第3話

「里穂、遅い」


 コンビニの前に立っている多香美を見つけ、声をかけようとした瞬間、先に声をかけられる。


「ごめん。亜利沙ちゃんに会っちゃって」

「草野先輩、バスもう少し早い時間じゃなかった?」

「そうだね」

「……学校、間に合うの?」

「間に合わない。遅刻でしょ」


 亜利沙ちゃんの高校は、ここからバスで三十分ほどかかる。本人は間に合わすつもりもないだろうけれど、この時間に私に会っているようじゃ遅刻決定だ。


「良いのかなあ」

「駄目でしょ。でも、本人は彼氏と楽しそうだったから良いんじゃないの」

「……生徒会長さん?」

「ううん。それは過去の人かな。今度は、大学生だと思う」

「大学生か。相変わらずモテるねえ」

「羨ましい?」

「羨ましがるほど、暇じゃないよ。受験生だし、やることいっぱいあるから」

「そっか。頑張れ、受験生!」


 ほぼ校則で決められた通りに制服を着た多香美の背中をトンと叩き、学校へ向かって歩き出す。すると、多香美が私の背中に肩をゴツンとぶつけてくる。


「里穂もでしょーが」


 多香美は強い口調でそう言って、さらに言葉を続けた。


「そういえば、進路調査票。あれ、また白紙で出したでしょ」

「よく知ってるね」

「そりゃあ、先生に真顔で『山野に悩みがあるような様子はないか?知ってたら、教えてくれ』なんて言われれば、何が起こったか大体想像できる。何年友達やってると思ってんの」

「すみません」


 反省の欠片もない声で多香美に答え、ぺこりと頭を下げると、大きなため息が隣から聞こえてきた。


「で、どーするの?」


 呆れたような多香美の声を聞きながら、振り返る。当然のことながら、亜利沙ちゃんの姿は見えない。かわりに、足早にコンビニに入っていく同級生の姿が見えた。


「んー、どうしよう。多香美は、山高だっけ」


 私は視線を前へと戻し、隣の市にある進学校の名前を口にした。


「うん」

「東京に戻りたいって思わない?」

「東京の高校に行くってこと?」

「そう」


 多香美は、小学五年生のときに東京からこの町にやってきた。都会から田舎へ。それも、ちょっとした田舎じゃない。高い建物なんて灯台くらいしかないのどかな田舎町。

 出会ったばかりの頃の多香美は、東京が恋しそうだった。と言っても、すぐにこの何もない町に馴染んでいたから、東京に戻るという選択肢はないだろうと思う。それでも、聞いてみたかった。


「現実的じゃないでしょ。お父さんもお母さんも、東京に帰る予定ないし。私だけ東京の高校とかありえないもん。それに、東京に帰りたいとも思わない。ここの方がのんびりしてて良いよ」


 多香美から返ってきたのは、予想通りの答え。私は、多香美の言葉を打ち消すように呟いた。


「いいな、東京」

「東京の高校に行きたいの?」

「そういうわけじゃない。でも、なんかいいなって」


 別に東京じゃなくてもいい。ここじゃないどこかなら。離れたくないけれど、亜利沙ちゃんから離れたい。

 亜利沙ちゃんを追いかけるカルガモの子どものようなものから、違う何かになりたい。


「ここの方が良いよ。何もないけど、そういうのがいいんだと思う」


 多香美は胸が重くなるような思考にとらわれている私にそう声をかけ、「草野先輩もいるし」と付け加えた。

 おまけの言葉に顔をしかめて多香美を見ると、くすくすと笑っていた。


「里穂、草野先輩といつも一緒にいるもん」

「今は違う。あんまり会わないし。それは子どもの頃の話」

「そう?」

「そう!」


 学年が上がって、卒業式がきて、入学式がきて、小学校から中学校へ。学校が変われば、関係も変わっていく。人よりも少しばかり要領の悪い私の面倒を見てくれていた亜利沙ちゃんは、中学に入ると学校の友達とばかり遊ぶようになった。

 学校が離れた分だけ離れた距離は、亜利沙ちゃんが高校生になってさらに離れた。

 小学生の頃は、私と多香美と亜利沙ちゃんの三人で日が暮れるまで遊ぶこともあったのに、今はそんな時間はほとんどない。


「多香美、いつから亜利沙ちゃんのこと先輩って呼ぶようになったんだっけ?」


 子どもの頃は、多香美も亜利沙ちゃんのことを名前で呼んでいたはずなのに、気がついたときには名字で呼ぶようになっていた。


 何故、先輩と呼ぶようになったのか。


 小さな疑問は口に出してはいけないような気がして、今まで聞いたことがなかったけれど、今日なら答えてくれそうな気がした。

 多香美が、んー、と空を見上げる。

 何度か瞬きをしてから、ぼそりと答えた。


「中学に入ってからかな」

「なんか理由あった?先輩って呼ぶ」

「上下関係しっかりしないと」


 多香美はきっちりした性格だけれど、亜利沙ちゃんはそんなことを気にするタイプじゃない。むしろ、仲の良かった友達から、急に先輩なんて呼ばれたらよそよそしいと怒るタイプだ。それに、上下関係なんて言葉は、小学生の頃から仲が良かった私たちにはないも同然で、そんなことが亜利沙ちゃんを先輩と呼ぶ理由にはならない。

 私が納得のいかない答えに黙り込んでいると、多香美が付け足すように早口で言った。


「もうすぐ高校生だし、そういうところはきっちりしとかないとダメだと思うんだよね」

「亜利沙先輩、じゃだめだったの?」

「んー、だめ」

「どうして?」

「そういものだから」

「そういうものなんだ」

「そういうものでしょ。もう子どもじゃないし、変わらないと」


 当然、というように多香美が笑う。

 私は、当たり前のように変わろうとするみんなについていけない。子どもの頃のまま、立ち止まっている。


 ふう。

 細く、長く、息を吐く。


 自然に足も遅くなる。

 隣を歩いていたはずの多香美の背中が見える。

 長い髪を少し高い位置でまとめたポニーテールが揺れる。

 馬の尻尾のようにゆらゆらと揺れる髪を見ながらのんびりと歩いていると、多香美が振り返った。


「ちょっと里穂、遅い!急がないと遅刻しちゃうよ」


 急かすように、多香美が私の手を取る。


「先に学校についた方が勝ちね。負けた方は、アイスを奢る!」


 そう言って、多香美が走り出した。海沿いの道を駆ける多香美に引きずられるように私も走り出す。

 鞄がいつもよりも重く感じる。理由は、きっとぺらぺらな紙一枚。鞄の中にある白紙の進路調査票は、変わりたいけれど変われない私のようだった。

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