ミュウとペロ。
松原凛
1.ミュウ
祖母の家は、一年ほど前から猫屋敷と化している。白、黒、灰、薄茶にぶちに、じつにさまざまな色や模様の猫たちが、足繁く祖母の家に出入りしていた。おもしろいことに、猫が祖母の家を訪れる時間はだいたい決まっていた。朝と夕方、猫たちは祖母の家の庭にやってきて、窓から中を覗き込む。祖母はすぐに猫たちの気配に気づき、待ってましたと言わんばかりにごちそうを乗せた皿をいくつも縁側に出す。
ごちそうとは市販のキャットフードでもツナ缶でも小魚でもなく、スーパーで売っている1パック1000円以上もする寿司だ。その寿司をいくつも出してきて皿に並べ、躊躇もなく野良猫たちの前に差し出す。新鮮な刺身、穴子や玉子やカニカマや人間でも唾を呑みそうなごちそうに野良猫たちが喰いつかないはずがない。そこらのお腹を空かせた野良たちが、寄ってくる寄ってくる。
祖母は、一年ほど前から、徐々に認知症の症状が重くなってきていた。それは誰の目にもはっきりとわかるほどで、一日に何度もスーパーへ行っては大量の寿司を買ってくる。祖母の頭の中では毎日大家族での宴会が開かれることになっており、日によってそれは家族だったり近所の人だったり、はたまた猫だったりする。
猫との宴会。それはとても可愛らしく楽しそうなものだけれど、現実は、いいことばかりじゃない。まず、猫の鳴き声がうるさいと、近隣から苦情がくる。祖母は猫が食べ終えて空になったプラスチックのトレイを知らない誰かが悪意を持って自分の家の庭に放り込んでいると思い込み、忌々しげにゴミ袋に詰めて家の前の道に放り出してしまう。
祖母の家が猫屋敷と化すことで、一番被害を受けているのは、二世帯住宅で一緒に暮らしている叔母夫婦と、飼い猫のミュウだろう。
前は一緒に買い物や旅行に行ったり仲良しだったのに、祖母が認知症になってから、叔母は見るからにやつれていった。やつれていくのは、ミュウも同じだった。
ミュウは20年前に祖母の家に貰われてきた。名付け親は私だった。当時小学生だった私はポケモンのミュウが大好きで、その小さな子猫はミュウみたいに真っ白で尻尾がすらりとしてくるりと大きな目をしていた。親戚じゅうみんながミュウを可愛がり、ミュウ、ミュウ、こっちおいでと名前を呼んだ。いちばん可愛がっていたのは、祖母だった。毎日一緒に眠り、縁側でひなたぼっこをした。小さかったミュウは、祖母に溺愛されたっぷり栄養をとって大きく育った。
その祖母が、今はミュウよりも、名前もない野良猫を可愛がっている。
祖母は外に群がる野良猫たちにはごちそうをあげるのに、ミュウのエサはたびたび忘れてしまう。ミュウは年老いていてあまり元気がなく、お腹が減っても外の猫みたいに、あまり主張しないからだ。にゃあと弱々しく鳴いても、祖母は聴こえていないことも多い。かといって完全に忘れているわけではなく、夜は一緒に眠るし、ミュウの姿が見えないと急に騒ぎだすこともある。
叔母が心配して様子を見に行くと、ミュウがお腹を空かせて待っている。かわいそうにと山盛りさらに餌を入れてやると、老体からは考えられない勢いで平らげる。残せば、祖母が外の野良猫たちにやってしまうのがわかっているのだろう。これは自分の、分けてやるもんかと、意地が見えるようだった。
私は、寂しかった。あんなにもミュウのことが大好きだった祖母が、ミュウを忘れていくこと。忘れている時間がどんどん長くなっていくこと。それは仕方のないことかもしれないけれど、ミュウは、やはり誰よりも祖母が一番に好きなのだ。
ペロが祖母の家にやってきたのは、そんな頃だった。
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