3.ミュウとペロ

「やっと、いいところが見つかった」

 と母が言った。

 安くて、綺麗で、スタッフさんたちもみんな優しくて、いいところ。

 状況を見かねた母は、少し前から老人ホームを探していたらしい。いくつかの施設に話を聞きに行ったもののなかなかどこもいっぱいで、部屋が空くのを待っていたが、そのうちの1つから連絡があったという。

 それから間も無く、祖母は施設に入ることになった。祖母は温泉旅行に行くものと思っている。祖母が入居してから、たまに様子を見に行くと、温泉に来てるの、いいとこよ、あんたも泊まっていったら、と言う。またあるときは、そこを昔勤めていた工場の休憩スペースだと思い込んでいる。わざわざ来てくれたの、ありがとうね、でももうすぐ休憩が終わるから、と部屋から追い出されることもある。

 まあ、楽しそうで良かったと思っていたら、こんなところにいつまでも入れるかと喚き散らして脱走しようとすることもあるし、子どもや孫を知らない人と言い張ることもある。

 同じ施設の入居者で、偶然、祖母の知り合いのおじいさんがいたらしい。祖母が昔、老人ホームや病院などで歌を歌うボランティアをしていたとき、アコーディオンを弾いていた男性だという。お互いに何十歳と歳をとり、呆けてきてはいるが、男性は祖母のことをよく覚えていた。もしかして、あのときの?久しぶりだねえ、これは驚いた、と男性は感慨深そうに言う。なんだかここからロマンスがはじまりそうなシチュエーションではあるけれど、残念ながら祖母は、これっぽっちも男性のことを覚えていなかった。若かりし自分が歌を歌うボランティアをしていたことも、今は歌われる側になっていることも、祖母はわかっていないのだ。

 だけど、祖母は、長年一緒に暮らしてきたミュウと、少ししか一緒にいられなかったペロのことは、ちゃんと覚えているのだった。

 もちろん、いつも覚えているわけではないけれど、ふとたまに会話の中に、その名前が出てくる。

「ミュウとペロは元気?私が戻るまで、ちゃんと面倒見ててね」

「うん、わかった、見てるよ」

 私たちはそう答える。

 ちゃんと見てるよ。おばあちゃんの大事な猫だからね。

 もちろん祖母が可愛がっていた野良猫たちまで全て面倒を見きれるわけじゃない。いつまでも猫屋敷のままでは、叔母夫婦も生活しづらいだろう。少しずつ餌の量を減らしてゆき、もう餌をくれる人はここにはいないよと、わかってもらう。野良猫たちは餌をもらえないと姿を見せなくなった。他にアテを見つけたのか、自分で確保するのか、あるいは生まれてからずっと祖母に餌をもらっていた野良猫は、飢えてしまうことも、もしかしたらあるのかもしれない。

 仕方のないことだと思う。それでもたまに窓に顔を寄せてくる野良猫を見て見ぬ振りをするのは辛いと、叔母は話していた。

 ミュウとペロは、祖母の家の2階で、叔母夫婦が世話をしている。老いたミュウと、若く溌剌としたペロは、すっかり仲良しになった。親子のように、兄弟のように、親友のように、いつもくっついている。叔母夫婦にも懐いている。

 けれども、たまに、思い出すのだろう。姿が見えないと思ったら、1階の祖母の部屋のベッドに2匹丸まって、寝ていることがある。

 祖母の部屋には、大事なものがたくさん詰まっている。祖母のお気に入りのアクセサリーや洋服や、いまだにどこにあるのかわからないへそくりや、祖母の匂いや、2匹の猫と過ごしたたくさんの時間が、詰まっている。

 ミュウとペロがいつまで祖母のことを覚えているかはわからないけれど、暖かな午後にそうして懐かしい祖母のぬくもりに包まれて眠る顔は、とても幸せそうだった。


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ミュウとペロ。 松原凛 @tomopopn

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