第111話 幸せはいつも平凡

 王配殿下はちょっと笑って、それから真面目になって言った。


「誰だって、侵略者とか虐殺者呼ばわりはイヤだろう。どうせなら救世主になりたいだろ」


「……きゅ、救世主ですか……?」


「当たり前じゃないか。ラセル王を殺して、ゼノアを踏みにじって勝利するのは、簡単だった」


 その通りだった。なぜ、そうしないのか、皆が不思議に思っていた。


「だけど、そんなことをしたら、恨みを全部マノカイが受けなきゃならなくなる。侵攻する以上、後のことも考えなきゃならない。その点、キーリン王やセレイ姫は、全く都合のいい人たちだった。王の資質をまったく欠いた人間で、勝手に自滅してくれた。怖かったのはラセル王だけだった」


 王配殿下は空を見上げた。なにか、リグ殿には見えない思い出でも追っていたのだろうか。


「あの王を殺すことはできなかった。むろん、殺せたさ。だけど、私が殺したらどうなるか。そもそもリーア様が許してくれないかもしれないじゃないか」


 そんなことを気にするのか……とリグ殿は意外に思った。


「だから、キーリンをそそのかしたのさ。この方が安くて速い。マノカイは一切手を汚していないから、俺は救世主になれるし」


 リグ殿は、なにか計り知れぬ王配殿下を見つめていた。


「わたしは……とても不思議だったのです。どうして、ラセル王を殺さないのかと。ゼノアを侵略しないのかと」


「ゼノアを侵略することなんか、まったく考えていなかったよ。でも、狙われて気が付いたのさ。両雄並び立たないとね」


 王配殿下はリグ殿を見た。その目をリグ殿は初めて怖いと思った。

 

 ラセル王は、本当に余計なことをしたのだ。この男に気付かせたのだ。世界がそんなに甘くないことを。


「仕方がないので、ゼノアを統合することにした。ラセル王は邪魔だったが、私がラセル王を殺したら、ゼノアの者たちは永久にマノカイの統治を許さないだろう。独立のチャンスを常にうかがうだろう。身内に爆弾を飼っているようなもんだ。

 誰か、ゼノアの者に殺してもらわなければならなかった。そこで考えて、理由があったので、まずゼノア王を拉致したのだ。理由がないと納得できないだろう」


「納得?」


 誰を納得させたかったのだ?


「ゼノアの統治には、ゼノアの貴族の協力が必要だったのだ。暗殺されかけたので、仕返しをする。拉致する。ゼノアの貴族もそこは納得するだろう。むしろ、拉致くらいで済んでよかったと胸をなでおろすだろう」


「マノカイの貴族ではなくて、ゼノアの貴族たちを納得させたかったのですか?」


「そうだ。全部、自然な成り行きに見えることが重要だ。ゼノアの者にラセル王を殺害してほしかった。あるいは、ラセルをゼノア中の者が憎むような事態にしたかった」


「そんなこと、不可能でしょう」


「拉致して、手元においておけば、いろいろ方法がある。例えば、ラセル王が、息子の廃嫡を考えていると言ったとか」


 リグ殿は驚いた。


「それを、本当に……?」


「上手に教えてやれば、信じるものさ。そのほか王妃の殺害を企てたことがあるのは事実だとか……」


 リグ殿は、商人たちの出入りが多い王配殿下の書斎を思い出した。マノカイの商人もいたが、ゼノアやエーデン、フィンの者たちさえ出入りしていた。

 彼を含めて人々は、武器の取引をしているのだとばかり思っていた。もしかすると、あれはスパイで、偽情報がどんどん流されていったのでは……


「内戦が必要だった。でも、内戦は消耗するから長く続けさせたくなかった。

 二人の王の対立期間を短くしたかった。そのための状況を作るのに準備期間が必要だった。できるだけ対立が早く発生し、早く終わるようにしたかった。リップヘンの活躍は計算外だったが、助かったよ。どうせ、似たような我慢の利かない誰かが出てくるとは期待していたが」


「ゼノア王の拉致は、内戦を起こすための計画の一部だったのですか?」


 そんなに何もかもうまくいくものなのだろうかとリグ殿は不思議だった。


「いいや」


 殿下はあっさり答えた。


「あの時は、そこまで考えてなかったよ。殺すほうが簡単だったが、拉致できるなら、後で使えそうなので、拉致しただけだ」


「それでは、あの時、五日で帰って来いとおっしゃっていたのは?」


 リグ殿は日数の指定までされたのが不思議だった。どこまで考えられた計画だったのかわからなかった。

 王配殿下は鋭くリグ殿を見た。


「どんなにマノカイ軍が強くても、敵地だからだ。長期間だと、補給がもたない。いくらゼノアの連中が旧式の武器の上、フィンとの戦いで疲弊しきっていたとしても、後ろと前から攻撃されたら全滅するかもしれない。成果が上がらなくても、リグの命のほうが大事だ。

 キーリンは戴冠式が済めば、天下は自分のものだと思うだろう。そこへ、ラセル王を慈悲をもって解放したんだ。」


 慈悲を持ってって……リグ殿は、慈悲ではないと思った。


 慈悲というより、本当にまずい解放だった。あのタイムリーな解放がなければ、あそこまで、ゼノア国内が混乱することはなかったろう。


「ラセル王の解放が、リーア陛下のたっての願いと言うのも、ゼノア民には好評じゃないかと思ったんだ。なかなかマノカイ王家はいいやつぞろいそうに見えるだろ?

