイマのひたいに汗が噴き出している。あせっている。

 ミイマはひさしぶりでバンパイア・クイーンとしての能力を解放した。

 探索する。超能力の意識の輪を広げた。

 アサヤも意識をミイマにシンクロさせた。

 

 二人の意識が合体した。見えてきた。

 

 ビジョン。透視したのは部屋だった。

 

 部屋というのにはあまりに広すぎる。

 ジャスコの撤退したあとの廃墟ビルにちがいない。いかにも吸血鬼のこのみそうな空間だ。こんな場所がこの死可沼にあったのだ。3階の売り場面積500坪はある空間。コンクリートの壁は寒々としている。


 深夜になっていた。照明はない。破れた窓から射しこむ満月の薄明かりだけだ。

 ミイマが先頭に立っている。いつもはオトナシイ彼女が、ホレぼれとする勇姿を見せている。バラの木の鞭を手にしている。ツカの部分に白い布が巻いてある。スベリ止めだ。


 ニューオーリンズで健在の母から贈られたものだ。

 母の〈愛〉が、わたしがこの鞭で戦うことを予感していた。


「この先よ」その鞭で部屋の隅、屋上への階段がある方角を指す。

 ヒロコたちレディースの九人がそろって走り出す。みんな迷彩色の戦闘服だ。手にはパイプ槍。

 アサヤはマヤになった。日本刀をひっさげている。塾の先生アサヤからマヤに変身した。クイーンの能力恐るべし。彼女は長年、夫の精気を吸って生きてきた。その精気のほんの一部を夫に還流した。彼を回春させた。

 CIAの影通訳として世界をかけめぐりミイマと巡りあったころの若さだ。


「吸いたい。血を吸いたい」


 ボダッパがここにも群れている。

 実体があるようで、実体のない小悪魔。

 見る能力のあるものだけが、見ることのできるボダッパ。

 吸血鬼がいる証拠だ。

 

 ボダッパがさわいでいる。ピンクのクラゲの集合体のようにも見える。これは吸血鬼の影だ。吸血鬼は鏡に影が映らない。ピンクの小悪魔が吸血鬼の周りに漂っている。それが影を消してしまっているのだろう。

 

 それは吸血鬼の本能による欲求。渦巻く邪悪な闇の波動。だが、その慾望には殺意はなかった。でも、その渇きは火山直下の、いままさに噴火するマグマのような強烈さがある。噴火してしまっては、押さえがきかない。

 どこに、やつらは潜んでいるのだ。ボダッパがうるさくさわいでいる。


「ミホ。ミホちゃん」

 

 ミイマがバラ鞭で指す。その直線の先に、黒くわだかまるもがある。


「ミホ!!」


 サブ・ヘッドのユカがすばやくかけよる。


「イキテルヨ」

「噛まれてないかしら」

 

 ミイマがつぶやく声がマヤにとどいた。

 そうだ。それが一番心配だ。

 ミホは腕と足をテープで拘束されていた。


「大丈夫か。もう心配するな」


 マヤがナイフで切ってやる。


「センセイ」

 泣き声でミホがだきついてきた。

「せんせい。アサヤせんせい」

「心配するな。みんなで助けにきた」


 ヒロコもユカもキララも交互にミホとだきあっている。彼女たちの友情の絆を見た。ミイマがミホの首筋にハンドライトの光をあてている。マヤに向かって「よかった」というように肯いている。


「そんな。バカな」


 あれほど、ヤツラはノドが乾いているのに……。目の前に、美少女の白いエリクビがあったのに――。噛まれていない。そんなこと、信じられない。とすれば、ミホをエサにして、おれたちをおびき寄せたのだ。


「くるぞ!!」


 マヤの声がレディースの注意をうながす。さして緊迫した声ではない。彼女たちを激励するひびきがこめられていた。

 彼女たちが身構えるよりも早く、現れたのは――。


「あら、太郎さんね」


 ミイマは気軽に顔見知りの男に声を掛ける調子だ。

 レディースの彼女たちは、ガクッと安堵する。どう見ても、太郎からは吸血鬼の恐怖は伝わってこない。例によって、一列に並んでいた。ひとりにしか見えなかったが、バァ―と声を出すと千手観音のように手が背後から何本も現れて扇を広げるようなパホ―マンス。


