みたくない

「???」


 ベッドから転がり落ちる様に何とか立ち上がると、精神的なものか肉体的なものなのか動こうとするだけで少し辛い。過ぎた運動直後の疲れからくる疲労感とは何か違う。

 体が出向こうとしない感じは、鬱症状の典型的な入口だ。


「ギルド長?ジェイクさん?聞こえてますか?」


 デイラの声に呼び出されるように、ギルド長、ジェイクさん、そしてのろのろと一呼吸遅れて俺、と連なって部屋から出て行く。

 地味に、俺が出た瞬間にドアのそばで待っていたデイラが息を呑んで凝視する姿には心に刺さる何かを感じる。

 その、何か見ちゃいけないものを見た的な反応は何とかならないか。

 万人に優しい美人受付嬢の反応じゃないぞ。


「――リク、さん。

 もう大丈夫なんですか?」


 うん、立て直しが早いのは優秀な証拠だよね。


「――さぁ?」


 取り繕った返答をするのも辛い。俺自身が俺自身の正気を確信できない状態でどう応えたものか分かりはしない。正直に分からないという事を端的に伝えたつもりだったのだが、返されたデイラはまたその美人な顔を引くつかせて声を詰まらせていた。


「リク?あんまり良い態度じゃねぇな?」


 窘めてくれるジェイドさんが冗談めかした調子で俺の肩を叩く。

 思った以上に自分自身に余裕がない。無理やり頭の中を空っぽにして今にも崩れ落ちそうな膝を耐えているので精一杯だ。

 「(鬱症状でも)割と厄介な所まで深く来ちゃったな」と零しながら、視線を下に落として、とにかく前を歩くギルド長の靴を視線で追いかけながら進む。


「――やばいなぁ」


 判断能力の格段に落ちた俺の目にも、一瞬ギルド長の歩調が乱れるのが分かった。分かったは良いが。

――ボスッ


 あぁ、やっちゃった。


 鬱は急には止まれない、というか、まともには止まれない。二重の意味で。

 とかおっさん臭いことを頭に浮かべながら、目の前のビクともしない壁みたいな背中にようやく視線を持ち上げる。


 視線を上げることすら面倒くせぇ。


 どうやらかなり重症らしい。

 頭の混濁具合からしても、しばらくまともに仕事に手がつかないレベルだと見た。吐き気が来るタイプの鬱ではないだけマシか。


「おいルーキー、いい加減その物騒なの納めれねぇのか?」

「――なんの事です?」


 視線を上に上げ続けることすら苦痛に感じるなかで、厳ついおっさんが何か言いた気に苦々しい顔をしていても考える余裕がない。日常生活で当たり前にこなしている作業って、意外と難しいものが多い。


「ギルド長、今のリクに言ってもどうにもならんと思いますよ?」

「ちっ、無自覚だってのか」


 頭を掻くギルド長は、そのままじろりと俺を一瞥して踵を返す。

 どうでも良いが、そろそろ体力的にしんどくなってきた。たった数メートルの廊下が今の俺にとってはとてつもなく長い道のりに思える。


「デイラ。司祭はもう治療中か?」

「――あ。はい。治癒用の聖水は運び込みましたので、そろそろ」


 聞いちゃ駄目なやつだ。

 体が何かを拒否している。


「右足の蘇生はやはり――」


 何も聞こえない。

 聞いちゃいけない。


「まぁ、いい。ルーキー。

 てめぇが拾った命だ。てめぇで最後まできっちり見届けんだな」

「――リク。

 ちょいとばかり刺激的・・・な状況かもしれねぇが」


 目の前が瞬間暗くなる。

 駄目だ、まだ。まだ落ちれない。

 自分の意識レベルを自分の中でさらに落とし込む。


「これはテレビ、現実じゃない。

 ――現実じゃ、ない」


 そう、目の前の光景も、ただのフィクションだ。

 フィクションだから、盛り上がりが必要だろう?

