花瀬理佐の遠鳴り 其の六
「花ちゃん?」結衣は理佐の表情を覗き込む。
「あぁ、ごめん。月山君、だよね」我に返って作り笑顔を振る舞う。
結衣は顔を元の位置に戻し、話を続ける。
「そう、月山君。月山君って、イケメンだし、頭賢いし……。でも、それだけじゃないのが魅力的だなって思って」
理佐はコクリと頷く。
「実際に話してみると面白くて、でも、ちょっとおっとりしている部分もあるけど、紳士なところもあって、とてもいい人だなって」
理佐は覚られないように苦いコーヒーを喉に通す。無理やり絞って、
「好きになったのはいつ頃?」
の言葉を吐く。うーん、と唸って、
「自覚したのは、先月ぐらいかな」
と、切なそうな
「先月何かあったの?」
結衣は、コクリと頷く。
「先月、雨が降った日。私、傘持ってきてなくて、バイトのドアの前で立ち尽くしてたの。そしたら、月山君が丁度上がりで、バッタリ会ったの。『傘無いの?』って声を掛けてくれて、傘の中に入れてくれたの。そこで色々聞いてくれて、結局駅まで送ってくれたの。その日家に帰って、思い出していると、『私、月山君のこと好きなんだな』って分かったの」
初めて見た、恋をする乙女の姿。目元は、どこか儚く、キラキラとハイライトが揺れている。しかし、喋る口元と声は悲しそうに微笑んでいる。落ち着いているようで、本当は胸の内を吐露するのに必死だった。
理佐は息をのむ。
そんなの、聞いてない。
彼は、紳士で喋ると面白いところは、私も好きだし、諒も結衣に心を開いているという証拠だから嬉しい。だけど、相合傘しておいて何喋ったのよ。諒に何を言われて好きになったの。私が知らない諒がそこにいる。それは、嫌だ。
理佐は脳内で文字を並べる。決して言葉にはしないが、キャパオーバー寸前。
「因みに、何話したの?」
口が勝手に動いていた。結衣は、「相合傘で?」と聞く。理佐は頷いた。
「人生相談、かな。これからどうしようって悩んでるって言ったら、相談乗ってくれたの」
「え? 人生相談?」低く鋭いトーンで
「そ、そうなの」
唐突の低く苛立った理佐の声に狼狽するが、結衣は話を繋ぐ。
「私やりたいことがあって、そのためにあの大学に入ったの。やりたいことも続けたいけど、それだけじゃ生きていけないから迷ってるって言ったの」
「結衣がやりたいことって?」
「そ、それはまだ……言えない、かな」急に勢いが無くなり、言葉が詰まる。
「やりたいことなんでしょ?」また、間を刺す。
「そ、そうなんだけど」
「だったら何で言わないの? 諒にも言ったの?」
苛立ちを静めきれず質問攻めをすると、ボロが出る。
「りょ、諒? あ、言ってないよ、月山君にも」
バイトの中では、理佐は月山のことを、「月山」と呼んでいる。下の名前で呼んだことはない。
「そう。まぁ、話せないなら、仕方ないけど」
理佐は冷たく言い放つ。結衣は焦って、
「で、でも、花ちゃんには絶対相談するから! というか聞いてほしいの! その時まで待ってて欲しいの」
と前のめりになる。
「ど、どういうこと?」疑問符がそのまま口を出した。
「い、今は話せないけど、いつか、絶対話すから」
勢いを静めながら、恥ずかしそうに話す結衣の姿に、理佐は吹き出す。
「ふふっ、何それ。変なの」
「わ、笑わないでよ!」
「いや、結衣らしいなって」
「はははっ、無理。笑っちゃう」
その後は、作品の話で盛り上がり、カフェを後にする。二人は逆方向に自宅があるため、カフェのドアの目の前にして別れた。
辺りはネオンカラーが灯る、夜と化する。しかし空は、黒と灰色を混ぜた色に染まる。理佐は空を仰ぐ。頬に何か冷たいものが当たる。手でそれを撫でると、透明な水だった。