「恐そうに見えないものが、恐いのだ。優しい顔のうらに隠されている邪気をよみとれ」


 マヤが一瞬、教師の顔となる。『寄生獣』とちがい、吸血鬼はもともと人類と共にこの地球上を歩んできた。擬態はパーフェクトに近い。


「油断するな」


 レディースの面々を叱咤する。

 ギッ。ガタ。一列縦隊の吸血鬼の足が両サイドに踏みだす。


「ぼくは次郎」

「ぼくは三郎」

「ぼくは四郎」


 ごていねいに、八郎まで名乗りをあげた。総勢八人。吸血鬼の出現だ。かなりのイケメンだ。女の子を拐取する条件だ。その容姿――擬態は血に飢えた吸血鬼の顔を完璧にカモフラージュしている。

 美魔とマヤの二人は、彼らの出現に反射的に臨戦態勢をとる。月明かりだけの薄明のなかに、緊迫感がみなぎる。


「クルヨ。みんなパイプ」

 

 それだけ礼子がいえばじゅうぶんだった。さすがレディース・サンタマリアの初代ヘッド。敵の恐さをいちはやく見てとった。


「レディースだと思ってあまくみすぎたようですね」


 ミホをかばっているので参戦できないマヤに太郎が話しかける。

 太郎は配下の働きぶりを評定でもするかのようだ。

 かれらは苦戦を強いられている。

 太郎は仲間の戦いぶりを評価している。

 マヤはレディースの戦いぶりを観戦している。


 唯、見ているわけではない。危険と見れば斬りこむ準備はできている。

だが、後ろに弱りきったミホをかばっているのでウカツニ闘争に参加できない。肩の隠しholderからクイックドローする。拳銃も備えている。

 

 レディースは9名。Ⅴ男のひけはとらない。美魔もいる。それでも攻めあぐねている。相手がイケメンだけに戦い難い。


「ほんのチョッピリでいい。渇きを癒すだけでいいのだ。噛みつくわけではない。人体には疲労感が残留するくらいだ。授業ちゅうにいねむりがでるくらいの被害だ。目くじら立てて、生命をかけることもないでしょうが。わたしたちは肉食ではありません。どちらかといえは、草食男子です」


 オブラートでつつんだような、甘い言葉にだまされてはいけない。醜い慾望をもったものほど、やさしく、ソフトに聞こえる声で話すものだ。


 チャリン、チャリンと金属の触れ合うひびきがする。

 吸血鬼はカギ爪を長く伸ばした。X­menのウルバリンのようだ。

 レディースがそれをパイプ槍で受けて、応戦している。

 さすがレディース。ケンカ慣れしている。敵はカギ爪だ。

 いまのところ互角の戦いだ。だれも、傷ついていない。傷つけてもいない。


「ああ、ショウガナイナ。あんなに長く爪をのばして」


 と太郎がいった訳ではない。目を手でおおった。

 おどけている。余裕の猿シバイと見た。


「いやぁ、ひとりひとりだと、か弱い女の子なのに、群れると強いですね」

「なにノンキなこといっている。ケガニンがでるまえに、引き分けませんか」


 互角にみえる戦いをしているうちが、休戦にもちこむチャンスだ。


「わたしはいいが、そちらのクイーンは、おたのしみのようですよ」


 たのしんでいるわけがない。長年隠し通したじぶんの正体を露わにした。秘密をいちばん知られたくない夫に、じぶんが吸血鬼クイーンであることを知られてしまった。

 好きで披露したわけではない。

 ミシシッピ川の河口の街、ニューオーリンズからこの死可神沼に嫁してきたときには、ホームシックになった。

 

 春と秋に陰鬱な雨期があるのは似ていた。ほかは、全く違っていた。

 冬に雪が降るのにはおどろいた。男体颪の吹き荒ぶ冬がいちばんつらかった。でも、日照時間が短いのはうれしかった。

 

 父はこの街に吸血鬼の棲家があり、いつの日か彼らが覚醒して、大挙して人を襲いだすことを予知していたのだ。母はそのときわたしが武器とするようにと薔薇の枝で硬質鞭をつくって餞別としてくれた。

 

 両親ともわたしの身に、このような災禍がふりかかることを予感していたのだ。だから孫はひきとって育てているのだ。わたしが、この死可沼に定住するようになったのも、なにかの運命のような気がする。

 