 だから、今は鬱なシーンを流してるだけなんだ。


「――天におわします、わがよ。

 今、一度この者に慈悲の光を」


 見た目にも豪奢な衣装に着られた貧相な顔をしたオッサンが手にした錫杖を振り翳しながら朗々と、何かを唱えている。

 オッサンのテンションに応じて、光って見える何かが錫杖の周りに集まって回っている。

 そう、この世界には魔法が存在する。

 とは言っても、今目の前で流れている光景程、ファンタジーな光景はそれほどお目にかかることはない。鬱になる光景なら嫌になるほどそこらに転がっているんだが。


「戦いに傷つきし戦士に慈悲の光を」


 錫杖から溢れ出る光がオッサンの目の前に設置されたベッドに降り注ぐ。


ーーるな


「リクは初めてか?コイツが噂の蘇生の奇跡だ。

 やれやれ、リーラの奴これで今までの貯金も空っ欠だな」


ーー見る、な!


 ベッドの上に寝転がるそれは、明らかに子供サイズで。


 ブツン


 あ、また落ちた。




「あー、今のリクにはちょいとキツすぎたか」

「コイツ、何でギルドに居るんだ?」


 半ばあきれた声でこぼすギルド長に、崩れ落ちたリクの体を片手で受け止めてため息を重ねるジェイク。


「どこぞの貴族筋かとは思うんですがね、内在する魔力量からしても相当だ」

「視覚化できるほどの魔力が無けりゃ、とうの昔に除名して領主にでも叩き出してらぁ」


 リクの体の周りには今もヘドロがまとわりつくかの如くどす黒い何かがへばりついている。

 魔力的素養のない人間からすれば、なにかしらの嫌悪感や違和感を抱くことはあっても変に思うことはないだろう。


「まぁ、リーラも運がない」

「蘇生の奇跡といやぁ、聞こえが良いが。実際の所、蘇生確率は十に三つってところか」


 莫大な費用に関しては、ギルドで預かるリーラの所持金にカンパを積み増しして何とか届かせた。

 身体の中心部分こそ傷は浅く見えるが、それでも息があるのが不思議でならないほどの惨状。

 ベッドの上でシーツを掛けられてはいるが、少なくともそれはいつものリーラのそれではない。

 命を繋いだとしても有望な女剣士看板を一枚失ったことには変わりない。ギルド長からすれば与えられた仕事命令に対して切れるカードが余りに少ない。


「少なくとも、リクこいつはリーラをしてくれた何かからリーラを担いで逃げおおせたんだ」

「リーラにとっちゃ、どっちが良かったのかわかりゃしねぇがな」


 金も体もなしにやっていけるほどこの界隈での生活は楽なものではない。当然だがギルドに動けなくなったギルド員のセーフティーネットなんてものは存在しない。体さえ動けば「娼婦として」なんて道もないことはないが、今のリーラにはその選択肢すら厳しい。


「ったく、リーラとこいつが逆なら…とか考えるのは俺だけか?」

「まぁ、ギルドうちの連中はだいたいそう思ってるだろうから何も言いませんが、組織のトップが言って良い事じゃありやせんぜ」

「安心しろ。少なくとも表だって言うことはねぇ」


「聖なる御業が傷付き…」


 司祭の文言もそろそろ佳境に達するのか、額に浮かぶ汗と血走り始めた目に雑談の終わりを感じる二人。


「さて、審判の光か」


 司祭が唱えるのはこの世界の創世神と崇められる光の神ビブルテスに対して慈悲を乞う神秘の秘儀。まともな医療技術に期待が持てない世界において、重症患者の最後の頼みが司祭以上の高位神官による奇跡と言われる。

 儀式の高まりと共に充満した魔力による体外への放出現象による発光を差して皮肉と共に「審判の光」と呼ばれている。そのほとんどが奇跡など起きない、審判によって神のお許しが出なかったのだ、と司祭への恨みを抱かないように。

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冒険者はうつりました( ゚Д゚) @kazuaki_10

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