第110話 リップヘンの処遇と紅玉の飾り

 リップヘンは、すっかり忘れられていた。


 王配殿下はリップヘンの言い分に妙な感動を覚えたのだが、人間、勝手なもので、目の前に火急を要する事案が多かったので、彼のことは後回しになっていた。


 彼は、なかなか微妙な立ち位置の人物だった。

 本来、マノカイ人なのに、ゼノア側についてマノカイと戦っている。それなのに、キーリン王の殺害者でもあった。

 ゼノアの状況次第によっては、公開処刑になる可能性や、こっそりいなかったことにされる可能性や、牢に閉じ込められっぱなしの可能性があった。

 ゼノアの状況がどう落ち着くかは、王配殿下だって、全然予想が付かなかったので、ある程度、状況が落ち着いてから処遇を決めることにせざるを得なかった。


 そのため、彼はあれからずっと、礼拝堂の地下の牢に閉じ込められていた。

 ちょうどかつてのラセルのように、何不自由なく、しかし完全に外部と遮断されて暮らしていた。違っていたのは、ラセル王の幽閉は数か月だったのに対し、リップヘンの幽閉期間は数年になったことだった。


 リップヘンはすっかり気分を害し、例の発作を起こしていたが、誰も取りあってくれなかった。


 そしてある日、何の前触れもなく、王配殿下その人が、彼の牢へやってきたのだった。


「リップヘン、貴公の処置が決まったことを伝えに来た」


 リップヘンは覚悟していたようだった。

 彼は自分が生きてその牢から出られるとは思っていなかった。


「だが、その前に一つ知らせておきたいことがある。マノカイには先ごろお世継ぎの王子が生まれた。」


 リップヘンは全く予想していなかったらしく、目が大きく見開かれた。


「うそだ」


「この前ここへ来たとき、国中の鐘という鐘がなっていたろう」


 リップヘンもそれは知っていた。


「あの鐘は王子誕生の鐘の音だったのだ。貴公が心配するようなことはなにもないのだ」


 リップヘンの悲壮な決意は、存在理由さえ消えていった。


「嘘をつくな」


 彼の声は震えていた。


「ほんとうだ。立太子の式も滞りなく済み、来年には二人目のお子さまがお生まれになる予定だ」


 王配殿下についてきたリグ殿が低い声で後ろから言い足した。


 東渡りのジグ人は確かにいた。最初リョウは言葉が話せなかった。間違いなく彼は死んだはずなのに、生き返ってきた。それなのに……?


「リップヘン、そなたはラセル王に騙されたのだ。常識的に考えて、そのようなものが存在するはずがなかろう」


 いかにも当たり前のことを話すと言った調子で、王配殿下は話し続けた。


 リップヘンは混乱していたが、王配殿下はリップヘンが正しかったことを知っていた。


 リップヘンの言葉は真実だった。

 

 彼は人間でなかった。本当に幽霊のような存在だった。自分でも知らなかった。

 でも、ラセル王も知らなかっただろう。ただの噂と思っていたので、彼を重用したのだ。

 ラセル王が真実を悟ったのは、おそらくフィンの侵攻の際にリョウと再会した時だろう。

 彼は全く年を取っていなかった。全く同じ見かけだった。

 ラセル王は動揺し、不安になった。同時にリーア姫とマノカイを手に入れる夢を再び抱いたに違いない。誰にも許されるはずのない結婚だったのだ。人にも、神にも。そう、リョウ自身にとっても。

 たとえ、今、マノカイの王配殿下を暗殺できなくてもよかった。いずれ彼は排斥される。

 なぜなら……年を取らないからだ。

 顔を知られてしまったことで、彼はどこにも行き場をなくしてしまっていた。


 だが、皮肉なことに、ラセルとリップヘンが放った銃弾が、すべてを変えてしまった。

 リーア陛下があれほど思い悩んでいた問題は、ラセル王とリップヘンのおかげで否応なく彼女の望んでいた方向に、(ラセル王とリップヘンが希望していた真逆方向に)強制的に解決されてしまい、結果的にリップヘンの真実の願いをかなえた。姫の幸せである。

 彼に取りついていた暗い闇を吹き飛ばして、この地で生きる道を選ばせたのだ。

 

