2. 『難破船』、『アイム・ユアーズ』、『L.O.V.E.』、『We Can Work it Out』、『海の見える街』
「とっちゃえば?」――焚き付けるようなことを言ってはみたものの、三田村君の肩を持つつもりはなかった。
夏目先生は、KSJCに加入した直後からライブで俺と一緒に弾けてくれた。穏やかな夏目先生が体育会系のノリの良さを持ち合わせているとは、嬉しい驚きだった。
そのおかげで、それまで渋々動いていた三田村君も派手なパフォーマンスを見せるようになり、バンド全体として見応えのあるライブができるようになったのだ。夏目先生がいなければ現在のKSJCはなかったといえる。だから俺は夏目先生に感謝しているし、彼の恋路の邪魔はしたくない。
年が明けてから何度か三田村君と個人的に話す機会はあったが、飯倉さんのことは話題に上らなかった。もとから三田村君は、あまり自分のことを話すタイプではない。年末のあの時はさすがに抱えきれなかったのだろう。そうだろうと思ったから、俺も飲みに誘ったわけだし。あれで少しでも気持ちが楽になったのなら、それでいい。三田村君がどうするつもりか知らないが、これ以上俺が口を出すべきことは何もない。
話は前後するが、十一月頃から、結衣はたまに飯倉さんと出かけるようになっていた。一度食事をしたら意外に気が合い、次はM美術館に誘った。この美術館は夜十時まで開館していて、結衣は仕事帰りに週一回は立ち寄っている。和菓子のデザインの参考にするためだ。
結衣が作る和菓子は、彼女の中にある「きれいなもの」の蓄積から生み出される。芸術に限らず、自然、建築、文学、その他身の回りのあらゆるものから影響を受けたそのデザインはかなり個性的だが、結衣らしさが溢れている。
飯倉さんにとって「年間チケットを買って、時間のある時に少しだけ観る」という結衣の鑑賞スタイルは新鮮だったらしい。早速真似をして年間チケットを購入し、一人で、あるいは時間が合う時は結衣と一緒に、美術館に通うのが習慣になった。
「妹が一人増えたみたい」
結衣は笑った。そういえば、俺たちより四歳年下の飯倉さんはちょうど結衣の末妹と同い年だ。
二月下旬。ミズモリケントの『待ってて』リリース直前にも、結衣は飯倉さんと出かけた。そして帰宅後、意外な言葉を口にした。
「花音ちゃんて、本当は三田村さんのことが好きなんじゃないかな」
「――なんでそう思う? 夏目先生とうまくいってるんだろ?」
「うん。でも花音ちゃん、鈍いところがあるから。もしかしたら自分が本当は誰を好きか、わかっていないんじゃないかな」
「まさか。いくらなんでもそこまで鈍くはないだろ? でも気になるなら、結衣、飯倉さんに話してみれば?」
「うーん。それはちょっと。花音ちゃんから話をきいている分には、夏目先生とうまくいってる感じなんだよね。悩みとか不満も言わないし。だから余計な事は言いたくないの」
「けど、違和感があるんだろ」
「うん。瀬戸君、花音ちゃんに聞いてみて」
結衣は真っすぐ俺を見つめた。
「なんで俺?」
「花音ちゃんだけじゃなくて、夏目先生と三田村さんのこともよく知ってるから」
「何だよ、その理由。嫌だ」
この会話はこれで終わったが、「自分が本当は誰を好きか、わかっていないんじゃないかな」という結衣の言葉は心に引っかかった。
三月中旬、木曜の合同練習日。三田村君が参加する日ではなかったが、残業中の彼を呼び出した。俺がKSJCの練習に出られるのは、おそらく今日が最後だ。だから一緒に演りたかった。夏目先生が黒田社長にも声をかけてくれ、久々に全員が揃った。
『難破船』、『アイム・ユアーズ』、『L.O.V.E.』、『We Can Work it Out』――演奏を楽しみながらも、つい、飯倉さんのドラムが気になってしまう。結衣がおかしなことを言うからだ。全ての曲で彼女の演奏はいつものように安定していた。その正確なリズムを聴きながら俺、はずっと考えていた。
飯倉さんは、俺たちがライブで調子に乗っても決してペースを乱さなかった。落ち着いているからだと思っていたが、もしかすると同時に、彼女の鈍感さのなせる技だったのかもしれない。周りが騒いでも、鈍いからあまり気にならないのではないか。
そう考えると、飯倉さんが自分の本当の気持ちに気付いていない、というのもなくはない気がする。もしそうだとしたら、飯倉さんはどうしたら自分の気持ちに気付けるのだろうか。何かきっかけなるものはないだろうか――演奏を終えたその時、部室の壁際にあるピアノが目に入った。そうだ、連弾だ。
「そういえば、今住んでるシェアハウス、ピアノ付きだったんだよね? 三田村君、いつだったか飯倉さんと連弾練習したって話してたでしょ。えーとなんだっけ、『魔女の宅急便』のジャズバージョン」
俺は、楽器の片づけをしている飯倉さんと三田村君に話しかけた。唐突だし、白々しいかなとは思ったが、社長が絶妙なタイミングで「そうなのか? 面白そう。弾いて」と言ってくれた。飯倉さんは断ろうとしたが、三田村君は「いいですよ。減るものじゃなし」とピアノに向かい、結局、飯倉さんもその隣に座った。
夏目先生はいつものように穏やかな表情だったが、その目には不安の色が浮かんでいた。すまない、夏目先生。
(続く)
――――――――――――――――
◇三月に部室で
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03JIIYcQ9Ca3VTsGv4QXWcXx
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