第4話 生徒の成績が伸びたことを祝福してあげられないのですか?

4 生徒の成績が伸びたことを祝福してあげられないのですか?

 

 ヒロコたちレディースが入塾して数か月が過ぎた。

 3学期の期末試験が済んだ。

 みんな、どんな成績をとっているだろうか。

 もう放課後だ。

 そろそろ、だれか、成績がのびたというよろこびの連絡くれないかな。

 アサヤは心配だった。そのとき、ケイタイが鳴った。


「アサヤセンセイ。たいへんだよ。お母さんが学校にナグリコミかけた」

 ヒロコは興奮している。

「わたしがわるいの。試験ね、英語50点ものびたんだよ。そうしたら、先生が、こんなにのびるわけがない。カンニングしたろうって、いったの。それをそのとおり礼子ママに話したの。そうしたらね、ママがカッとなって、わたしのバイクで学校にいったの、いまごろ、たいへんだよ。わたしも、止めにいくから、アサヤセンセイもおねがい、きて。センセイのいうことならママ、なんでも聞くから。おねがい、きて…………」

 

 携帯を片手にアサヤは自転車でいちはやく、北中学に向かっていた。バイクには月末近いので残念ながら金が無くガソリンが入っていない。


「カンニングやったのだろうと、疑う前に、生徒が努力していい成績をとったと、認められないのですか」

 

 礼子が教師に詰め寄っていた。礼子の顔は憤怒で真っ赤になっている。

仁王立ちだ。野州女の心意気。ただでさえ、熱い血がながれて、怒りっぽい。


 単純。

 直情。

 猪突猛進。

 無鉄砲。

 

 娘を侮辱されたのだ。胸からあふれてくる激情をそのまま声にしている。


「30点しかとれてなかったビリケツが、いっきに80点なんてこと信じられますか」


 田中と胸にネーム札を下げている教師も負けていない。まだ、若い。髪をぴったりと古典的な七三にわけている。


「信じてあげてください」


 不穏な空気に教師の何人かが、こっそりと職員室をでていく。かかわり合いになりたくないのだ。それで、逃げた。事なかれ主義の卑劣なヤツラだ。


「だめだね。カンニング。カンニングをしたのだ」

 田中はカタクナに自説を曲げない。

「お母さん、もういいって。やめて」

 ヒロコがオタオタしている。

「もういいから、やめて」

「やめないね。こんな、バカ教師は、はったおさないと、わかんないのよ。じぶんがなにいってるのか、わかんないのよ。あんた教師でしょう。だったらじぶんの教え子を信じなさい」

 礼子の怒りはさらに尖る。いつもの怒りかたとはちがうようだ。暴力に訴えようとしている。それもかなり残忍な血をみる暴力だ。

 アサヤはこのときふいに視野のすみで動くものを見た。

 ボダッハだった。小悪魔だ。

 見ることの出来る能力者にしか捉えることの出来ない悪魔だ。

 アサヤにしてもしばらくぶりでの視認だ。ウジヤウジヤ湧いて出た。

 

 この部屋はオカシイ。

 この職員室はブキミだ。

 

 アサヤはイキリタツ礼子をなだめる。

 ボダッハのうごめく部屋の空気が礼子と田中の憎悪を増幅させている。


「礼子。礼子。もういいから。田中先生も、わかってくれているから」

「いゃ、わかりませんね。じゃ、こうしましょう。ここで追試験をしましょう」


 塾の教師がなぜ学校までシャシャリでてくるのだ。こんなジジイが教えたから、成績がのびたなんていわれたくない。シャクだ。

 田中はむきになっている。せっかく、双方をなだめて、アラソイに終止符を打てるようにしてやったのに。田中には職員室に残っている仲間の手前がある。

礼子、ヒロコの顔を睨みつけている。ボダッハが彼の背中に後光のようにとりついている。


「どうする。ヒロコ」


 礼子が母親の声になっている。娘がここでいい得点をとれなかったら、恥をかく。そうなったら、かわいそうだ。


「challengeするよ」


「平常心でいけ」


 アサヤだけはヒロコの学力向上に絶対的な信頼を置いていた。


「ヒロコ。やります」


 自信に満ちた声で、宣誓した。エンピツをとりあげた。

 流れるようにエンピツが進む。カサカサというエンピツの芯が紙をこする音がする。試験を受けるヒロコは、この状態で高得点をトレバ、まちがいなく実力だということになる。眼の前に田中先生がいる――「ビリケツのツッパリ、ヤンキー娘が、恥をかくぞ」と、期待に舌舐めずりする田中先生。

 不安を、隠しきれない母。

 アサヤは絶対的な信頼をヒロコの能力に置いていた。

 よくがんばってくれた。

 みごとに、脳が活性化している。

 それが、田中には見えていないのだ。

 心配ない。

 大丈夫だ。

 落ち着いて、がんばれ。

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