 のちのちの治世にいい影響があるんじゃないかと思った。

 解放されたラセル王にしてみれば、キーリンの治世なんか愚にもつかないだろう。キーリンは出来が悪かった。当然、ラセルが抑えにかかるが、戴冠式まで済ませたキーリンは絶対に納得しない。

 ラセル王は、本来、キーリンなんかが勝てる相手じゃない。だが、勝てるように仕組んだのさ。銃を掴ませてね」


 キーリン王の軍が、最新式の銃で武装していたといううわさは本当だったのか。


「この紅玉は……」


「それは、マノカイにラセル王が拉致された後、美しいのでキーリンが気に入って勝手に使っていたのだ。

 出入りの商人がこれさえあれば必ず勝てると、マノカイ製のライフルと銃弾をキーリンに売りつけた。寄付したいくらいだったが、そんなあからさまなことはできないから、有り金すべてを巻き上げて来いと命令した。その時の代金の中に混ざっていた」


 その紅玉は、本当に美しく、濁りのない真の赤だった。大変な値打ちものだということは、リグにもわかっていた。リグの手は震えたが、理由は彼にもよくわからなかった。


「リグ、他言は無用だ。ラセル殿の遺品だ。大切に扱え」


 王配殿下は王宮の庭伝いに、リーア陛下気に入りの庭へ足を向けた。リグ殿はその後姿を見送った。


 この人は……リグ殿の予想を超えていた。

 彼の計画は点々と変わっていっていたらしい。唯一変更がなかったのは、できるだけゼノアを刺激しない自然な併合という点だけだった。たぶん、噂の元となった商人たちも、嘘とは知らずに偽情報をまき散らしていったのだろう。

 冷徹で合理的……感情が感じられない……

 王配殿下への批判を思い出した。

 彼が、一番憎んでいたリップヘンは、生きながらえ、最も敬愛していたラセル王は、(王自身には理由がわからなかった)骨肉の争いのせいで無残な死を遂げた。

 目的のためには、どうでもよかったのだろうか………


 だが、王配殿下の向かう先は、いつでもリーア陛下のところだった。それだけは変わらなかった。



 夏は真っ盛りで、リーア陛下は庭のお気に入りの場所で幼い王子をあやしていた。王配殿下は立ち止まり、その様子を眺めた。


 彼は、一歩踏み出して妻と子供に向かった。

 気付いた妻は、顔を起こし、にっこりと微笑みかけた。

 


 いつかプレショーンに言われたことがある。


「全く野心のない男」


 とんでもない話だ。今のリョウは野心まみれだった。


 彼の野心は、彼を信じ切っているこの微笑みを守り抜くことだった。


 しかし、この微笑みは意外に手ごわいのだ。なにしろ、この微笑みを狙う輩は数限りなくいるし、彼女の微笑みはマノカイとゼノアを不幸にすると消えてしまう難易度の高い代物なのだ。


 複雑な人生はどこまで行っても複雑で、利害や偶然や欲望で形を変えゆがみ、変わっていく。

 

 「大丈夫だ。なにもないよ」

 

 リップヘンのことは黙っておこう。そのうちバレるかもしれないけど、怒らないだろう。


「ゼノア城の北の小高いあたりに、避暑用に夏の城館を建てようかと思っているのだけど、どうかな? もう少し北の方がいいかな?」


「嘘ばっかり。城とか言って、堡塁代わりに使うつもりでしょう、場所的に言って」


 簡単に見抜かれて彼は笑った。これだから好きなのだ。


 今までだって、どうにかやってきたし、これからだって必ず守り抜いて見せる。




 窮地に陥った薄幸の姫君を白馬の騎士が助け、結婚して、王様になったおとぎ話はこれで本当に終わりを迎えた。

 ほかの多くのおとぎ話がみんなそうであるように、結婚後の話は退屈すぎて誰にも興味を持ってもらえなかった。

 そして恐ろしく単調で、眠気を誘うような王家の年代記にはゼノアとの統合の話ばかりが書かれていて、(確かにそこには間違いなく全力で立ち向かった王配殿下の歴史が見て取れた)彼女らの結婚についてなんか、結婚の日付くらいしか書かれていなかった。


 彼らの末娘はリーア姫と言った。母に似た美しい少女だった。


「おとうさまとお母さまのお話はたったこれだけなの?」


 年代記を見て彼女は尋ねた。それだけだとわかると、彼女は言った。


「ほんとはもっと素敵なお話なのよ。残しておきたいわ。きっとまた、東渡りのジグ人がどこかに現れるわ。会ってみたいわ」


「それはただの物語でございますよ、姫様。だってどこにもなんの証拠もないではありませんか」


「証拠が残らないようにしたのよ」


 彼女は確信ありげに言った。彼女は知っているのだ。


 だが、その後の歴史に東渡りのジグ人は現れなかった。

 もし、来ていたとしても、きっと彼らのリーア姫に巡り会えなかったのだ。


 東渡りのジグ人という言葉は忘れ去られていた。彼らの末娘のリーア王女も大人になり、結婚し、多くの子供や孫に恵まれた。彼女の両親は幸福な長い人生を終えて、マノカイの巨大な礼拝堂ではなく、かつて彼らが出会ったあの古い修道院の礼拝堂に眠っていた。


 そこで、彼らの末娘は、いまや白髪の老婦人だったが、誰も知らないこの物語を書き残すことにしたのだった。


 窓の外には昔と同じ木々が手を差し伸べてさらさらとさざめいていた。そして彼女はペンを取って最初の言葉を始めた……。


「森に囲まれた静かな尼僧院で彼らは初めて出会った……」

 運命の人に……。

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東渡りのジグ人 ~ある意味、女難の相がある男の物語~ buchi @buchi_07

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