 そう、前世からの定めにしたがって、わたしたちは生きているのだ。その定め、制約のなかで、精一杯生き抜くことこそ、わたしとダーリンの宿命なのだ。

 

 美魔は悲しみながら戦っている。

 

 そして、太郎も戦いの場に臨みたくてうずうずしている。

 血を流さないうちに、闘争に終止符をうちたいとマヤ。


 美魔は母に贈られたバラの鞭を振るって善戦している。美魔の母は日本人。ごくふつうの女性だ。だが、父は吸血鬼。ベントールの血を継承している美魔は幼い時からクイーンと呼ばれていた。

 

 ヒロコたちは追いつめられている。

 

 もうこれ以上傍観していられない。観戦していられない。

 マヤは背後にいるミホの手のひらに指でかいた。


「ポリスにレンラク」


 勘のいい子だ。少しずつ後ずさり、衰弱している体で階下に消えた。

 マヤは先手を打った。

 たったひとりで戦っている、追いつめられているヒロコのところに走り寄った。


「センセイ。こいつらなんなの。手ごわいよ」

 

 次郎のカギ爪がビューとヒロコの肩に振り下ろされた。

 カギ爪というより剣だ。30センチくらいに伸びている。

 それを見切った。マヤの白刃。

 

 鬼倒丸。


 瞬時に閃き。


 チャリンと金属の噛みあう音がひびいた。

 夜目にも明らかに、次郎の指先が、カギ爪が宙に舞った。

 次郎のカギ爪には必殺の意志がこめられていた。

 カギ爪は何もないコンクリートの殺風景な床に、音をたてて飛び散った。

 

 マヤの剣尖に月光が煌めく。


「センセイ。こいつらなにもの」

「X-men。だ」

「納得。こいつら、すごくシブトイよ」


 遠くでパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 音か増幅しながら近づいてくる。残念ながら、警察とかかわってしまった。

ミホが警察にケイタイで連絡したのだ。


「撤退。撤退だ」


 その音にいち早く反応した。太郎が声を張り上げる。

 闘う美魔、礼子、ヒロコの視界が――。

 グリッチ(電気的誤信号)を受けたテレビのように乱れる。

 吸血鬼がすばやく、揺らぎながら階下につづく階段に消えて行く。


「追うな。ミホはブジ助けだしたのだ」

 

 悔しいが、ヤツラに傷を負わせることは難しい。

 あんなヤツラに、この死可沼を踏みにじられるのはゴメンだ。

 でも、敵の攻撃力の実態がまったくつかめない。

 ところが、このあと思わぬ事態になった。

 

 全員凶器準備集合罪で緊急逮捕されてしまった。

 

 いままで吸血鬼がここにいて、おれたちは戦っていたのだ。そんなこといえる訳がない。ここに、アサヤ達以外にヒトのいた気配はのこされていない。


「どこのゾクともめているのですか」


 ヒロコたちサンタマリア・レディースが宇都宮をうろつきまわっていたという情報を重視している。誘拐されたミホの捜査などしなかったのに、レディースの情報は詳細に掴んでいる。


「だから、それはありません」

「だいたい、アサヤさん。アンタいい歳をして何しようとしているのですか。塾の先生だっていうじゃないですか」

「倉田係長。このひとだけに残ってもらって、あとは帰していいですか」

と村木刑事。

 

 死可沼警察署の取調室。


「だから、なんどもいうように、あそこにミホチャンを誘拐したものたちがいたのですよ。そいつらと、争っていたのです」

「いや、だれもいなかったじゃないか」

 

 胸に栃木新聞のバッチ、腕にその証の腕章。川上啓介が若い係長の倉田警部に訴えている。取調室の外の廊下。


「いま取調室にいるアサヤ先生は、ぼくが出た塾の先生です」


 啓介は塩化ビニールのケースにはいつたネームカードを、記者証をストラップで首にさげている。倉田係長はエリートだ。宇都宮からかよっている。出身地が死可沼ではないから「アサヤ塾」を知らないのだ。啓介はアサヤの弁護に必死だ。

 

 まさか、アイツラが夜の一族だとはアサヤにはいえない。

 そう訴えたところでこの死可沼に吸血鬼が帰還している。

 15年ぶりで、故郷、死可沼の土で憩うために帰って来ているのだ。

 そんなことをいえば、若年性認知症を患っていると思われる。


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