第5話

 あれからすぐに多香美と別れて、私は家へと向かっていた。すっかり暗くなった道を足早に歩くと、古めかしい家が見えてくる。その家の角を曲がって少し歩けば、亜利沙ちゃんの家だ。子どもの頃は、当たり前のように角を曲がって亜利沙ちゃんの家へ遊びに行っていたけれど、今はほとんど行くことがなかった。


 私は、古風な家を無視するように足を速める。駆け出しそうな勢いで曲がり角を過ぎて歩調をゆるめると、名前を呼ばれた。


「こら、受験生。帰りが遅いぞ」


 聞き覚えのある声に心臓がはねる。

 振り向くと、曲がり角には亜利沙ちゃんが立っていた。街灯はあるけれど消えていて、亜利沙ちゃんの表情はよく見えない。私は息を小さく吐き出してから、亜利沙ちゃんに声をかけた。


「亜利沙ちゃん、こんなところで何やってるの?」

「里穂、元気かなーって」

「見ての通り元気だよ」


 その言葉を確かめるように亜利沙ちゃんが私に近寄り、顔をのぞき込んでくる。ほとんどない身長差のせいで顔が近くて、鼓動が早くなった。


「本当に?」


 亜利沙ちゃんから、疑わしそうな声が聞こえてくる。私は彼女の肩を押すと、少し距離をとってから答えた。


「うん、元気」

「そう?」

「すっごくじゃないけど、元気だって」

「んー、そっか。それならいいや。じゃあ、私はこれで」


 私の答えに納得してはいないようなのに、亜利沙ちゃんが手を振って帰ろうとする。私は思わず亜利沙ちゃんのパーカーの裾を掴み、彼女の自然とは言い難い行動に文句をつけた。


「ちょっと、待って。なんなの一体」

「本当に里穂の様子を見に来ただけだから」

「急に様子を見に来るなんておかしい。なんか隠してることあるでしょ?」


 最近は連絡を取り合うことも減っていたし、会っても少し話しをするくらいだった。だから、こんな風に亜利沙ちゃんが私を待っているなんて変だ。元気かどうかなんて、スマートフォン一つあれば簡単に確認できる。


 私のことを気に掛けてくれるのは嬉しいけれど、あまりにも不自然だった。

 私は、返事を促すように掴んだままのパーカーの裾を引っ張った。


「……百香がさ、里穂が元気ないっていうから様子を見に来た。だから、元気ならいいの」


 亜利沙ちゃんは気まずそうにそう言うと、ぽん、と私の頭に手をおき、くしゃくしゃと少し乱暴に頭を撫でた。

 泣いたり、落ち込んでいたりすると、いつも亜利沙ちゃんは私の頭を撫でる。亜利沙ちゃんの行動は、子どもの頃と何も変わっていない。


 ちくり、と針で刺されたかのように胸が痛む。


 百香がしたことを余計なことだは思わなかった。むしろ、亜利沙ちゃんに会えて嬉しい。けれど、嬉しいという気持ちと同じくらい息苦しかった。


 亜利沙ちゃんは私が元気がないときには、いつも側にいてくれた。たいていの場合、それはどんなことよりも優先されてきた。そして、その行動は自分が亜利沙ちゃんにとって特別な存在だと思わせるようなもので、私に優越感にも似た感情を与え続けてきた。


 いつだって、亜利沙ちゃんに心配されるのは嬉しい。でも、彼女が私を妹のような存在だと思っていることに気付いてしまってからは、昔のように自分が特別だとは思えなかった。


 いつでも心配してくれて、元気がないときには側にいてくれる亜利沙ちゃん。


 でもそれは、妹のような存在でいたくない私にとって少しばかり居心地の悪さを感じさせるものだった。


「電話とかメールとかそういうので良かったのに」


 掴んでいたパーカーの裾を離して、出来る限り素っ気なく伝えると、亜利沙ちゃんが言った。


「顔、見た方がいいから」


 そして、困ったように、んー、と唸ってから言葉を続けた。


「無理しないようにね。話ぐらいならいつでも聞くから。昔みたいに遊びにおいで」


 長い付き合いのせいか、亜利沙ちゃんは私が言葉ほど元気がないということにとっくに気付いていた。私の隠し事は、いつもほとんどが亜利沙ちゃんにバレてしまうのだから、当然と言えば当然だった。


「わかった?」


 黙り込んでいた私に、亜利沙ちゃんが問いかけてくる。ついでに、私の頬をぺちぺちと叩いてくるから、それに合わせるように心臓がどくどくと脈打った。


「うん、わかった」


 私は短く言葉を返す。そして、もう帰らないと、と付け加えると、じゃあ、またねと亜利沙ちゃんが手を振った。

 私は、亜利沙ちゃんに背を向けて歩き出す。

 背中に視線を感じる。

 亜利沙ちゃんの顔が見たくて振り返りたくなったけれど、家へと急いだ。

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