夜叉と獣と臆病者と 2

 自分の頭の中も心も真っ暗、完全停電中。

 自分の中のブレーカーが落ちて、またこの状態になれた。

 どうせ、起きてもろくに覚えちゃいないんだろうし、また精神不安定になるんだろうな。とか他人事のようにしか思えない。


「―――、り」


 現状は最低を一歩進んで最悪。いや、もっと悪いか。

 そもそも、こんな依頼を受けること自体がどう考えても間違っていた。

 俺が百人いたところで傷一つ付けることが出来ないだろうリーラが今目の前で息絶えようとしている。


「り。く」

「はいはい、良いからリーラは少しだけ目閉じてような」


 振り向きたくない自分の意識を優先させて、俺はリーラだったものに声を掛ける。


「逃げぬのか?」


 耳に入れる事すら嫌なバリトンボイスが降りかかるが、当然のように振り向きもしない。だって怖いから。


「なぁ、あんた何がしたかったの?」

「誰に物を言っておる、下種が」


 いや、声かけたのはそっちじゃん。

 まぁ、でも理不尽には慣れているし、いろんな意味で偉い人間が思考回路どっかおかしいのも色々見てきた。大丈夫。怒りも何も感じやしない。今の俺は何も感じられない。


「それはそれは申し訳ございません。

 それで?その下種にこれ以上何の御用でしょうか?」


 いつもの自分ならとうに意識を手放すか、壊れて何も出来なくなっているかのどちらかだろう。

 

「貴様は、死人しびとか?」


 社会的にも現実的にも「死んでる」と言われれば、「死んでる」だろうけど、この質問は何かニュアンスが違うようにも思える。ただ、上手く考えがまとまらない。今の俺は便利だが不便だ。

 何も感じない代わりに極端に思考も低下する。


「まぁ、良い」


 リーラの体がポタポタと音を立て始める。

 散々流れた落ちていた物がさらに増えたかとリーラを見続けるが、不思議だ。

 リーラの体が俺に近づいてくる。


「邪魔だ、失せろ」


 バリトンボイスは感情を感じさせない声でそう告げる。

 綺麗だったリーラの髪は何かがまとわりついて一塊になって汚い団子状態になっている。それに気が付けるころになって初めて気が付いた。


「リーラ、浮いてる?」


 もはや瞼を開ける力すら残されていないリーラは身じろぎ一つすることなく俺の胸の高さまで持ち上がっていた。

 ポタポタと音を立てていたのはどうやら持ち上がった体から流れ出たものが地面に落ちていたらしい。


「リーラ、置いてくのは勘弁してよ」


 胸に湧く想いは自分の保身からか執着からか。

 今の自分にはわかりようもない。




「おーい、起きてるかぁ?」

「やべぇな、マジでこいつ死体アンデッドなんじゃねぇのか?」



 この異世界くそったれな世界に迷い出るまでに、メンタルヘルスの研修を受けさせられた事がある。ブラックな会社がそんな研修に社員を出席させるだなんてどんなブラックジョークだと笑っていたものだ。月に一度あるかどうかの休日を返上で受講する旨を聞いた辺りで俺の目は死んでいたが。


「少しだけ時間を頂いてよろしいですか?」


 どうやら研修で余程まずい顔をしていたんだろう。わざわざ産業医に声を掛けられ個人面談を行っていた。

 意識の剥離・整理といった荒療治を教えてくれたのはその産業医だった。

 彼女曰く、「そのまま放置していて首でもつられたら寝覚めが悪い」との事だったが、どう考えてもまともな技術でないのは確かだ。


「いいですか?現実逃避は悪いことのように言われてはいますが、特定の場合においては非常に有効な精神的自衛技術になります」


 淡々と説明していく中で「ただ、症状が進行すると解離性障害となります」と平然と言い放つ目の前の産業医。ともすれば、こいつ自体がある種の解離性同一性障害多重人格なんじゃないかと疑ったものだが、教えられた技術は確かに役に立った。立ってしまったといったほうが正しい。



「なぁ、こいつ瞳孔が開いてね?」

「おーい、リク。お前マジで死んでねぇか?」


 さっきから何か雑音が入るような気がするんだが。


「なぁ、もうこいつ怖いから埋めちゃわないか?」

「いやいやいや、一応こいつもギルド員身内ですからね?」

「いや、だってこいつなんか怖いし」



「いいですか?貴方は今、とても静かで暖かな空間でふわふわと浮かんでいます。

 ――そうですね、お湯の中に浮かんでいるのかもしれません。

 貴方はその中でテレビでも見ているのでしょうか?

 ほら、目の前に誰かいるみたいですよ?」


 胡散臭さ満載の産業医のレクチャーは意外なほど俺の中ですんなりと受け入れられ、レクチャーしていた当の本人をして「あなた、よっぽど現実逃避したまともじゃない生き方してきたんですか?」とか言われて、「お前が言うな」と普通に返してしまうほど。



「なぁ、取り敢えず教会から人呼んでお祓い見て貰った方が良いんじゃねぇか?」

「いや、だからいい年したおっさんが怖がらんで貰えますか?」

「戦場帰りでも、もうちょっとマシな状態だと思うんだが」



「はい、良いですね。

 その調子で、今目の前にある貴方の辛いこと、苦しいこと、見たくないこと――

 皆目の前に映る風景だと思いましょう。

 ほら、テレビドラマなんかでは当たり前の光景ばっかりでしょう?」



「あ、帰ってきた」

「なんか話してました?」

「――なぁ、リクこいつっていつもこんな感じなのか?」


 何だろう、目の前にいるのはつい最近溢れ出る威圧感を垂れ流しながら俺に対して拒否権なしの命令を突きつけてきたおっさんなんだが、ジェイクさんの肩越しに俺を見ている。イイ年したおっさんがおっさんにすがりついてる姿を見てはぁはぁ出来る特殊な性癖を持たない俺としては、目の前の光景に対して気持ち悪いとしか思えない。

 ギルド長ギルマスは幽霊でも見たように引きつった顔をしていた。


「いつもはここまで酷くはないんですがねぇ。

 ――なぁ、リク。ひょっとしてまた呪いが進行したか?」

「――おいルーキー。オメェ、中身はどこにやった?なんでそんなすっからかんの魔力になってんだぁ?あぁ?」


 ジェイドさんの言葉に顔つきを変えたギルド長は、訳の分からんこと言って凄んでくる。中身って何のことを言ってんだか分かりゃしない。異世界この世界の奴らは揃いも揃って国語力皆無な連中ばかりだ。


――トントントン


 凄まれて言葉も発せれない。というより、何を喋ればよいか本当にわからない俺を救ったのは、扉から響くノックの音だった。


「ギルド長、神殿から司祭様がお越しです」


 聞き覚えのある声に顔をドアへ向けると、木製の扉に金属らしき物が乱雑に打ち付けられている。今更に気がついたが、一応この部屋は監禁そういう部屋だったらしい。


「お、ようやくお出ましか」

「リク、お前も動けるなら来るか?」


 どうやら俺の頭は開店休業状態で全く仕事をしていなかったらしい。

 なぜジェイクさんは俺に対して声をかけてきたのか、さっぱりわからなかった。

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