花瀬理佐の遠鳴り 其の五

「お疲れさまでしたー」

 理佐は、バイトを終えてスタッフルームのドアノブを握る。ドアを開け更衣室に入ると、結衣が仕事着から普段着に着替えようとしていた。

「あ、お疲れ、花ちゃん」

 右に流れるアシメの横髪と少しカールがかかったボブにクリッと丸い目が印象的な女の子。丸型眼鏡がとても似合っている。彼女の名前は、橋波理佐。私立文系大学の一年生で、理佐と同級生。

「お疲れ、結衣。今日は上がり?」

「うん。花ちゃんも?」

「そうよ。あ、そうだ。この前紹介してもらった本、面白かったよ」

「よね! 花ちゃん好きそうだなって思ってたんだ」

「正解よ。どストライク。私の好みだった」

「切ないけど、面白くて、私読みながら泣いちゃったんだよね」

「分かる。私も涙出そうになったわ」

「え、花ちゃん泣いたの?」

「泣いてないよ」

「花ちゃん涙腺固いタイプ?」

 理佐は顎に親指と人差し指を挟んで、唸る。

「確かに、泣いたことないかも」

「じゃあ、次は絶対泣ける本紹介する!」

「ふふっ、楽しみにしてる」

「ねね、花ちゃんこの後、暇?」

「ううん、大丈夫よ。どうしたの?」

「せっかくだから何処かのカフェでお茶したいなって」

「いいよ、もっと語りたい」

「やった! じゃあ、何処行く?」

 はしゃぐ結衣とそれを見て綻ぶ理佐。理佐は、結衣が好きそうなものを想像する。カフェ、コーヒー、マキアート、スイーツ、そして、本。それらのカテゴリーで脳内検索をかける。そして、あるお店が頭に浮かぶ。

「あ、そうだ。結衣、スイートポテト好き?」

「うん! 好き!」

「じゃあ、良いお店紹介するわ」


 バイトを後にして、街に出る。

 青木というこの街は、ビルが並んでいて、歩く人々はどこか急いているように見える。理佐がこの街に来て思った第一印象はそれだった。住み始めて間もない頃は、本当にやっていけるのだろうかという不安はあった。しかし、その不安を一気に解消してくれたのは、結衣だった。

 場所は別々だが、近くに住んでいる彼氏の月山に、「一緒にバイトしない? 理佐が一緒だと心強いし」と誘ってくれたのがきっかけだった。もちろん、二人の関係は同僚には誰にも言わないと決めた。始めて入ったシフトで、話しかけてくれたのが結衣だった。

「そっかー。この街初めてなんだね。不安だよね。困ったことあったら、何でも聞いてね!」

 二人は直ぐに打ち解けた。今では、お互いの趣味である読書を語り合える仲になった。

 この街に来て初めての大切な友達が、自分の彼氏を好きになるなんて。理佐は、ちくりと胸が痛くなる。


 手すりを握って、前へ押し出す。暖気が冷たいからだをなぞり、全身を包んでいく。

「やっぱり、お店の中は温かいね」

 中に入って手袋を外した結衣が言った。

「そうね。ここ凄く温かくて気に入ってるの」

「それに、コーヒーの良い匂いするし。こんなカフェ知らなかった」

「私も、か、知人に教えてもらったの」

 一瞬、彼氏と言い滑らしそうになった。

 すると、店員が駆け寄り、席へと案内してくれた。理佐はコーヒー、結衣はカフェラテ、そして、二人ともスイートポテトを頼んだ。本の話を盛り上がっていると、すぐに頼んだメニューが運ばれてきた。

「あ、そうだ。きいてみたいことがあったんだけど」

 と、話を切り出したのは結衣。

「どうしたの?」コーヒーを両手で持ち、返事に答える。すると、結衣は少し恥ずかしそうに、

「花ちゃんって、好きな人いるのかなーって思って」

 と言った。理佐は目を瞑ってコクリと頷き、

「うん。いるよ」

 と正直に答えた。

「もしかして、彼氏いるの?」

「う、うん。いるよ」

 いない、と言いたかった。自分はやっぱり嘘がつけないタイプだと、このとき理佐は自覚した。

「そっかー。やっぱり、いるよね。花ちゃん美人だし」

 そんな訳ないでしょ。これでも男子から本の虫って嫌味言われてたんだから。そう言うつもりだった。しかし、実際に口にしたのは、

「……結衣は、好きな人いるの?」

 という言葉。想定外だった。口に出すつもりはなかった。結衣は赤面して、

「えっ!? いきなり?」

 と声を高くして言った。

「そう。逆に」

「えっ、ま、まぁ……いるよ」

「誰々? 気になる」

 何を言っているんだろう、私。理佐は心の中で呟く。

「えっ、言うの!?」

「気になっちゃうな~」

 答え知ってるくせに、何を言っているんだ。

「ま、まぁ……花ちゃんになら……」

「うんうん、聞かせて」

「えっと、バイト先の……」

「バイト先の?」

 知ってる。その名前を出さないで。


「月山君」



 背筋に稲妻が走る。言うと思った。固唾を飲み込む。

 どうしよう、次の言葉が出ない。

 理佐は、コーヒーを口に運んで飲み込んだ。

 コーヒーの味は苦かった。

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