 それを思うと複雑だった。

 もしかすると、この男には感謝しないといけないのかも知れなかった。



「そなたは禁固刑を命じられた」


 リップヘンは耳を疑った。彼は絶対に死罪だろうと考えていたのだ。


「なぜ?」


 王配殿下はため息をついた。


「これはリーア陛下のリップヘン殿への慈悲なのだ」


 牢は人払いがされていて、忠実なリグ殿以外、ほかには誰もいなかった。


「貴公は数々の罪を重ねた。キーリン王の殺害は最も明らかな罪状だが、そのほかにマノカイ王国への数々の裏切り行為がある」


「それは……」


 激しく言い返そうとするリップヘンをリグ殿が長い棒で格子越しに抑えた。よく囚人が暴れるときに用いられる棒だった。


「当然死罪なのだ、だが……」


 王配殿下が静かに語を継いだ。


「よいか、他言してはならぬ。陛下は幼ななじみの貴公の死を望んでいない。ラセル王の死も望まれなかった。だから黙ってこの地を去るがよい」


 リップヘンはびっくりして王配殿下の言葉を聞いていた。


「馬車と兵を手配してある。ここからずっと遠くの小さい城に幽閉されることになるのだ」


 リグ殿が振り返って兵たちを呼んだ。


「いいかな? リーア陛下は慈悲のお方だ。貴公の幸せを望んでおられる。静かにその地で暮らすがよい。貴公も陛下のお幸せを祈るがよい」


 リップヘンは何も言わなかった。驚きで口がきけなかった。


 兵士たちは黙ってリップヘンを牢から連れ出し、粗末な馬車に乗せた。


「待ってくれ。リーア姫に、姫に一目お会いしたい」


 王配殿下は首を振った。


「許さぬ」


 彼は何かわめいていたが、兵士たちは慣れた様子で彼を黙らせ、馬車は出発していった。





 王配殿下とリグ殿は、その様子を黙って見送っていた。


「リップヘンは陛下のお優しい心に感動したことでしょう。おとなしくしていてくれるとよいのですが」


 リグ殿が少し心配そうに言った。


「陛下には言ってないから、リップヘンがマノカイに来ていることは知らない」


 リグ殿はびっくりして、思わず王配殿下の顔を見た。


「あれは嘘ですか?」


 リップヘンの乗った馬車を見送りながら、王配殿下は独り言のように言った。


「いまさらリップヘンを処刑しても、陛下が嫌な思いをされるだけ。

 それにあいつはキーリンを殺してくれた功労者だ。あんなに都合よく、キーリンを殺すヤツが、こうも早く出現するとは思わなかった。

 しかも、キーリン王の殺害を見殺しにした連中にとっては、都合の悪い事実の証人だ。何かの時の脅しに使える。ゼノアの連中の誰かがマノカイに刃向ったときなんかにね。

 禁固刑は、ちょっとした感謝の気持ちだな。生きてても何一つ思い通りにはならないから、嫌がらせみたいなもんだがね」


 そう、時代は変わり、彼のものになった。


 彼こそが真の王であり、マノカイ、ゼノアはおろか、近隣諸国のすべてが、彼の影響下に置かれることになったのだ。その前では、リップヘンなど何の力もなかった。

 それに、リップヘンが何をどう言おうと、彼は今や東渡りのジグ人ではない。そんな噂におびえる必要はもうないのだ。

 

「まあ、個人的にはリップヘンが一番嫌いだった。でも、処刑する意味さえなくなったからな。ところで、リグ。」


「何でございましょう。」


「これを王室の宝物館にこっそりしまっておけ。新式の銃を売った時に代金として受け取ったものだ。キャンベル殿に見つかるとまずいからな。」


 それは美しい紅玉だった。見事な金細工が宝石をくるむように支え、金鎖がついていた。


「どんなに新式の銃だったとしても弾丸がなければ使えないからな。用事がすんだので弾丸を売るのは止めたのさ。どこへ向かって撃ってくるかわからないからな」


「用事……とは?」


「キーリンが親父に勝てた理由さ。ゼノアを数十丁の銃で買ったんだ。どうだ、安い買い物だろう。俺が使ったんじゃないが、ほかのやつがうまい具合に息の根を止めてくれたんだ。これはそいつからの代金だ」


 リグ殿は、驚き、話を組み立て、パズルの駒を当てはめた。紅玉を持つ手が震えた。


「リップヘンに自慢してやろうかと思ったんだが、台無しになるからな。やめた。」


 リグ殿は王配殿下を見つめた。


「まさか、ラセル王の死の原因は……殿下なのですか?」

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