60.桜(その2)

 シェアハウスに戻ったのは、夕方早い時間だった。


 庭の桜が満開で、二階のバルコニーから間近に見られる。以前からの約束通り、これから二人でお花見だ。


 純米酒一本、グラス、デパ地下で買ってきたお花見弁当を、私の部屋から持ち出したサイドテーブルに並べた。バルコニーにキッチンから持ってきたスツールを並べ、二人で腰かける。

 

 そして、旬の味がバランスよく詰め合わされたお弁当をゆっくりつまみながら、二人で桜を眺めた。お酒はそんなに進まなかった。花びらが時おりひらひらと、バルコニーに舞い落ちる。


「お互い、知らないことが沢山ありますね」


「うん。でもこの間の『好きな』シリーズの質問で、色々分かった。面白かったよ。好きな人がいるかどうかきくまでに、あんなに沢山」


「きくのに、勇気がいりました」


 私が言い終わらないうちに、三田村さんが急にキスをしてきた。唇が触れ合う。


「……体、冷えたな」


「そうですね」


 三月下旬とはいえ、今日は花冷えといっていい寒さだ。日はすっかり暮れていた。



 後片付けもそこそこに、私たちはそれぞれシャワーを浴びた。お花見をしている間に、体が冷え切ってしまった。


 まだ早いけど、疲れたから寝ちゃおうかな。


 そんなことを考えながら、お水を取りにキッチンに降りた。すると三田村さんがすでにいて、冷蔵庫のそばで炭酸水をボトルから飲んでいた。


「飲む?」


「ありがとうございます」


 私は差し出されたボトルを手に取って、一口飲んだ。シュワシュワして美味しい。


「さっきの話だけどさ」


「はい?」


「『好きな』シリーズ」


「はい」


「花音がきいてくれなかったら、俺から告白してたよ」


「……本当に?」


「ほんと」


「でも三田村さん、三十にもなって『好き』と『付き合って』はかっこ悪いって」


「時と場合による。引越し直前に言おうとずっと前から決めてた。夏目先生と続いていても、いなくても。色々考えたけど、何もせずに諦めるのはさすがにできないと思ったから」


「何て告白するつもりだったんですか?」


「……」


「教えて欲しいです」


 聞きたい。すごく。

 

 少しの間を置いて、三田村さんは無表情で淡々と言葉をつないだ。


「一緒に過ごした土曜日が忘れられない」


「好きだ」


「大切にする」


「ずっと、大切にする」



 ――想像もしていなかった。三田村さんがここまで言おうとしていたとは。思わず、三田村さんの首に腕を回して抱きついた。


「……ありがとうございます」


「うん」


 三田村さんも私を抱きしめる。今までにない強さで。キスをして、唇を一瞬離してもまたすぐキスしたくなって、何度も何度も唇を重ねた。重ねるごとに深くなった。キスだけじゃ物足りないと、初めて思った。


「花音、止めよう。やり過ぎ。これ以上したら――」


「今、そういう気持ちです」


「――ほんと?」


「はい」


「どうしよう、いきなりで緊張する。心の準備が」


 自信家の三田村さんらしくない言葉に、私は笑った。




 目を覚ましたのは、夜中だった。


 眠ってしまったのか。


 横を向いている私を、後ろから三田村さんがしっかり抱きしめている。嬉しいけれど、ちょっと居心地が悪い。少し体を動かすと、三田村さんも目を覚ました。


「……大丈夫だった?」


 心配そうな声。


「はい」


 色々驚くことはあったが、思ったより平気だった。三田村さんは優しかった。


「ベッド、二人で眠るのは狭いですよね。私、部屋に戻りましょうか?」


「そんなこと言う? 初めてしたのに。寝心地が悪くても、朝まで一緒に。あと、敬語はもういいよ。名前も呼び捨てにして。ひびきでいい」


 三田村さんはまた私を抱きしめると、すぐに寝息を立て始めた。

 静かだ。私は三田村さんの腕の中で、満ち足りた気持ちで目を閉じた。


 

 結局それから何度も、どちらかが動くたびにお互い目を覚ました。一緒に眠るというのは、慣れないうちは案外難しいものらしい。けれど三田村さんは嫌そうなそぶりを全く見せず、それどころか、目を覚ますたびに嬉しそうだった。


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。私は、隣で気持ち良さそうに眠っている三田村さんを眺めている。あと五分したら、起こそう。初めて「響」って呼びかけて。



 了


――――――――――――

◇関連楽曲全体の再生リストはこちらです。

六重奏2018

https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03ILHnkX1Jm-sGp745f4m5Aw

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