中編

 ホテルの中庭で少し休憩し、私は会場に戻った。午後は自分の担当に関係が深い分野の発表を中心に聴き、あっという間に土曜日の日程は終了した。


 いつもだったら学会の後は、知り合いの医師に同行して飲み会に参加させてもらうことが多い。でも今日はそんな気分じゃないし、そもそも参加を決めたのが直前だったので、誰にも連絡していない。


(お腹空いたな。お昼、カロリーメイトだけだったもんな。何か適当に食べて帰ろう)


 駅に向かう途中で、渋い喫茶店に入った。店の前に「ナポリタンあります」という看板が出ていて、惹きつけられてしまった。四人掛けのテーブル席が六つだけの狭い店内には、先客が一人――あれ。


「夏目先生」


「瑠璃さん?」


 お互いに気付いたのは、ほぼ同時だった。



 どちらからともなく、「せっかくだから一緒に」ということになり、私達は同じテーブルに向かい合って座った。十分ほど待つと、料理が運ばれてきた。二人ともナポリタン。ケチャップの匂いが食欲をそそる。


 店内にはBGMが流れていて、ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』、米津玄師の『灰色と青』と続いている。


 ナポリタンを食べながら、ぽつぽつと会話は続く。


「脈絡のない選曲だね。店主の趣味かな」


「そうかも。……こちらでの仕事はどうですか?」


 夏目先生は、この春から京都市内の病院に出向中だ。


「東京とほとんど同じ。相変わらず拘束時間は長いし」


「そうですか。お疲れ様です」


 ソーセージとピーマンを咀嚼しながら話題を探していると、次の曲に変わった。今朝聴いたあの曲だ。思わず聴き入ってしまう。


「片思いの歌だよね、これ」


 夏目先生は淡々と言った。


「そうですか? 私、失恋の歌だと思ってました」


 だって二番目の歌詞が特に、夏目先生と花音の別れにかぶるから。


「そう? 僕には、女友達に叶わない恋をしている男の歌に聴こえる。まあ、付き合ってても片思い、みたいなこともあるか」


 夏目先生が寂しげに笑った。胸がギュッとなった。


「誰の曲かご存知ですか?」


「Official髭男dism――ヒゲダン――の『Pretender』。ヒゲダンの曲は、KSJCのレパートリーにもあるよ。『Stand by you』。瀬戸さんが途中から歌って、手拍子が入る曲。覚えてない?」


 あの曲か。一度、KSJCの部室で聴かせてもらった。


「覚えています。ヒゲダンの曲だとは知りませんでした。そもそもヒゲダンって、名前しか知らなくて」


「若い四人組のバンドで、すごくいい。KSJCのみんなも全員一致で好きだよ」


「へえ、あの個性バラバラのメンバーが」


「うん。ヒゲダンといえば、最初に飯倉さんに会ったとき、『コーヒーとシロップ』という曲のPVに出てる女優さんみたいだな、と思ったんだよね」


 思いがけないところで花音の話になって、ドキリとした。夏目先生は目を伏せたまま、パスタを丁寧にフォークに巻き付けている。


「自信のなさそうな様子がそっくりで。そのPVは、新入社員が徐々に成長していくストーリーで……新入社員と飯倉さんを比べたら失礼かな」


 夏目先生が手を止め、視線を上げた。いつもと変わらない穏やかな表情だ。


「いえ、わかります。花音、頼りない感じがしますから。仕事はきちんとしてるみたいですけど」


「萩岡係長もそう言ってた。ドラムも上手だよね。たまに思い切ったことをするし、意外性があって面白いなと思って見ていたら――」


 好きになってしまった、か。だが夏目先生はその言葉を口にはせず、話を終わらせた。


「結局飯倉さんは、三田村君が好きだって気付いたわけだけど」


「……」


 私は知っている。


 花音が自分の気持ちに気付くきっかけを作ったのは、夏目先生だ。先生は、花音を突き放すようなことをした。それさえなければ花音は自分の気持ちに気付かずに、今でも夏目先生と一緒にいたと思う。それがいいか悪いかは、別として。


「――花音のこと、怒ってます?」


 彼女に対してどんな気持ちでいるのかなと、気になっていた。


「いや。でも三田村君はムカつく。逆恨みかも知れないけど、しばらくは嫌いだと思う。最後に会った時も、ほとんど口をきかなかった」


「あら」


 思わず笑ってしまった。意外に大人げのない対応をしたんだな。でも「嫌い」ということは、じきに三田村さんを許すのだろう。そもそも、悪いのは三田村さんじゃなくて、にぶちんの花音なんだし。


「正直に言うと、京都に異動になってほっとした。飯倉さんと三田村君に毎週KSJCの練習で会うのは、さすがにきつい」


 私は黙って頷いた。


 夏目先生が花音と三田村さんについて話したのはそれだけだったが、苦しさを味わったことは十分に伝わってきた。でも話してくれて嬉しかった。これで、少しでも夏目先生の気持ちが軽くなったらいい。


 ああそうか。


 私は夏目先生に気持ちを打ち明けて欲しくて、京都まで来てしまったのか。自分が花音をけしかけたことがあったから、こういう結果になったことに責任を感じていたのだろうか。



(続く)


―――――――――――――――

楽曲リストはこちら。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03LRjf6Dlih7HlIBhgJRnr7t

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