「もしかして」
そう呟いた瞬間、それは次々と降ってくる。理佐は走り出す。
「マ、マジか」
雨が降り始めた。次第に強くなり、打ち付ける音も大きくなっていく。
「ヤバい、傘、持ってくるの忘れた……!」
家まで走り切る自信はなく、ビルの前で雨宿りをする。
カバンからハンカチを取り出して、濡れた体を拭くも、小さなそれでは間に合わない。「傘、持ってきてくれないかな」と呟いた。
理佐はカバンからスマホを取り出す。濡れた指では反応せず、暗証番号でロックを解除する。トークアプリを開いて、彼に電話を掛ける。
耳にそれを当てると、コールが鳴る。三回目でそれは切れた。
『もしもし、どうしたの』
雨が強く降っていて聞こえづらいが、疲れたような声をしていた。先に聞いてみよう。
「諒、今何処にいるのかなって」
『何処って……部屋の中』
やっぱり、いつもの声じゃない。重みがある。理佐は、話を切り出す。
「そうなのね。声、いつもと違うけど、大丈夫?」
月山は少し間をおいて、「何にもないよ。疲れているだけ、だから」と言った。直感で、聞かないほうがいいと思い、理佐は本題を口に出す。
「疲れているところ申し訳ないんだけど、雨降ってて、雨宿りしている状態なの。だから、迎えに来てくれる?」
月山はまた間を少しおいて、
「近くにコンビニはないの?」
と言った。理佐は、驚いた。あの紳士さは、どこへ行ったのか。辺りを見回すが、見つからない。
「な、無いけど」
『じゃあ、スマホで、ここら辺にあるコンビニって調べて』
理佐はスピーカーに切り替えて、調べてみる。六十メートル先だと表示される。でも、雨の勢いは治まりそうにない。
「この雨じゃ、また濡れて風邪ひきそう」
『どこら辺?』
「この前行ったカフェの近く」
『あの辺りならセブンが近くにあるよ。傘売ってるから』
「セブン通り過ぎたわ」
『じゃあ、ちょっと分かりづらいけど、ミニストあるから』
「そっち方面じゃないもの」
すると、月山は、琴線に触れる。
『いいからどっかのコンビニ行けよ……』
「は? そんな言い方無いでしょ」
『俺は、今疲れてるんだよ』
「自分の部屋に居るのに?」
『本当に疲れてるんだってば』
「諒の家から近いわよ」
『何度も言わせるなよ。コンビニ行けって』
「すぐ近くじゃん! だったら、迎えに来てよ!」
『だから今、あのマンションに居ないんだよ!』
この発言に理佐は驚く。
「ど、どういうこと? 今何処にいるの?」
彼は溜め息を吐く。鬱陶しそうに。
『別にいいだろ。少なくとも青木の街にはいないから』
「ねぇ、何かあったの?」
溜息をまた吐いて、間を置き、
『何でもない』
と言う。理佐は、「そう」と吐き捨てるように言った。
『じゃ、俺、切るから』
理佐は黙り込む。泣きそうだったから。
『風邪、引かないようにな』
その言葉を残して、電話は終了した。
「何よ、それ」
理佐は、スマホで検索し始める。
「今日は散々ね。バカみたい」
現在地とスマホの画面を見比べて、場所を確認する。
「ホンっと、ツイてない」
スマホをダッフルコートのポケットの中に入れる。
「誰か、迎えに来てよ」
空を仰いで、目から一粒の涙を流す。メイクを施した表情は、雨によって既に崩れている。アイラインがあふれる涙を茶色に変えていく。
理佐は、走り出した。雨が頬に強く当たる。流れる茶色の涙は、大量の雨粒によってかき消される。
「こんなぐちゃぐちゃな顔で誰にも会いたくない」
そう呟いた。
結局、理佐はコンビニに寄らなかった。
Refrain 倫華 @Tomo_1025
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