2.ペロ
なんでペロなのと訊いたら、「顔の皮がペロンと剥がれてるから」と祖母は言った。
なんてむごい名前の由来だと思ったが、たしかに祖母の言う通り、その白猫は、顔の皮がペロンと剥がれていた。どうしてそんなことになってしまったのか、車の事故か、他の猫にやられたのか、理由はわからないけれど、その剥がれかたはなんとも痛ましく、とても外に放っておくことができなかったので、家に入れることにしたと祖母はいう。
ペロはもう子猫ではなかったが、同じ白猫でも、ミュウよりずっと小柄で、毛並みもボサボサだった。もとは白い毛も汚れて黒ずんでおり、顔の怪我から、まるでたった今戦場をくぐり抜けてきたというような壮絶な風貌をしていた。
素人の手当てでは心配だと、
「明日、病院に連れて行ってくれない?」
と祖母に頼まれ、私は祖母とともに、動物病院にペロを連れて行った。
そこで、衝撃的な事実を知った。
「これは人の手によるものでしょうね。事故や猫同士の喧嘩では、こうはなりませんよ」
と医者は痛ましそうに言った。
私と祖母は絶句した。事故や喧嘩であってほしかった。どうしようもないことであってほしかった。人が、故意にそんなひどいことをしたなんて、考えたくなかった。
「かわいそうに、もう大丈夫だからね」
と祖母はペロに言った。
それから祖母は、野良猫よりも、ミュウよりも、新参者のペロの世話に熱心になった。手当てをし、ごちそうをあげてとにかく元気に太らせようとした。はじめはあまり食欲がなかったペロも、高級寿司を毎日与えられて、体も舌も日に日に肥えていった。
祖母は、たぶん、痩せた猫を太らせるのが趣味なのだ。自分が食べ物を与えることによって、必要とされる、寄ってくる、それは昔に経験した育児によく似ているのかもしれない。
大きな2匹の白猫と、祖母は毎日一緒に寝起きした。ペロの顔の怪我は幸い悪化することもなく、順調に治ってゆき、ペロリと痛々しく剥がれていた皮膚は、ちゃんと顔のあるべき位置に戻った。
もう二度とそんな痛い思いはさせないと、祖母はペロを我が子のように可愛がった。祖母が家の中に目を向けることによって、ミュウのことも思い出すことが多くなった。野良猫は毎日やってきてはニャァニャァ訴えるので、中にも外にも寿司をやった。どこにへそくりがあるのか、祖母の家には祖母しか知らない大金が隠されている。そこから、猫たちの大量の食費が捻出されていた。よく尽きないものだと感心する。他のほとんどのことを忘れても、祖母はお金の在り方だけは決して忘れなかった。
祖母の認知症がひどくなってから、1年ですっかり猫屋敷と化した家。飼い猫が1匹増えてさらに騒がしくなった。ゴミが増える。鳴き声が増える。その他諸々の問題も増える。
「もう無理」
とある日、叔母が言った。
げっそりとやつれ、頭のてっぺんには髪がなかった。以前の綺麗な叔母の姿はどこにもなかった。
祖母が徘徊をするようになった。夜中にふらふらと外に出て行き、何時間も帰ってこない。警察に行き、家族に虐待されていると訴える。娘が私を、私の猫を叩くの、助けて。
電車に乗ろうとして駅員に何度も乗り方を訊き、何度言っても理解しないので突き返されたこともある。スーパーや、コンビニや、銀行や、病院や、いろんなところから、電話がかかってくる。
もう無理、と叔母が頭を抱えるのは当然だった。その頃には、私の母も、私や妹やイトコたちも、親戚ぐるみで祖母の家に様子を見に通っていたが、それでも、一緒に住んでいる者にしかわからない苦しみがあるのだろう。
叔母はどんどん正気がなくなっていくのに対し、2匹の白猫と毎日やってくる野良猫たちは、ふくふくと肉をつけてゆくのだった。
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